新↑ 

神様のきまぐれ・B
 十谷 秋乃は悩んでいた。来るべき聖戦に向けて作戦を練らなくてはならないのだが、作戦のために必要なものが彼女にはない。
「うう、どうしよう」
「秋乃、まだ悩んでるの?本当に決断力がないんだから」
 高校の教室で、机に突っ伏している秋乃に幼馴染の九集 律子(くしゅう りつこ)が呆れ顔で声をかける。
「どうしよう、りっちゃん……明日がバレンタインデーなのに、結局名前も年齢も何も分かってないの」
「あのねえ、あんた半年前から彼のこと見てるんでしょ?いくら何でも声をかけるぐらい、出来たでしょうが」
 肩までのさらさらと流れる髪をバサッとかきあげて、律子は涙目の秋乃を見下ろす。
「もう、何であんたみたいな奴が陸上部のエースなのか不思議だわ」
「りっちゃん、ひどい―」
 幼稚園の頃からの付き合いである二人は実の姉妹のように仲良しではあるが、律子は秋乃の外見からは想像のつかない能力に度々驚かされる。
 泣き虫で気弱な秋乃だが、足が速く、陸上部のエースを任されている。小心者であることが功を奏したのか、赤点をとる恐怖から逃れるためにしっかり勉強をするので常に成績は学年上位だ。本人は無意識だか、大きな瞳と白い肌が魅力的で男子にも人気がある。
 周囲からは完璧超人のように映る秋乃だが、律子から見ればどれも運が良かったとしか言いようがない。
小心者だから勉強する、怖がりで色々なものから逃げ回っていたために脚が速くなった。運動が苦手で家にひきこもりがちだったから肌が白い。
どれも本来ならマイナスに作用するはずが、秋乃にはそれらが長所となって還元されているのである。
「あんた運が強いんだから、何とかなりそうだけどね」
「そうかなあ?私、運いいかな?」
 自覚のない秋乃は自分の手を見つめた。小さい頃から憶病で気弱だった彼女は、いつも律子の背中に隠れてばかりだった。いまいち自分のことを自分で信用できない。その気持ちは自分自身の容姿についても同じだった。
「いきなり知らない女の子にチョコを渡されても嬉しくないよね?りっちゃんみたいに美人だったらなあ」
「はあ?何言ってるのよ」
「だってりっちゃん、他校の男子に人気あるじゃない。この前もみんなでクレープ食べに行った時、声かけられてたし」
 律子は長身で全身がスラリと均整が取れ、切れ長の瞳は美貌と呼ぶに相応しい造形をしている。秋乃からしてみれば、自分とは月とすっぽんのような存在だ。
「私もりっちゃんみたいになりたい、胸が大きくて腰がキュッとしててー」
「秋乃、現実逃避してないで少しは作戦を練りなさいよ」
「でも私、名前も知らないし、彼女がいるかどうかも聞けなかったし」
 盛大にため息をついて、律子が秋乃の額を軽くはたいた。
「うっ」
「こうなったら、当日に賭けるしかないでしょ。彼が図書館に来たら、問答無用でぶつかっていくのよ」
「そ、そんな大それたこと……」
「あのねえ、バレンタインデーに『そんな大それたこと』をやる女は大勢いるの。分かったら、絶対決行するのよ。やらなかったら、額を往復ビンタするからね」
「り、りっちゃん怖いよ」
 チャームポイントのポニーテールを揺らして秋乃は縮こまった。
 

