あの日を頼りに




「暑い、とにかく暑い」

 買い物から戻ってクーラの効いている家に戻ってきたというのに身体は火照るようだ。特に額が熱い。頭の奥から響くような痛みがしている。梅雨が明けて急に暑くなったから熱中症にでもなったのだろうか。とりあえず喉を潤したくて冷蔵庫で冷えていたお茶を飲み、冷凍のグリンピースの袋を額に当てながらソファに傾れ込んだ。夏は好きだ。着る物が少なくて楽だし、海で泳ぐのも好きだ。スイカやアイスなんかも一番美味しく食べられる季節だ。ただ代謝がいいせいで汗びっしょりになるし化粧崩れしやすいのは最悪だが。冷凍の袋を額に当てたまま瞳を閉じてみると急に眠気に襲われる。ちょうどお昼寝に最適な時間かもしれない。

「なんかお前、焼けた?」

 真っ黒の視界の先から響いた声に一瞬幻聴でも聞こえたのかと思った。知らない男の声だった。しかし身に覚えのあるような気がする。

「おい、寝るなよ」

  妙にリアルな声だった。そこでパッと目を開いてみるとこちらを覗き込んでいる男がいる。銀色の髪に吊り上がった猫のような目をしている若い男だ。どうして家の中に男がいるのか、不法侵入じゃないのか、鍵をかけ忘れていたかもと数秒の間困惑していたが「具合でも悪いのか?お前は昔っから体調管理がなってねえよな」と男が息を吐き出した瞬間、今までの妙な感覚が合致したようだった。

「もしかしてキルア?」
「は?分かってなかったのかよ」
「本当にキルアなんだ……あの頃はまだチビで意地悪で」
「ぶっ飛ばされてえの?お前の方がチビだったくせに」

 起き上がってみたけれど見上げたキルアは遥かに高い。目元は変わっていないけど顔つきや広い肩幅、スラリと伸びた足、白いTシャツから見える腕の筋なんかは明らかに大人だった。

「それよりどうしたの急に。しかも不法侵入なんですけど」
「近くで一ヶ月ぐらい仕事があってさ、その間泊めてくれないかなっと思って」
「ホテル取ればいいのに」
「この辺のホテル探したけど満室でさ」

 この辺りのホテルは一つしかないが、観光地でもないのに満席になることがあるのだろうか。しかしキルアを前に断りづらいし、この家は一軒家で大きい方なので承諾することにした。

 キルアとの奇妙な一ヶ月間の始まり。彼は私が起きてくる頃にはもう仕事に行っていて、私がベットに入る頃に玄関の扉が開く音がする。それからすぐシャワーの音がして彼に与えた部屋の扉が閉じる音がする。ほとんど顔を合わすことがない日が続いたが今日の朝は自分以外の人の物音が聞こえた気がした。キッチンを覗くとまだ眠そうなキルアがコーヒーを入れていた。

「あれ?寝坊でもしたの?」
「今日は休みだよ」
「そうなんだ。忙しそうだね、ちゃんと寝れてる?」

 寝癖のついた彼の髪が気になって手を伸ばして直してやるとキルアは目を見開いてこちらを見た。

「嫌だった?」
「そうじゃない、懐かしくて」
「ああ、私よくキルアの髪に触ってたね。よく怒鳴られたもん」

 ふわふわしているキルアの綺麗な髪に触っては変な風に結んだりして遊ぶからよくキルアに怒られていた。私が涙目になるとキルアは折れて「ちょっとだけだぞ」って呆れた顔で言う。キルアは下に弟がいるからきっと私のことも妹みたいに思っていたんだろうなとあの頃を思い出すと自然に頬は緩んでいた。我に帰ってキルアと目が合うと、キルアは分かりやすく顔を逸らした。

「ナマエは今日仕事?」
「ううん、私も休みだけど」
「じゃあこの街を案内してくれよ」

 キルアに街を案内してオススメのレストランで食事したり、カフェでコーヒーを飲んだ。キルアはいつの間にか苦手だった野菜も食べれるようになっていたし、コーヒーだって飲めるようになっていた。それから海辺に行って砂浜で競争したり、くだらないことで笑ったり、2人で歩いていると昔を思い出す。ゴンと、キルアと、私で一緒に過ごして危険な事も沢山した。それに比べて私の生活は平凡なものになってしまったけれど、きっと2人は相変わらず鮮やかな人生を歩んでいるのだろう。疲れて砂浜に腰を下ろした私の隣にキルアも同じように座ってから砂浜に寝転がった。夕日がキルアの髪を照らしている。相変わらず白くて綺麗な肌をしている。肌だけじゃない、骨格も目元も、形のいい唇も。本当に綺麗な顔をしている。

「なんだよ」

 いつの間にかキルアの視線が訝しげにこちらを見上げている。夕日のせいで熱を含んだように見えるその瞳に浮かされたのか、胸の奥で鼓動が早くなった。

「キルアが遠く感じる」

 どうしてこんな事を言ったのだろう、自分でも分からない。8年ぶりに再開したから当然だろうに。

「俺にはナマエの方が遠く感じるよ」
「え?私は別に、何も変わってないよ」
「変わったよ。昔は白くて貧弱そうですぐ泣くガキだった」
「えーと喜んでいいのか怒っていいのか。でも、キルアにはそうかもね。ゴンは頻繁に会いに来てくれるのに、キルアは全然会いに来てくれないんだもん」
「やっぱりお前、覚えてないな」
「何が?」

 キルアが体を起こすと自然に私達の距離は近くなった。彼のガラス玉のような瞳が私の心の内側まで覗き込んでいるみたいだ。

「次会うときは結婚してね、って」
「なっ、う、嘘!」
「さーて、どうでしょうか」

 確かに、あの時の私はキルアに恋をしていたがそんな約束さっぱり覚えていない。「お前寝ぼけてたしな」と目を細めて笑うキルアを前に逃げ出したくなってしまって立ち上がったがキルアの骨ばった手で腕を掴まれる。力強くて逞しい男の力を感じてしまってなんだか胸の奥が切なくなる。

「そんなの子供の頃の話だよ、」

 立ち上がったキルアの体が近づいて咄嗟に顔を下に向けた。すぐそばで彼の体温を既に感じる。

「それを本気にしてた俺は、どうすればいいんだよ」

 意地を張ったような声なのに、思ったよりも切実で、少し寂しそうに聞こえて顔を上げればすぐ近くで視線がぶつかった。鼻と鼻が触れ合いそうな距離でお互いの呼吸さえも感じ取ってしまいそうで、それでも今度は顔を逸らせなかった。キルアの力強い視線に囚われたまま鼓動が強く脈打っている。


つづく



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