三流作家の挫折

 相変わらず、Eは話が長い。
久しぶりに連絡をしてきたなと思えば、口から溢れてくるのは仕事と恋愛の愚痴ばかり。Eとは長い付き合いになるが、この愚痴だらけの会話には一向に慣れない。
そもそも私だっていきなり呼び出されて、ひたすら愚痴を聞いてるほど暇ではないのだ。
今月の一日に締め切りだった短編を書き損ねて締め切りを過ぎてしまったせいで、次回の号に予定がずれこんでしまった。
M女史がいなければ私の短編は闇へと消えることになっただろう。私の作品価値はその程度なのだが、デビューしてから面倒を見て下さっている彼女の厚意で救済措置を取ってもらえた。
 はあ、と息をついて目の前で喋り続けるEを見る。
どうしたらいいのか、なんてとっくに分かっているくせに決断する勇気がなくて、または面倒で、愚痴という形で現実逃避している。
愚痴を言う人間なんて大抵そんなものだ。分かったふりでこんな考えを持つ私も青いが、愚痴ばかりのEも青い。
未熟者同士が額を寄せあっていても解決策など出るはずもなく、私は不毛な会話を続けている。
今日は注文した『彼女』の新作が届くかもしれないんだよなあ。
退屈で私は思考を切り替えた。最近はネット通販で買い物をするようになった私は、同期デビューである『彼女』の新作を通販で注文していた。
早く帰宅して荷物が届いていないか確かめたい、本の中身を知りたい、今度はどんな展開になるのだろう、ぼんやりと作品について考えを巡らせる。
 『彼女』は元気だろうか。
病弱な肌の白さを思い出し、ふと不安になる。たとえ彼女が体を壊しても私は知りようがない立場にある。
せめて友だちといえたなら……あくまでも同業者というカテゴリから出ていない関係性がもどかしい。
でも自分から声をかけるのも躊躇われる。彼女はどこか孤独を好む雰囲気があり、言動にも現れているからだ。
図々しい奴だと思われたら、もっと距離が遠のくは馬鹿でも予想がつく。
では、どうしたらいいのか。
 ネットで交流するのも手かもしれないと彼女が登録していたSNSに登録してみたのだが、自分でも驚くほど向いていなかった。
まず発言しないのだ。なぜ発言しないのかと訊かれれば、話すことがないからだとしか答えようがない。
そもそも私はテレビを滅多に見ない。見るのは野球と映画だけなので、リアルタイムでの会話が成立しない。
本や映画についての話題は趣味が合わず、野球の話題は応援する球団が異なる場合が多い、他に話す話題といったら私には『創作活動』しかないのだが、私は創作についての議論をしない。
全くしないわけではないのだが、相手の作品を知らない場合、議論するのは不可能だ。相手の顔を知らずに人混みで待ち合わせするぐらいの噛み合わなさを覚える。
そもそも作品は自分の名刺代わりである。言いたいことや主張したい事柄があるのなら作品で示せばいい。口だけならいくらでも何とでも言える。
そんな空虚な意見に耳を傾けていては何も出来ない。私は手に触れられる、目に見える事実を、現実を好む。
 だから『彼女』は非常に好ましい。
孤高だけれど孤独ではない。声をかけるのに勇気がいるけれど、背中を追いかけたいと思える人だ。
 Eがまだ話しているのに呆れながら、私は冷めたコーヒーを啜る。
お前も少しは彼女を見習えよ、内心で毒づきながら、締め切りを破った日をぼんやりと思い返す。
 言い訳になるが、締め切り前に私は悲しみと絶望が入り混じった複雑な体験をした。
今でもどう表現したらいいのか悩む。
ひとつ言えるのは、私はその日を境に無気力になった。
危惧していたことが現実になった、あの日。叶えたかった願いと仲間を失った。
予感とは嫌な言葉だとしみじみ考えた。
最初の高揚を忘れてはいないのに、現実は残酷にさよならと別れてしまった。
何を期待していたのだろう?
 分かっている。創作の孤独と喜びを分かち合える仲間に出会いたかった。言葉を交わしたかった、笑顔を見たかった。素晴らしい作品を上梓し合えるのだと信じていた。
こんな思いをするのなら、最初から殻に閉じこもって誰とも話さずにいれば良かった。
 ああ、哀しかったのかと気がついたのは数日経ってからだった。
