泣き虫と青い鳥


05 泣き虫と困った事実



くノ一?私が?くノ一って、あのくノ一?
私は混乱する思考で固まったまま山本先生を見つめていた。山本先生の表情は笑顔だったけれど、目は真剣そのものだ。え、本当に?疑われてるの?くノ一じゃないかって?
そんな疑いをかけられるだなんて人生初だ。っていうかそんなこと普通あるわけない。くノ一ってだって、女の忍者のことでしょ?書き順じゃないよね?書き順を疑われるって意味が分からないけど。いや、忍者じゃないかって疑われるのだって意味わかんないわ。

「でも、」

冷汗だらだらで固まる私を見て、山本先生は小さく笑った。振り向いた彼女につられて視線を学園長先生に移すと、先生はうむ、と頷きながら私を見た。その頷きを受けて、山本先生は再び私に向き直る。

「貴方はくノ一ではなさそうね」

その言葉に、私は息を吐いて俯いた。けれどもすぐにはっと顔を上げる。いやいや、くノ一として疑われるっていうのもあれだけども、「貴方は違いそうね」っていうのは素直に受け取って良い言葉なのだろうか。喜んでいいの?もしかして鈍くさそうって言われてるんじゃないの?
ほっとしたのも束の間、眉間に皺を寄せた私を見て山本先生は膝を立てた。そのまま膝を擦って私のすぐ前まで移動してくる。正座した膝の上で無意識に握りしめていた拳の片方に触れて、手のひらを開かされた。力を込めて握っていたせいか、真っ白に血の気のない私の手のひらに自分の手のひらを重ねてぽんぽんと撫でる。その一部始終の間、私はきょとんと彼女を見上げていた。

「くノ一として修業したのなら、こんなにきれいな手のひらではいられないわ」

言いながらも私の手に触れている山本先生の指先は、とてもしなやかな動きなのに全体的に少し硬い。男の人のようにごつごつしているというのとはまた違うのだけれど、何というのだろう。お母さんの手に似ているかもしれない。でもお母さんのカサカサした感じというよりは、しっとりしているけど硬いというか。うーん。
私は困りながら山本先生の指を見つめた。それにしてもいつの間に私の指なんか観察していたのだろう。殆どずっと握っていたのに。

「最初に学園長と握手したでしょう?」

私の疑問がまたもやそのまま伝わってしまったらしく、山本先生は学園長先生を振り向いてみせた。学園長先生は「ほっほっほ」ととてもおじいちゃんぽい笑い方で破顔する。
そういえば確かに学園長先生とお話する時、最初に握手を求められた。しわしわの手に触れた感触を思い出して私は自分の手のひらを見下ろす。山本先生に解放された手のひらは、少しずつ血の気が戻ってほんのりピンク色になった。

「貴方本人がくノ一でないのなら気づかれずに七松くん達の部屋に入れるはずがないし、何か不思議な力でここへ来てしまったと言われた方が、私たちは信じられるわ」

言われて私は漸く自分がここへ来てしまった経緯を思い出した。くノ一と疑われたり忍者の学校だと説明されたりとインパクト強い出来事ばかりで隅の方へ追いやられてしまっていたけれど、今一番重要なのはそこだ。
ついさっき私が連れていかれて見てきた森は、確かに私が知る町の中にはないものだった。なら私は知らない間に、知らない場所へ来てしまったことになる。でも私は押入れの中にいただけで意識はあったのだから、押入れごと揺れないように移動させるくらいしか動かす方法はない。でもそんな方法があるのかどうか、私の知識の中ではもう答えなんて見つからなかった。私だって不思議な力でここへ来てしまったのだと言われた方がまだ納得がいく。けれど。

「…あの、」

すみません、と上げた声は自分でも笑ってしまうほど震えていた。正座した膝の上で再び拳を握ってそれを押さえ込む。泣いている場合ではないし、震えている場合でもない。
学園長先生はこちらに向き直って、何じゃ?と尋ねてくれた。その声音が優しいのは、私の震えを感じ取ってのことなのかもしれなかった。

「聞きたいことが、あって」
「おお、答えられるものならば何なりと」
「……今年は、西暦何年ですか?」

私の問いに、学園長先生は困ったようにセイレキ?と聞き返した。それが演技なのかどうか分からない。背中を落ちていく汗が冷んやりと冷たかった。私は拳に更に力を込める。もし、本当に困っているのだとしたら。

「今、幕府はどこにありますか」

学園長先生は、不思議な表情で私を見た。見透かされるような、何も考えてないような、よく分からない表情。私は汗をかきながら、目を逸らさないように彼を見つめる。

「…幕府ならば、京にある。機能しているとは言い難いがのう」

ややあって、学園長先生は低い声でそう言った。その言葉を拾って、私の頭の中は高速で回転する。
日本に幕府ができたのは鎌倉以降3度。京都にそれがあったのは一度だけ。受験時に必死に勉強した私の知識が正しければ、その期間は200年程度だったはずだ。
私は小さく俯いて息をついた。この人達が本当のことを言っているとは限らない。本当は時間の溯行なんて起きていなくて、ただそういうふりをしている人達に騙されているのかもしれない。

「お主まさか」

学園長先生が片目を開く。驚いたようなその表情が演技かどうかなんて、私には見極められなかった。
押入れに閉じこもっている間に気がつかない内に拉致されたというのと、同じく押入れに閉じこもっている間にタイムスリップしたというのとでは、突拍子の無さでは大差ない。

「…私もしかしたら、」

けれども、私が彼らを疑っていると思われるのはあまり良くないような気がした。例えば彼らがわざわざ押入れから私を拉致してこんな訳の分からない芝居を打っているのなら、そこには何か理由があるはずだ。それが分かるまでは、無闇に軋轢を産まない方が良い。

―――でも。

もしも本当にここが、室町時代だったら。
私は眉を下げた。さっきから冷静に働く頭と反対に心臓があり得ないほど脈打っている。
それはどこか訳の分からない団体に拉致されたと考えるより余程途方に暮れる話だった。私は場所を移動する術は知っているけれど、時間を移動する術は知らない。

「…未来から来たかも、しれません」

消え入りそうな私の声に、沈黙が下りた。




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