泣き虫と青い鳥


18 泣き虫と立往生



「とりあえず、外に出ておいでよ」

手を差し出してくれたのは善法寺くんで、私は恐る恐るその手をとった。きゅっと柔らかく握った手のひらが、縮こまっていた体を引っ張り上げてくれる。背骨が軋むような感覚があって、私は軽く眉を顰めた。大丈夫か、と訊ねてくれた食満くんに対しては、小さく頷くしかなかった。

「…どれくらいの時間、経ちましたか」
「まだ一刻経たぬ程度か。それでも結構な時間だが」

立花くんを振り仰ぐと、彼は顎に手を当てながら答えてくれる。一刻という単位が分からず、私は困って首を傾げた。1時間程度ということだろうか。体感ではもっと長く押入れにいたように感じたのだけれど。
昨日押入れに入っていた時間は、一体どれくらいだったろう。入った時に時計を見たわけでもなく、出た時には時計のない世界だったので、正確にどの程度の時間が経過していたのかは分からなかった。けれどもあの時も、体感は1時間程度だったように思う。

「小平太がすぐに戸を開けたがるから、止めるのに苦労したんだぞ」

食満くんが苦笑しながら言った。多分、場を和ませようとしてくれたのだと思う。彼の言葉に七松くんを振り返ると、彼は「ん?」と真ん丸の目で私を見た。扉を開けてすぐ目の前にいた時には気づかなかったけれど、よくよく見てみると深緑の服のあちこちに葉っぱが付いたり泥が付いて汚れている。押入れに入るまでは普通だったはずなのに、と首を傾げると、善法寺くんが笑った。

「あんまり開けたがるから、一度裏裏山までマラソンに行かせたんだ」
「だって、名前が本当に帰ってしまったかどうか気になるだろ」
「まだ中に気配があるから開けちゃダメだって何度も言ったんだけど、こんな調子だから」
「小平太の平均的な裏裏山への往復時間が大体一刻だ。今回は気になりすぎていつもより早く帰ってきたようだから、それを考えても半刻以上一刻未満というところだろう」

後を継いで立花くんが説明してくれる。ウラウラ山というのがどこかは分からないけれども、彼に抱えられて学園内を駆け抜けた時のことを思い出して私は唸った。人一人抱えてあれだけのスピード走れる彼が、往復に1時間かかるというのは多分恐ろしいほど遠い場所ではないだろうか。
とはいえ、彼らが七松くんのタイムを基準に私の押入れ滞在時間を計ってくれたのであれば、それは割と正確な数字なのだろうと思う。少なくとも私の体感よりは正しいのだろう。けれどもそれはあまり喜ばしくない事実だった。だって
、同じ場所で同じように同じくらいの時間を過ごしても元の世界に戻れないのであれば、もう他にどんなふうに動けば良いのか見当もつかない。

「…どうしよう」

ぽつりと零した私の後ろで、潮江くんがフン、と息を吐くのが聞こえた。それがとても素っ気ない音で、敵意すら感じられて、私は途方に暮れるしかなかった。慰めてくれるようにぽんぽんと肩を叩かれて振り向くと、中在家くんが無言でこちらを見下ろしている。布越しのごつごつした温もりに、何だか泣きたくなった。その時だった。

ぐう、と大きな音がして、全員が(あの潮江くんまで)一斉にそちらを向いた。6人の視線を一斉に受けた七松くんは、きょとんとしてから照れたように後頭部をかく。大き過ぎて一瞬分からなかったけれど、どうやら今の音は彼のお腹から発せられたらしい。腹減ったな!と笑いながら言われて、私の涙腺を今にも決壊させようとしていた水分は驚くほど簡単に引っ込んだ。つられたように私のお腹もぐう、と小さく音を立てて、そういえば朝から何も食べていなかったのだということに気が付く。反射的にお腹を押さえると、背後でふっと誰かが笑うような気配があった。

「仕方ない。腹が減っては何とやらと言うしな」

あからさまに溜息をつきながら立花くんが言って、中在家くんがこくんと頷く。
それを受けて、一旦食堂に移動しようか、と善法寺くんが言い、そうしようぜ、と食満くんが笑った。

「よし!いけいけどんどんで食堂に行くぞー!」
「な、七松くん!私自分で歩ける、から!」
「小平太、おろしてあげなよ。ご飯前にあんまり揺らすのは良くないよ」
「えー、だって絶対こっちの方が早いだろ?」
「…もそ」
「んー…?うーん、でもなぁ」
「……もそもそ」
「そうか?長次がそう言うんならなぁ」
「(今後何か七松くんに困ることがあったら中在家くんに相談しよう)」




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