ふと我に返ると締め切りが過ぎた現実があった。
 それから文章を書くのが、ひどく億劫になってしまった。書きたいものがあっても、私でなくてもいいと考えてしまい、ついにはパソコンを開く行為すらやめた。
誰が悪いのでもない。全ては時機が悪かった。
私自身も都合が悪くなり、断るざるを得なかったのだから。
 筆が進まない。自分のアイデアがくだらなく感じる、どうせ書いても誰も読みやしない……。
いつしか自分自身を否定するようになり私は殻に閉じこもってしまった。
そんなときにEからメールがあり、私は自暴自棄な気分で未完成の短編を放り出してきた。
次の締め切りまでに完成させなくてはいけないのだが、自分が書いているものに違和感を覚え、くだらないと作者が思っているのだから筆が進むはずがない。
Eに文句を言える立場ではない、私も現実逃避で彼女の話に付き合っているのだ。
いっそ文章を書くのをやめて、勤めに出ようかとも考える。
若くはないが、最近の不景気では若い年代以外の就職活動も珍しくない。
雇ってくれる会社があるかどうかは別だが、少なくとも自宅でパソコンに背を向けているよりは何かしらの行動を起こしている方がいいだろう。
 『彼女』は作家として生きて行くのだろうなあ、羨望がひょいっと顔をのぞかせる。
 ある程度、喋りつくして満足したのかEが話題をふってきた。
「最近どうなの?」
 何が?と訊き返したくなる抽象的な問いかけに苦笑する。こちらに興味がないのが露骨に伝わってくる。
「どうもしないよ。ちょっとスランプなだけかな」
「へ―、大変だね。でも『彼女』に相談すればいいんじゃない?●●は『彼女』に心酔してるし」
 人を偏執狂みたいに言わないでくれ、と思いながらも尊敬しているのは事実なので頷いておく。
「いや、迷惑になるから。彼女は甘えている人が好きじゃないだろうしね」
「え?●●は甘えてるわけ?落ち込んでいるなら励ましてもらえばいいじゃん」
 何だ、その都合のよい話。
だがEの言うように私は甘えている自覚がある。無意識に口にした言葉に自分で驚く。
「そうだね」
 適当に相槌を打ち、適当なところで切り上げて自宅へ帰った。
 パソコンの前に座ると久しぶりに電源を入れる。
鈍い音をたてて、億劫そうにパソコンが立ちあがった。まるで『もう用はないんじゃなかったのか』と言っているようで、機械相手に気後れしてしまう。
そう、もう用はないと考えていた。私が書くのをやめても誰も困らない。既存のアイデアを繰り返すだけの拙い模倣ならば、書くだけ無駄だと自分を自分で諦めた。
 でも無意識は素直に訴えてきた。
『甘えるな』と。
 確かに書かなくても誰も困らない、私以外は。
私は毎日、もやもやした気持ちを抱えて、時間を持て余して……先のことは分からないけれど、一度書くのをやめてしまえばまた書けるようになるには時間がかかるだろう。
膝を抱えて全てから目を逸らしていたかったのに、笑える話だが夢に『彼女』の作品が出てきた。
怖くも美しい世界を夢に見て未練だらけの自分が嫌になったから、Eの無駄話に付き合う気になった。
何でもいいから気を紛らせたかった、現実から目を逸らしたかった。
でも結局、私は戻って来てしまった。
 机の上には届いたばかりの『彼女』の新刊が3冊ある。
私はどんなに頑張っても『彼女』にはなれない。遅筆でアイデアが乏しくて、飽きやすくて忍耐力がなくて、すぐ逃げ出してしまう。
それでも失いたくない『もの』があるのを逃げてから気がついた。
 情けない私だが今は、ただ前に進もう。いつか追いつけるように、声をかけられるように。
 ワードの画面に文字を打ちこむ。
 迷いや違和感とは書き終わった後に戦おう。
今は書くのだ、三流は三流なりに全力を尽くすのだ。
M女史と『彼女』に顔向けできるような作品を上梓出来るのはまだ遠い未来だが、とりあえずは、この『短編』から始めよう。




                           〈了〉






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