なにいろの花束

やわい寶石

レストラン街は最上階だった。
といっても6階とかそれくらいだ。田舎ではないけれど決して都会でもない、普通の町の駅ビルなんてそんなもんだと思う。

平子さんはが「俺はなんでもええ」と頑として好みを言わないので、最終的に私が選んだのはパスタがメインの洋食屋さんだ。アジアンとかだと好みが分かれるだろうけれど、このお店で全く食べられるものがないなんてそんなことはこの人の見た目的にないだろう。メニューが限定されていないなら和食屋さんでも良かったのだけど、奢ってもらう立場的に出来るだけ高くないお店にしたいという気持ちもあった。けれどもそんなことを考えながらメニューを眺めようものなら一瞬でバレそうだったので、一通りぐるっとフロアを見回った後、素知らぬ顔でなるべく即決したのだった。

店内はそれなりに賑わっていて、平日ど真ん中とはいえ夕食時だし、家族連れやらカップルやら友人と楽しそうな団体もいる。前に立つ平子さんが「2名で」と短く伝えた言葉で、私達が案内されたのは窓際の端っこだった。

お手拭きを使ってからお冷やを一口飲んで、「はー」と私は息を吐く。

「何や、疲れたんか?」
「そんな大げさに疲れたわけじゃないんですけど、座って落ち着くとつい」
「年寄か」
「失礼な、花の女子高生ですよ!」

軽口をたたきながら彼が差し出したメニューを見て、たらこパスタを選ぶ。飲み物も選べと言われたので、つけるつもりはなかったのだけどホットコーヒーをお願いした。

「ほぉ」
「お手並み拝見ってやつですね」
「琥珀より美味いコーヒー出すとこなんて見たことないわ」
「いつもありがとうございまーす」
「冗談ちゃうで」

ちょっと照れながら頬をかくと、向かいに座る平子さんが口の端を上げて笑う。
何だか不思議な感覚だった。いつも淡い明りの店内で、正面でない角度からしか彼を見たことがなかったからかもしれない。店内は暖かい色の照明で照らされていて、窓際は外の景色もあってか少し薄暗いけれど、下から差し込む光が微かに彼の顔に陰影を作っている。

見たことのない表情だ、と思った。さっきも思ったことだ。ここへ来る途中の道で。

思ってから、何を馬鹿な事をと思う。

私は彼がお店に来ているときのことしか知らないのだから、見たことのある表情の方が少ないに決まっている。知らないことの方が多くて当然なのだ。怒ったところも悲しんでいるところも見たことがない。私が知っているのは冗談を言って笑う顔とか、喫茶店にいるときの静かで伏し目がちな、あのノスタルジーな表情だけで。

「平子さんは、よく誰かとご飯食べにいくんですか?」

変にぐるぐるとしだした感情を切り離すように、私はお冷やを手にした。ガラスのコップは汗をかいて、伝う雫が指先を濡らす。誤魔化すような私の言葉とは裏腹に、平子さんはいつもどおりの三白眼で「ハァ?」と首を傾けた。

「何や、身辺調査か?」
「え、ごくごく普通の世間話ですけど」
「なんやねん、つまらんのぉ」
「身辺調査されたいんですか、平子さん」
「お嬢さんが俺んこと興味持ってくれとるちゅーことやろ」
「………はぁ?」
「傷つくさかい全部顔に出すんやめや」

平子さんは口を三角に尖らせながら言った。その後はずっと、私の知っている平子さんの顔だった。




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