最終話

「武……」
「……なんだ?」


いつもは元気な武も、今はひどく沈んでいる。
あの明るかった声も、どこかに消えてしまったように聞こえた。


「皆……笑わせてね? 皆の笑顔、僕は……見たいんだからさ」
「……あぁ。ちゃんと見ててくれよ!」


武は涙目で精一杯の笑みを作った。
その人懐こい笑みに救われた人は、数えきれないほどいた。僕だって、その中の一人だった。

どれだけ辛くとも、苦しくとも、武は何とかなるって笑ってくれた。
窮地に立たされて嘆き狂いそうだった時でさえ、武はその明るさですべてを吹き飛ばしてくれた。
彼自身だって、複雑な思いを持っていたはずだったのに。
自分を顧みず、ただ周りを笑顔にさせるために……


「……時雨金時……どこ……?」
「……俺の部屋の机の上……だぜ?」
「……そっか」


唐突な脈絡のない話に、武は不思議そうな顔をする。
笑みが止まらなくて、痛みさえ忘れてしまいそうだった。


「時雨金時……使い、こなして……時雨蒼燕流……会得したばっかの頃の武……さ。一番……輝いて見えたよ」


ゆっくりと目を見開く武。
それに気付きながら、私は続けた。


「野球だけじゃなくて……剣術……も……新しいことを学ぶ事の楽しさ……、見てるだけで……こっちにも伝わった。……時雨蒼燕流……極めてね。僕が驚くくらい……さ」
「……あぁ! 楽しみにしていてくれよ。」


全てを洗い流す恵みの春雨。
彼を見るたびにそれが本当だと実感した。全てを、悲しみどころか痛みさえも、洗い流してくれる。
自分のことは笑みの後ろに隠して、いつだって彼は……


「はや……と……」


僕は少しずつ薄れていく意識の中、必死で名前を呼んだ。
もう瞼がものすごく重くて、閉じそうな瞼を必死でこじ開ける。

眠ってしまったら、もうきっと最期だと分かっていた。


「おに……ちゃ……おにい……ちゃん……」
「っ、……んだよ、未来……」
「お兄ちゃん……大好き」
「!!」
「良かった……最後に言えて……。ずっと……恥ずかしくて……言えなかったも……」


僕はまだ微笑んで続ける。
こんな時でも、微笑みを絶やさずにいられるのは誰のおかげ?
聞くまでも、ないね。


「義理でも……血がつながってなくても……好きだったよ。ずっと……ずっと。いつも……心の中で……ありがとう……って言ってた。僕のこと……救ってくれて……ありがとう」
「っ……」
「お兄ちゃんが……義父様の元から離れたあと……僕も後追うように……離れたけど、お兄ちゃ……見つからなかったから……どうしてあの時……止めなかったんだろうって……すごく後悔した……。あれきり……お兄ちゃんに会えないんじゃないかって……怖かった」


怖かった、辛かった。……それほどまでに、会いたかった。お兄ちゃんという存在が大切だった。
「私も連れてって」
その言葉を言うだけの勇気さえあれば、……ずっと一緒にいられたのに。
ずっとずっと、一緒にいられたのに。


「……それだけ、じゃない……。お兄ちゃんの、ことを……一人の男として……愛してる。僕の、愛を……受け入れてくれて、ありがとう。あの日……隼人の、お嫁さんになれて……幸せで、嬉しくて、狂っちゃいそう、だった……」


いつもだったら腐っても言えないようなそんな台詞。
今言わなきゃ、絶対に後悔すると思っていた。
お兄ちゃんに、隼人に、自分の思いを受け止めてほしかった。
ただ、それだけだった。


「俺は……」


隼人は覚悟を決めたような表情で口を開く。


「俺は今までお前を義理だとか血がつながってないとか思ったことはなかった……一度も。いつだって……お前は俺の大切な妹だった……家族だった。ごめんな、ずっと素直になれなくて……。お前は俺の誇りだ。お前がいてくれたから、俺は今ここにいる。俺も、お前の事大好きだ、愛してる。今までも……今も、これからも……」


