泣き虫と青い鳥


13 泣き虫と自己紹介



「では改めて、私達からも自己紹介といこう」

最初に口を開いた彼は、立花仙蔵だと名乗った。丁寧に学年とクラスまでつけて。
六年生だと呼ばれていたから、六年生であることは知っていた。けれども。

「いぐみ?」

聞き慣れないクラス名に、私は反芻して首を傾ける。
『いちくみ』とは聞こえなかった。確かに『いぐみ』と言ったと思う。『ぐみ』というのは、紅組とか白組とか、そういう『組』と同じなのだろうか。それならば『い』は?
意、胃、医、と頭の中で変換をしていると、怪訝そうに眉を顰めた立花くんが「まさか未来人はいろはも知らんのか」と呆れたように呟いた。いろは、と彼の言葉を再度反芻して、私はぽんと両手を打つ。

「いろはの『い』?」
「当たり前だろう。他に何がある」

至極当然のような顔で彼は言って、弓の形の綺麗な眉を片方だけ持ち上げた。その表情は心底呆れているように見える。
いろはかぁ、と一人ごちてから、私はうーむと唸った。昔は組分けにすら『いろは』を使ってたのか。ということは、『あいうえお』で始まる五十音は主流ではないのかな。そんな風なイメージではあったけれど、想像でしかなかった。別にこの年になって『いろは』が言えないわけではないし、書けないわけでもない。けれども今後こうして多数の事柄に関して―――しかも、こういう不安にすら思っていなかった些細な事象に関して―――違和感や常識の違いを見せつけられるのだと思うと、げんなりする。

小さく息を吐いた私には関せず、立花くんは自己紹介を続ける様子だった。自己紹介、というよりは他者紹介だろうか。彼が次に示した人物が、先程から私を延々と疑っている空気垂れ流し状態の隈のある男の人で、リアクションに困った私はとりあえず口を噤んだ。

「そこでふてている奴は、同じく六年い組の潮江文次郎という」
「ふててねえし、勝手に人の名前を教えるな」
「お前などの名前を知ったところで一体何に使えると言うんだ」

隈の人と立花くんは同じクラスらしい。
立花くんにやり込められたらしい彼―――潮江くんが不機嫌そうに押し黙る。ふん、と聞こえた悪態にどう返すのが正解なのか分からなかった。この感じだとお互い触れ合わない方がお互いの精神衛生上良い気がするけれど、今の私はそんなこと言っていられない居候の身の上だ。ここは彼に合わせて反発するより、あまり波風立てない方が良い気がする。
逡巡して一言「よろしくお願いします」と会釈した私に、彼は何も言わず目すら合わせようとしなかった。

「そして私が六年ろ組、七松小平太だ!!」
「……もそ」
「こちらは同じく六年ろ組、中在家長次!!」
「七松くん。と、中在家くん」

続いて立花くんが顔を向けた先に視線をやると、それよりも早く大きな声と笑顔が視界に飛び込んできた。名前を反復すると、彼は「昨日会ったからな!!」と笑う。ほんの一日早く、少しの時間接しただけだけれど、見知った顔があるというのはどことなく安堵感があった。彼の笑顔につられて、私はほんの少し頬を緩める。

「二人は、ろ組なの」
「そうだ!今残っている六年生は全部で六人、各組二名ずつだな!!」

説明してくれる七松くんの後ろで、中在家くんが静かに頷いている。
クラス分けがどのようにして行われているかは分からないけれど、い組が立花くんと潮江くん、ろ組が七松くんと中在家くん。ということは、と視線を動かすと、彼らの後ろにいた二人が一歩前へ出てきてくれた。

「僕らが六年は組。善法寺伊作と、」
「同じく六年は組、食満留三郎だ」

吊り目でふわふわした髪の毛の人が善法寺くんで、吊り目で黒髪の人が食満くんというらしい。けま、という聞き慣れない音に首を傾げると、彼は人好きのする笑顔で「食べるに満ちると書いて食満だ」と教えてくれた。随分珍しい苗字だ。そしてどことなく幸せそうな字面。食満くん、と繰り返すと、彼は「よろしくな」と笑った。

「これで自己紹介は済んだな」

潮江くんの紹介以降黙っていた立花くんが口を開く。
視線を彼に戻すと、色白の口元に指先を添えていた。切れ長の目と視線が合って、私は少々居住まいを正す。
六年生は六人だと七松くんは言った。立花くん、潮江くん、七松くん、中在家くん。そして善法寺くんと、食満くん。頭の中で再度名前を一人ずつ反芻する。
ここは私の知らない場所で、世界で、だから私一人で勝手に動いて出来ることなんてきっと殆どない。学園長先生は、この人達に私を託したのだ。それが適当なのか、思惑あってのことなのかなんて少しお話した私には分かるはずもないけれど。
それでも私は、この人達がいなければきっと、帰ることも生きることも出来ない。

「…突然こんな風にご迷惑をおかけする形になってしまい、本当にすみません」

静かに、出来るだけ静かな声で、私は呟いた。握った拳は、上がってきた夏場の気温とは裏腹に既に指先が冷え切っている。

「元の世界に、帰るための道を探したいんです。ご協力を、お願いできませんでしょうか」

大きく腰を折って頭を下げた私には、彼らがどんな風な表情でいるのかなんて見えなかった。




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