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紙飛行機に願いを込めた


大きく瞬くと、ぼやけた視界の先には相変わらず藍染副隊長が嫌な笑顔をたたえていた。握り潰す気かと思うほど私の肩を掴む黒崎くんの手のひらの感覚が戻ってくる。そうして、肌に感じるその二人の霊圧。こんなに五感が役に立たなくなっているのに、それだけはまだはっきりと感じる。


『約束してください』


また耳元で声が響く。
彼の霊圧は感じない。すぐ傍に立つ黒崎くんも何も言わない。それでその声が幻聴なのだと理解出来た。ふわりと耳元の花が香る。血の匂いに満ちた私の鼻腔を、甘い香りがくすぐった。


『彼女の手には何一つ残らなかった』


―――違う。

藍染副隊長の言ったそれは違う。私の手にはこの花が残った。浦原隊長が残して行ってくれた唯一のもの。


『香波サン、姫彼岸花の花言葉、知ってます?』

『ボクがこの百年ただ一つ望んだのが貴方の生だと言ったら笑いますか』

『貴方ならあの花言葉を覚えているんじゃないかと思った。だから』


祈るような小さな声で彼が呟いた言葉。そうだ、私はもうあの一言で救われていた。彼にもう一度会いたいというたった一つの願いの為に、生きることを選んだ百年前の私。

『浦原隊長』はもういないけれど、彼は私に未来をくれた。ちゃんと先に進めるように。私の話を聞いて、話を聞かせてくれた。


『喜助、と』


取り落とす寸前だった手の中の斬魄刀がふっと熱くなった気がした。私の半身は、ちゃんと私の気持ちを理解してくれたようだった。
殆ど黒崎くんに寄りかかるようにしていた体の力を振り絞る。踏ん張った左足を一歩前に踏み出すと、肩に触れていた黒崎くんの手が離れた。桜木谷、と驚いたような声が背中から追ってくる。

「飛べ!杜鵑草!!」

掠れた声が喉から飛び出すと同時に、再び姿を変えた斬魄刀を大きく振りかぶった。藍染副隊長が一瞬目を見開いて、それから軽く眉を顰め私の刃を避ける。五枚の花びらをくるくると回しながら、私の半身は彼の横をすり抜けて行ってしまった。
次の瞬間大きな衝撃が左肩に走って、袈裟懸けに切られた私の体は一拍置いてから赤い飛沫を上げた。

霧のように赤く染まった視界の先で、藍染副隊長が少し不満げな表情を浮かべたような気がした。何と無く一矢報いたような気持ちで、私は足元から崩れ落ちる。

「桜木谷…!!」

黒崎くんが焦った声で叫んだのが聞こえた。だいじょうぶ。伝えたかったけれど声が出なくて、私は彼に向かって小さく笑ってみせる。心配しないでほしい。手を伸ばしてくれる姿に首を振ったけれど、彼の表情は見えなかった。

ぐらりと傾いた視界はあっという間に逆さまになった。景色がゆっくり流れていく。空間に霊子を固める程度の力さえ私には残っていなかった。
重力に身を任せて、頬に当たる風をぼんやりと感じていた。子どもの頭は重いというけれど、大人も落ちるときは頭が下なのか、と他人事のように思った。真下に向いている頭を庇った方が良いことは明らかだったけれど、態勢を変える程の体力も無かった。私に出来ることは落下の衝撃が来る事実を受け止めるということだけで、驚くほどのんびり過ぎていく景色を見ながらその瞬間をただ待っていた。

けれども訪れたその瞬間は、思っていた程の衝撃もなく終わった。

ぐ、と呻く声が同時にすぐ耳元で聞こえて、私を受け止めてくれたであろう人が私ごと倒れこむ。そこで漸く現世の硬い地面と灰色が視界に入った。背中はぶつけたけれど大きな手のひらに庇われた後頭部は痛くも何とも無かった。ゆっくり瞬くと、視界の端にきらきらしたお日様色が映った。

「…らこ、たい…ちょ」
「喋んなや、阿呆…っ」

掠れた声で名前を呼ぶと、同じく焼けたような声で彼が怒鳴った。彼のさらさらの髪の毛が頬に落ちて貼り付いているのを見ながら、私は眉を顰める。彼の体も私の体も赤く染まっていたけれど、どこからどこまでが自分の血なのか分からなかった。
体が熱い。痛みはもう殆ど感じず、ただ息が苦しかった。なのに酷い眠気に襲われていて、細く瞼を開けているのがやっとだった。目を閉じてしまえばどうなるかは容易に想像できた。

―――まだ、

まだだ。約束したから。出来る限りのことをしなければ。まだ死ねない。私のせいで彼が泣くなんて、そんなこと。そんな未来の為に私は、今日まで生きてきたわけじゃ無い。


『香波サン』


ふわりと右手が暖かくなった。この気配は杜鵑草だ。それはつい先程までそうしていたように、彼女と手を繋いでいる時の感覚だった。私の手を離れてしまったのに、まるでそこにいるかのように暖かい。その温もりが誰のものなのか瞬時に理解して、私は眉を下げた。彼女を通して、私はその温もりに触れている。

―――ああ、

よかった、と思った。彼女はちゃんと私の思惑通り飛んでくれたようだった。分の悪い賭けではあったけれど、手のひらに感じる霊圧がそれの成功を物語っている。

―――ちゃんと、伝えてね。

私が死んでいないこと。ちゃんと生きていること。

「…す、け、…さ、」

その霊圧に触れながら、滲んだ視界に笑みが零れた。彼女が頑張ってくれたのだから、私も頑張らなくては。


―――誰よりも大好きな貴方が、もう二度と泣いたりしないように。


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