ぎゅっと僕の手が握られる。
もう感触がなくて、だけどその温かさだけが僕の手に伝わった。

僕の頬に暖かなものが伝う。
隼人兄の瞳からも涙が流れている事に気が付いた。


「良かった……最後に、それが聞けて……ありがとう、お兄ちゃん……」


そして……


「雪……雪、には……伝えるものが多すぎて……生きてるうちに伝わらないかもなー……」


そういうと、雪の目からまた涙があふれ出る。そんなに泣いたら、目が溶けちゃうよ。
とめどない涙が、僕の頬を濡らす。それがとてつもなく、温かくて。


「泣かないで。……雪は……僕の最初に出来た……親友だったね……。憶えてる? 最初に出会ったときの事……まだ……」
「忘れるわけ……ないよ……!」
「あの時……雪は僕のこと、嫌悪を抱いてる……って言ってたけど……そんな事、思ってなかったよ……本当、は……。当たり前だもん……家族から離れたら……誰でも、そうなるよ……」


僕は呼吸さえ辛くなり、深呼吸をして続けた。
ただの深呼吸ですら、痺れるような痛みが走って、そろそろ限界だなと思い知らされる。


「雪に……出会えて……良かった。雪と一緒にいる日々……思い出……全て……僕を、今日まで頑張らせて、くれた……もし……雪がヴァリア……から……こっち動かなかったら、こうして話すことも……なかった、ね……」
「うん……うん……っ!」
「……ヴァリアーから離れた、こと……まだ、後悔、してる……?」
「してないっ……そりゃ、悲しかったけど……後悔なんて、未来が、みんなが受け入れてくれたあの日から、少しもしてない……!」
「そっ……か、よかっ……。……僕がいなくなって、も……忘れないでね……僕のこと……。いつでも……そばにいるから……見守って、るから……」
「忘れるわけ……ないよぉっ……!!」


嗚咽交じりに泣き出す雪。
そんな彼女の頬を撫でてあげたかったけれど、もう指一本動くことはなかった。

ずっとただ孤独で、強がりで時々独りよがりで、だけど誰よりも寂しがりやで甘えん坊で……
ただ、誰よりも素直な子だった。
いつの間にか傍にいてくれるのが当たり前になっていて……、傍にいてくれているやさしさと温かさが、クセになっていた。まるでパズルピースがはまっているように、雪のそばは居心地がよかった。だって、お互いをこれ以上ないほど大事にしあっていた。
まるでお互いがお互いに依存していたように。

でも、雪には可哀想なことをしちゃったなぁ……
ボスである綱吉がいなくなって……今度は、親友である僕もいなくなってしまう。
手を伸ばしても届かないところで、ボロボロといなくなってしまって……きっと、心に深い傷を負わせてしまう。
まだ、綱吉の傷も癒えていないのに。……癒えるはずもないのに。

ふと、僕は空を見上げた。
そこには天井が邪魔をしているはずだったけど、僕にはなぜかまるで天井がないものように見えた。
白い天井のその向こう側の、綺麗な青空。

僕の目から再び涙がとめどなく零れ落ちた。


「もしも……生まれ変われるなら……こんな仲間と……もう一度……平和な世界で……過ごしてみたかった、なぁ……」


雲がゆっくりと流れる……風が吹いてる。
風が、吹いてる。


「つな……よし。聞こえてる……?」


聞こえてると……いいな……。


「ありがとう……僕を……僕を仲間にしてくれて……思い出を作らせてくれて……信じさせてくれて……仲間を……愛という言葉の意味を……教えてくれて……。綱吉に……もう一度出会えるなら……また、皆で笑いたい……。皆で幸せだったあの頃に……戻りたい、です……。私の願いは……それだけで……す」


