泣き虫と青い鳥


06 泣き虫とおにぎり



ぼんやりと座り込んでいた。この部屋に入れられてからどれくらいの時間が経ったのか分からない。私が最初に押入れに逃げ込んだときは丁度お昼くらいだったはずだけれど、格子を嵌めた窓から―――ガラスはない―――差し込む光は赤みがかっていてそろそろ夕方かなという感じだ。
この部屋に私を案内したのは山本先生だった。人好きのする笑みで「ここで待っていていただけるかしら」と言われて頷く以外のコマンドは無かった。彼女は少し申し訳なさそうな表情を浮かべてから、「大丈夫だから、少し待っていてね」ともう一度繰り返した。それで私はその後ずっとこの部屋で一人膝を抱えている。

これからどうなるんだろうとか、どうしたらいいんだろうとか、そういう不安はもう考え尽くしてしまった。考えても考えても、ここからポジティブ思考に向かうというのは絶望的な事態だった。ここが単純にどこかの山奥なのか、それとも本当に時間を遡ってしまったのかは多分何日か過ごせばすぐに分かる。文明というのは中々切り離せないものだ。特にこういう大きな建物なら。けれども、それは何日か過ごすこと前提な訳で。

―――帰れるのかなぁ…。

もうじき日が暮れる。この周りが本当に森なら、暗くなってから移動するのは難しい。

―――どちらにしても、今日は泊まるしかないのか…。

既に私の頭の中からは、ドッキリという可能性は消えていた。素人相手にこんな長時間に渡って仕掛けるのはあまりにリスクがある。
残る可能性はタイムスリップか拉致。前者は本当に荒唐無稽だけれど、後者は子どもがいることが気になっていた。見た目年齢なんていくらでも誤魔化せるけれども、私を抱えて走り回った男の子は少なくとも私と変わらないくらいの年に見えた。外から聞こえてくる喧騒の中にも明らかに甲高い子どもの声が混ざっている。小学校の前を通ったときのような賑やかさだ。女子高生を拉致するような団体に子どもがいるんだろうか。でもそろそろ夏休みに入るところも多いだろうし、子ども連れで所属してるとかなのかな…。

考え込みながらおでこを膝に当てると、ぐうとお腹が音を立てた。音を立てたその場所を押さえながら、私は小さく溜息をつく。

「…おなかすいた」

非常事態でもお腹は空くものなんだなと半ば呆れる。
よくよく考えてみれば昼食を取る前にこんなことになってしまったから、朝ご飯以降何も食べていない。鞄があればいつも飴なり何なり入れているけれど、生憎鞄は置いて来てしまっていた。手元にそうめんはあるけれど、乾麺だから茹でなければ食べられない。

ぐううと押さえたお腹から大きな音が鳴って、私はもう一度息をついた。

「すごい音だな」

なはは!と大きな笑い声が間近で聞こえて反射的に顔を上げると、目の前にお盆を持つさっきの男の子が座っていた。いつの間に。だってお腹が鳴って顔を伏せるまでは、確かに誰もいなかった。何の音も気配もしなかったのに。
え、とかあの、とかわたわたしていると、彼は「百面相か」とまた笑った。

「腹減ったかと思っておにぎり持ってきた」
「え、」
「食べるだろ?」

何かの包みを差し出されて、私は彼と包みを見比べた。外側は笹の葉のように見える。微かに葉っぱの良い匂いがするので多分ホンモノだ。笹の葉の包みなんてトトロでしか見たことない…。
包みを観察することにかまけていたせいで受け取ることを躊躇っていると思われたのか、彼はこてんと首を傾けて「いらないのか」と聞いてきた。私がはっとして慌てて手を差し出すと、彼は笑いながら包みを乗せてくれた。

受け取った包みをそっと開くと、中から丸いおにぎりが二つ出てきた。1個が結構大きくて、形は不揃いだった。誰が作ってくれたんだろう。この人が作ってくれたのかな。伺うように彼を見ると、彼は丸い目で私を見つめていた。

「食べないのか」
「え、あの、」
「食べないなら私がもらうぞ」
「…っ食べます!」

彼が本当に手を伸ばしてきたので、私はまた慌てておにぎりを手に取った。ずっしりした白いおにぎり。海苔はついていないけれど、ちらりと中に梅干しが入っているのが見える。途端にまたお腹が鳴って、観念した私はいただきますと呟いて口を開いた。

「…………」
「…………」
「…………」
「……あの、」
「ん?」
「…あんまりじろじろ見られていると、食べにくいんです、が」
「そうか?」

真ん丸い目でじっと見られる視線に耐え切れず俯きながら呟くと、彼は先程とは反対側にこてんと首を傾ける。首の関節柔らかい。そんなこてんと曲げたら痛めてしまいそうなものなのに。

「…………」
「…………」
「……あの、」
「美味いか?」
「え、」
「美味いか?」
「あ、えっと、美味しいです。とても」

口元を手で押さえながらもごもご言うと、彼は「そうか!」と満足げに破顔して頷いた。大きなおにぎりの端っこにかぶりつきながら、私は少し俯く。彼は真っ直ぐ見てくるので視線が受け止めきれない。ほぼ初対面の人間とは思えないレベルだ。現代日本にあるまじきコミュ力といえばそうなのかもしれない。ということはやっぱりここは本当に室町時代なのだろうか。うーん。

結局彼は私が一個のおにぎりを食べきるまで、至近距離でしゃがみながらじっと見つめていた。最後の一口を食べきって飲み込むと、彼はもう一度「美味かったか?」と訊ねた。こくこくと頷くと、彼は「もう一個食べろ!」と笑った。



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