いつかは戻れると信じた
我儘だと分かっている。自分すらも救えない感情だと。けれども百年という長きに渡って後悔と涕涙に苛まれ続けた私には、他に選択肢がないと思う程確かな胸懐だった。
「―――どういうことだって訊いてんだよ!!!」
怒声を上げた黒崎くんの後ろに立つ。手を伸ばしてその両耳を塞ぐと、驚いたように彼が振り向いた。微かに震えるその目を見て、私は首を振ってみせる。
「おや、漸くのお出ましだね、桜木谷君」
「ご無沙汰しております、藍染副隊長」
黒崎くんの背後から上空へ飛んで彼の前へ出た。私の言葉にほんの少し目を細めて、藍染は笑う。
「随分と懐かしい呼び名だな」
「平子隊長の前で貴方を隊長なんて呼べませんから」
「そんなふうに呼ぶのはもう君だけだろうね」
「そうでしょうね」
話しながら、私は斬魄刀を抜いた。杜鵑草、と小さく名前を呼ぶと、その形状が変化する。蕾が綻ぶように花びらの一枚一枚が大きく広がっていく様を、彼はのんびりと眺めている。完全に変形した杜鵑草の中心に腕を通して手首でそれをくるくる回すと、空を切る音が断続的に発せられて、その音が何故かとても懐かしかった。そう思ったのは、皮肉なことに私だけではなかったようだった。
「懐かしいな。君がそうしているのを見ると、百年前を思い出すようだ」
「そうですか」
「元気になって良かったよ。『彼らがいなくなって以降』の君は見るに耐えなかったからね」
「…どの口が仰るんです」
憮然と答えた私の言葉に、彼は笑ってから「その通りだね」と言った。
私が来ることを分かってか、藍染は霊圧を抑えているようだった。お陰で私は膝をつくことも手が震えることもなく、ほんの少しの耳鳴りだけでこの至近距離に立てている。有難いやら滑稽やらで苦笑しか出てこないけれども致し方ない。
殆ど全ての人が倒れる地面からここまで登ってくるのには時間がかからなかった。私を止めたのは最初の平子隊長の一言のみで、市丸隊長の妨害にすら遭わなかった。妨害の価値もないと思われているのかもしれなかった。
―――それにしても、
目を伏せて小さく息をついてから、私は再び顔を上げて彼を睨んだ。こうして改めて面と向かってみると、すらすら出てくる挑発に唖然とする。よくもまあそんなに的確に神経を逆撫でできるものだ。生来の性悪でないと出来ない所業だと思う。背後に立つ黒崎くんならそりゃあ揺さぶりに揺さぶられるだろう。百年前だったらきっと私も似たようなものだったに違いない。良くも悪くも流れ去った長い長い時間を思って、私は目を細める。
「けれどもそんな無防備に私の前に立つのは、些か早計だったと思わないかい?」
ひとしきり笑ってから、彼はそう言ってその腰の刀に手を触れた。桜木谷、と背後で慌てたような黒崎くんの声がする。それを片手で制して、私は苦笑した。
「貴方の前に立とうと後ろに立とうと、大して変わらないでしょう」
「随分自虐的なことを言うんだな」
「事実ですから」
「それを認識できているだけ、君はそこの彼らより優秀だね」
『そこの』という部分で彼は足元にちらりと目をやった。分かり易い挑発であり、同時に面倒な言動である。私は再び息を吐いた。
「…そういうことを仰ると、平子隊長に後で怒られるのは私なんですよ」
「面白いことを言うね。君に、この『後』が存在すると?」
藍染が小さく首を傾げる。私は杜鵑草の回転を止めて持ち手を握った。
「きっと存在します。私には貴方を倒せないけれど、信じることはできる」
黒崎くんが再び小さく名前を呼んだ。藍染は苦笑を浮かべる。杜鵑草と手を繋ぎながら、私はそんな二人の間に立ちはだかっていた。
私程度の力で目の前に立つこの人を倒せるだなんて思っていないし、黒崎くんの戦いに戦力として参戦できるとも思っていない。
黒崎くんは戻ってきてくれた。卯ノ花隊長も一緒だ。それは虚圏での戦いが終結したということで、織姫ちゃんが救われたということにほかならない。その様子から恐らく被害は最小限に抑えられたのだろう。死神側にも旅禍側にも、死者は出ていない。朽木さんは、約束を守ってくれたのだ。
『尸魂界を、頼みます』
ならば私も、その気持ちに報いなければ。
「浦原喜助かい」
藍染副隊長がその名を口にした。反射的に頭髪が逆立つような感覚を覚えて私は拳を握る。下手な挑発よりも余程苛立たしかった。浮き上がるような霊圧を押さえ込んで、睨みつけた彼は涼しい顔をしている。
「ああ、そうか。君は彼を特別に想っていたんだったね」
「私はあの人の部下ですから」
「そういう意味じゃなかったんだが…まぁいい」
顎に手を当てながらふむ、と唸って、彼はその目を更に細めた。
「しかし彼のことを想うのなら、尚更君はここへ出てくるべきではなかったね」
その口端が愉快そうに上がる。笑っているのだと理解するまでに、何故か時間がかかった。何を、と聞き返そうとした私の背後で黒崎くんが声を上げる。目の前にあった筈の憎らしい姿は一瞬で消えた。それを追うよりも早く、耳元で低い声が響く。
「何故私が君を生かしたのか、疑問に思ったことはなかったのかい?」
双極の丘の時のことを言っているのだと、一拍置いて理解した。一人だけ無傷で生き残ったあの戦場。血の匂いと絶望感が蘇る前に、息がかかるほど間近に彼の姿を感じて背筋の毛がぞわりと波打った。その感覚は、すぐに冷たい鏡の欠片に掻き消された。
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