もう……限界が近づいてる。
瞼が重い……だけど、最後に……もう少しだけ……時間を、ください……。


「皆……やく、そく……してくれる……?」


皆は涙でぬれた顔を私の方に向けた。
だけどもう、みんなの顔を見れるほどの余裕もなかった。
指一本動かせない。


「たとえどんなに辛くても……残酷なことだとしても……私に願わせて……、約束、して……綱吉の最後に言った言葉……まだ、覚えてる……?」


私がそう聞くと、皆が頷いた。


「……私の願いはそれだけ。……誓って、ね」

『……生きて』


ゆっくりと意識が遠ざかっていく。
もう、瞼を開いていることさえ出来ない。
でも、一番伝えたかったことを伝えられたから。後悔はないから。

目がゆっくりと閉じられる。
感触が、じわりと失われていった。
眠りに落ちているみたい。
死ぬってこんな感触だったんだ。

ようやく、痛みから解放された。


「み……く……? 嘘……だ……やだ、じょ……だんやめてよ……みくっ……未来っ……未来ぅぅぅぅぅぅぅうう!!!!」



本当は、子供のころにね、誰にも言えなかった夢が……あったの。

一つ目は、信頼できる仲間……。これは、皆が叶えてくれたね。
私がどれだけそれを必要としていたか……皆には、分かるかなぁ? ただの仲間じゃない……信用できる仲間。それが、皆だったんだよ。

二つ目は、自由……。これは、誰でも願う事かな?
誰も手に入れることはないって言われてるけど……私は叶えられたよ。……皆のおかげで。
皆といる事が、私の“自由”だった。アジトにいる時間。私の、自由。与えてくれて、ありがとう。

三つ目は、平和……これを叶えろって言っても、無理な話だよね。マフィアだもん。
常に戦闘のこの世界で、平和を願うのは馬鹿な話。
……だけど、私はそれがほしかった。ほしくてほしくてたまらなかった。
もし、平和を手に入れることが出来たなら……もう今回のことなんて……綱吉だって死ぬ事もなかったでしょう?

もし……もし、生まれ変われたら……今度は、平和な場所で皆と一緒に暮らしたいな。
そしたら……私の願い、全部叶うから。

贅沢って言う人もいるよね? ……分かってる。贅沢だってことは……無理な話だって分かってるから。
それでも……ほしかったから。皆と、私と、貴方と……

生きている意味、見つけられたよ。
子供のころからずっと自分に問いただしていた。
生きることに必死で、死にたくなくて、死にもの狂いで生きることに縋っていた。
そのたびに「なんで生きるの?」って自分に問うてた。
死んでしまえば楽だよ。どうせ誰も僕を必要としないんだから。

でも、プライドをかなぐり捨てて生きていてよかった。
見つけられたよ。
……私が生きている意味は、あのね――――。

私を見つけてくれて、ありがとう。
私という存在を……作り上げてくれて、ありがとう。
もし最後に願いが叶うなら……この戦いが終わるまで、皆のそばにいさせてください。

何も出来ないけど……そばにいることなら出来る。そうなりたいから。
泣きそうな時は……辛いときは、私が風になる。皆を慰める。……そんな風になりたいな。

……風が今日も吹いてる。……きっと、これからも……。




「あー!! 隼人が僕のプリン取ったぁぁぁ!!」
「……未来……プリンなら、私のあげるから……ね?」
「ガキかてめぇは!!」
「プリンとった張本人が言うな! バカト!」
「んだとテメェ!」
「あははっ、面白いのなー」
「いやいや……未来、もう中学生になったんだから……少しくらい……」


それは……まだ誰も知らない物語。


「…………?」
「……どうしたの? 未来……」
「あ……いや、何でも、ない……」


……そして、誰にも予期されぬ物語……


「本当に?」
「なんでもないって!」


少女は笑った。
その笑みは……覚悟と決意を秘めていた。
……まるで、この物語を予知したかのように……。

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