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三月と五月
 人間が泥酔すると異臭がする。僕は二十年生きてきて、初めて知った。
「臭いぞ、三月」
 大学の寮で隣の部屋に住んでいる香川 やよいは男ながら可愛い名前を授けられた。名前に反して、彼は髭の剃り跡が眩しく体格に恵まれた男性らしさの塊である。
そのことを寮に住む先輩が面白がり、やよいでは名前が可愛すぎる。だから「さんがつ」と呼ぶことにしよう、そう言い出して気がつけば教壇にいる教師たちも彼を「さんがつ」と呼ぶようになっていた。誰もが彼を「やよい」という可愛らしい名前で呼びかけることに抵抗があったからだろう。正直、僕は最初彼が自分の名前を名乗った時、からかわれているのかと思った。こんな筋骨隆々の男に、やよいなんて名前がついているわけがない。
 疑いの眼差しを向けられて、三月は「俺だって生まれた時は可愛かったんだよ」と苦笑した。そこで、ようやく僕は本名であることを認めた。
 三月は、何故か僕の部屋で泥酔して眠り込んでいる。一升瓶を抱えている姿は、古臭い時代の学生のようで笑いを誘う。
「三月、起きろよ。自分の部屋で眠ればいいだろう」
 僕は今日の朝、実家から戻ってきたばかりだった。年末年始ぐらいは実家に顔を出さないと母親がうるさい。電話は寮に一台しかないから、両親から電話があった時は全館放送で呼び出されて、電話を受け取ることになる。思春期の青年としては、大勢の前で母親とテ電話している姿は見られたくないのだ。携帯電話を持てばいい話なのだが、月々の学費と交遊費だけで精一杯の学生には手が届かない代物なのである。
 いや、それは言い訳かもしれない。僕はただ単にこの寮と三月に影響を受けているだけなのかもしれない。先輩たちは携帯電話など持っていなくても、まるで困っていないし、三月も携帯電話を持っていない。何故持たないのだと聞くと「必要がないからなあ」と野太い声で答えた。そんなわけで携帯電話を持つのは、寮長の先輩ただ一人だけだ。彼にしても、一応責任者としていつでも連絡を取れる状態にするためであって、欲しかったわけではなかったらしい。その証拠にしょっちゅう携帯を色んなところに忘れていく。寮の風呂場や共同便所に頻繁に忘れていき、ひどい時は何日も気づかないことがある。寮生たちは「繋がらぬの携帯電話」と冗談で寮の七不思議にしている。
 そんな無法地帯ともいえる寮の中だから、一週間ぶりに戻ってきた自室に(出掛けに鍵をかけたにも関わらず)隣室の住人が転がっていても驚きはしない。大方、年末年始に実家に戻らなかった寮生たちが酒盛りでもして、三月は部屋を間違えるほどに飲んだに違いない。そういえば、廊下に何人か転がっていたな。
「お、おぉ、戻ってきたのかあ」
 寝ぼけて掠れた声がして、三月がのっそりと体を起こした。空の一升瓶が転がっていく。この部屋、傾いているんじゃないか。
「三月、人の部屋で寝るなよ」
「え、ここお前の部屋なのか。悪い、間違えたみたいだ。五月」
 僕は眉をしかめた。忌まわしいことに僕は三月とセットのように、五月と呼ばれている。理由は簡単で、僕の名前は皐月だからだ。可愛い名前をよくからかれた小学生の時分には、心底女の子に生まれたかったと願った。年を重ねるに連れて、周囲も僕も名前に慣れてそう考えることは減ったが、この寮に入って三月と出会った瞬間、再び同じ事を思った。
 やよいと皐月だなんて、どう考えても冗談の組み合わせではないか。
「三月、酒盛りでもあったのか?寮全体が臭いんだけど」
「ああ、年末年始はずっと飲んでた。カウントダウンの瞬間に全員で跳ねて、年越しの瞬間地上にいなかったってのもやったぞ」
「く、くだらねえ!」
 僕は腹を抱えて爆笑した。今時、そんなことは小学生だってしない。僕につられるようにして、三月もガハハと豪快に笑った。
 腹を押さえた時に、僕は帰り道で買ったサイダーのことを思い出し、一口飲んでから三月に渡した。
「酒臭いから少しはサイダーで浄化してもらいなさい」
「はい、閣下」
 大真面目にふざけて、また笑い合った。三月は起きたばかりで喉が渇いていたのだろう、サイダーを、音を立てて飲んだ。大きな喉仏が揺れる。僕は自分の小さな喉仏を擦った。
 僕は名前に似合っているというほどではないが、なで肩で身長が低く三月ほど男らしくない。僕のコンプレックスだ。
 最初、三月と会った時は自分のコンプレックスを直球で刺激する彼が苦手だった。男くさいほどに男性的な彼は僕の体を一層貧弱に見せた。遠巻きにしか三月と触れようとしなかった僕の中にある、小さな黒い水溜りを平気な顔で三月は走りこんできた。彼にはもやもやとした僕の嫉妬心など知ったことではなかったのだろう。彼の大らかさと、馬鹿なのか純粋なのか判断しかねる性格に僕の嫉妬心は消えた。
 代わりに残ったのが、相棒としてのあだ名だ。三月と五月。
aとbのように、三月の次に名前があるのが五月。寮生たちの間でも共通の認識になった。今週の便所掃除は誰にやらせようか、そうだな、三月と・・・・・・五月だな。とういように。あまりありがたい使われ方をしないのが少し不満ではあるが。
 ちょうど、時計が正午になろうとしていた。やおらに三月が立ち上がり、僕にも立つように手で促す。
「何?」
「せっかくだから、五月も一瞬地上にいませんでしたってやつをやろうよ」
 まだ酒が抜けていないのか、間抜けな提案を三月はしてきた。
「だって、それは年越しの瞬間にしないと意味がないんだろう」
「大丈夫、今、実は年越しの瞬間なんだ」
 三月は笑いながら時計を見て足踏みをしている。本当に馬鹿だな、と笑いながらもちゃんと立ち上がった僕も結構馬鹿だ。
「よし、俺がカウントするぞ」
 僕は畳に両足をしっかりと据えた。
「1・2・3!」

 ドスン、と重い音がして二日酔いの先輩たちの怒鳴り声がした。二人で顔を見合わせて爆笑しながら、五月というあだなと三月という変な友人を気に入っている自分を発見していた。


<了>


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