 バレンタインデー当日。
 秋乃は図書館の開館時刻から既に席に座って、周囲を眺めていた。
鞄の中にはきちんと包装されたチョコレートが入っている。
(あの人、来るかな)
無意識に秋乃は前髪を直す。
 あの人。読書家の秋乃は県立図書館に通っているのだが、いつも同じ机で書きものをしている男性がいた。
最初は勉強熱心な人ぐらいにしか思っていなかった秋乃が、彼を強く意識するようになったのは、ほんの偶然だった。早足で図書館を出て行く彼が落としたノートを秋乃が拾い、すぐに渡そうとしたのだがノートを床に落としてしまい中身が見えた。
ノートの中には、今まで秋乃が読んだどの小説よりも面白い小説が書かれていた。つい、秋乃はノートに書かれた小説を全て読んでしまい、彼に返しそびれてしまった。
(すごい才能のある人。私とは正反対)
 自分に自信のない秋乃にとって、彼が書いていた小説はとんでもない才能の現れに感じられた。いつも机に向かって一生懸命、自分の世界を構築している姿に秋乃は気がつけば見惚れるようになっていった。
 幼馴染の律子に相談したら「好きなの?」と聞かれ、ようやく自分が抱えている想いが憧れであり、好意であることを知った。
(だから、チョコを渡そうと決めたのに……)
 朝からずっと図書館に詰めている秋乃は、夕暮れに近づいてきた空を哀しげに見つめる。
(私って本当に要領悪いなあ、りっちゃんに何て話そう)
 既に言い訳を考え始めていると、見慣れた席に彼が現れた。
「あ!」
 突然、大声を出した秋乃に周囲から冷たい視線が刺さる。慌てて秋乃は書架の隙間に逃げこんだ。心臓が大きく鳴っている。
(あの人だ!)
 ノートに向かって難しい顔をしている彼を、秋乃はじっと見つめる。今、彼の脳内ではたくさんの出来事や人物がめまぐるしく動き回っているのだろう。
自分には出来ない作業に秋乃は、うっとりとため息をつく。
(小説書くなんて才能がないと出来ないよね。私には絶対無理だもん)
 ぼんやりとしている間に、彼は順調に筆を走らせていく。秋乃は鞄をぎゅっと握りしめる。
(背後から、いきなり声をかけたら不審な奴だと思われるかな?帰り際に声をかける方が自然かな?図書館で大声を出すのは駄目だから、図書館を出てから声をかけるべきだよね、彼の迷惑にならないようにしないと、あ、でも名前知らないのに何て呼びかければいいんだろう?)
 完璧超人とあだ名される十谷 秋乃の唯一の欠点、律子曰く『決断力がない』ことである。
今まさに秋乃は決断力を欠いていた。書架の間で、ひとり頭を抱えて唸っているうちに時間は進み、ついに彼が席を立った。
しかも、彼は何故か急ぎ足で図書館を出て行ってしまう。
秋乃は急いで彼を追いかけようとして彼がいた机を見ると、ペンケースが置いてあった。
(あ、忘れ物だ!大変っ!)
 ペンケースを掴むと、無我夢中で秋乃は彼の後ろ姿を追いかける。普段、部活で走り込んでいるおかげで、彼にはすぐに追いつけたが何と声をかければいいのか分からない。
手のひらに力を込めた拍子に、ペンケースを握り締めているのに気がついた。
 もうチャンスはこれしかない。
決断力のない秋乃が初めて勇気を出して、大声を出した。
 いつも背中ばかりだった彼の顔が、秋乃の瞳に映った。



 三月十四日。
秋乃は満面の笑みを浮かべながら、分厚いファイルを律子に見せた。
「じゃーん!ホワイトデーにお返しもらったんだよ!というか、この前の日曜日に初めて図書館以外の場所で待ち合わせしてね、カフェでお茶して、本屋さんでお互いの好きな本を教え合ってね、優しくて話しやすくて、神無月さんは素敵な人だったよ」
 頬を染めてまくしたてる秋乃に呆れた顔をしながら、律子は口元に笑みを浮かべる。
「で、分厚いファイルが何でお返しなの?何が入ってるのよ」
「えへへ、これは神無月さんの小説のコピーが入ってるの。お返しは何がいいかって聞かれたから、神無月さんの小説が読みたいですって言ったの」
「え、あんたそんなこと言ったの?バカっていうか、天然っていうか……安上がりね」
 相手にどう思われたのか律子は案じたが、笑顔いっぱいの秋乃を見れば嫌な態度をとられなかったのだろうと推測できた。
「でもね、神無月さんが自分の小説だけじゃ申し訳ないからって、これをくれたの」
 鞄の中から、流行しているぬいぐるみを取り出すと秋乃は机の上に置いた。
「へえ、かわいいじゃない。でも、男性がこれを買いに行くのは大変だったでしょうね」
「うん。でも、大変だったとは全然言わなかったよ……優しいよねえ」
 すっかり骨抜きになっている秋乃を見れば、この間のデートがどれほど楽しかったのかが分かる。
「普通、一目ぼれなんてなかなかうまくいかないものなのに。秋乃は本当に、運がいいわよね」
「そうかなあ?」
「そうよ、あんた昔から運がいいじゃない。くじ運あるし、テスト範囲のヤマは必ず当てるし、道歩いているだけで限定商品が売っている店を見つけたりするじゃない」
 照れ笑いする十谷 秋乃は、自分が一目ぼれした男・神無月が神に見放されたと呼ばれるほど運がないことを、まだ知らない。
 恋愛の神様は、なかなか面白い悪戯をするものらしい。


<了>


prev next

top
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -