イノセント




私の世界は、いつも夜だった。
空は濃い藍色で、月が浮かんでいたりいなかったり。地面は真っ白な砂でできていて、たまによく分からない形の木が生えているけれど、触ると砕けてしまうのであまり触れないようにしていた。いつからここに居たのかは知らない。考えてみたことがあったけれど、結局思い出せなかった。

藍と白の間のだだっ広い空間が長いこと私の居場所だった。けれどもある日、何もなかったはずのそこに白いお城を建てた人がいて、私はその人に拾われた。そうして私の居場所は、その白いお城の中になった。


「ねぇ。ゲンセには、夜じゃないものがあるんでしょう?」
「せやね。朝も昼もあるし」
「アサとヒルはどんな感じなの?」
「んー、どんな言うてもなぁ」

真っ白なテーブルに頬杖を付きながら、私は彼を見る。彼は困ったように首を傾げて、座った椅子をゆらゆらと揺らした。綺麗な銀色の髪が揺れて光を弾く。月のような色だ、とぼんやり思った。

「まぶい、かなぁ」
「まぶい?」
「眩しい言うこと。月やのうてお日さんが昇るんよ」
「おひさん……」
「せやから、こっちと違て明るいし、眩しいかなぁ」

思案するように顎に手を当てながら彼が言ったので、私はふぅん、と唸る。明るいとか眩しい、という感覚を体験したことはまだ無かった。言葉としては知っていたけれど、実感を伴わないので使い方も曖昧だ。だからこそ、その言葉は私にとって特別だった。いつか本当に『眩しい』を見たい。『明るい』世界に行ってみたい。私も。

目の前で笑う彼は、色んな話をしてくれるから好きだった。私の知らない世界のことをたくさん知っている。ゲンセのこととか、ソウルソサエティのこととか。

「ゲンセには人間が住んでいるんでしょう?」
「ぎょうさんおるよ」
「人間は毎日何をしてるの?」
「そら人によるんちゃう?」
「人間はやることがいっぱいあるのね」
「こっちよりはそうやろね」

彼の話す世界のことで、特別好きなのはゲンセのことだった。彼が元々住んでいたのはソウルソサエティの方だと言っていたけれど、ソウルソサエティは死神の世界で、死神は私達が嫌いなんだという。死神に見つかったら殺されてしまうから気をつけなさいと、藍染サマも言っていた。そんな怖い人達の世界は、どんなに綺麗でも嫌だった。だから、私は人間が住むというゲンセの方が好きだった。

人間なんて下等種族憧れるもんじゃない、と言ったのはチルッチだっただろうか。私達は人間の魂を喰らう捕食者で、人間よりも上の存在らしい。彼らには私達が見えないけれど、私達からは彼らが見えるのはそのせいなのだと。でも希に私達が見える人間もいて、その魂は格別に美味しいんだよ、と。ああ、その時も私はふぅん、と唸っただけだった気がする。

覚えている限り、私はこの世界を出たことがなかった。けれどそういう者はここでは殆どいなくて、大抵の者がゲンセで人間の魂を食べたことがあると言っていた。お腹が空くことはあっても、この世界は大きく息をするだけで満たされていくのだ。食べる必要を感じたことはなかったし、美味しいと教えられても人間を食べることには抵抗があった。人間は弱くて、小さくて、儚い。私達とは対極にある、私の憧れの存在だった。

「ギンは人間を食べたことがある?」
「死神は人間の魂なんて食べんよ」
「じゃあ、死神は何を食べるの?」
「んー。何て言うたらええんやろか」
「人間以外に食べるものがたくさんある?」
「せやね。ボクが好きやったんは干し柿やけど」
「ホシガキ、」
「干した柿んことやで」
「かきって?」
「橙色の甘い果物」

これくらいの、と彼が指で丸を作ってみせる。私は身を起こして両手をその輪に当てた。どうやらカキは手のひら大らしい。これくらい?と両手のひらを重ねて包むような形を作ると、そんくらいそんくらい、と彼は笑った。

彼は死神という種族で、私達とは違うのだ。私達のように体のどこかに穴が空いていたりしないし、私達のように仮面も持っていない。人間の魂も食べない。私達とは違う存在。だから、私の知る全てのモノの中で『眩しい』に一番近い存在は彼だった。きっと、そうなのだろうと思っていた。

「ギンは髪が銀色だからギンなの?」
「また唐突に話変わったなぁ」
「違うの?」
「さぁ、どやろ」

私が訝しげに首を傾けると、彼も真似するように首を傾げる。同じ角度で目が合って、私は笑った。彼は同じ笑顔のままだったけれど、ほんの少し口端が上がったように見えた。


私の世界はいつだって夜だった。月のある晩もあればない晩もあったけれど、それは些細な違いだった。ここじゃないどこかに行きたかった。

人間は、どんな形をしているのだろう。私達と大して変わらないと彼は言ったけれど、私達とギンが違うように、きっと人間だって違う形をしているのだ。
話をしてみたい。友達になったりは出来ないだろうか。そもそも見えんよ、とギンは笑っていた。でも、私達が見える人間もいるのだと(そしてそれはより美味しいのだと)チルッチは言っていた。見える人間ならば、話だって出来るんじゃないだろうか。


「ねぇ。ゲンセはきっと、ここより楽しいんじゃないかしら」

呟いた声に、彼は笑うだけで何も言わなかった。

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