zzz


かき消された叫び


倒山晶を出た瞬間、それまで多少なりとも結界に阻まれていた霊圧の重みが直に伸し掛ってきて思わず膝をつきそうになった。歯を食いしばってギリギリのところで耐えた私の背を雫が落ちていく。この戦場は既に私が存在することすら許されない場なのだ。冷や汗を掻きながら足を踏ん張って駆け出した。後ろは振り返らなかった。あとに残していく彼らに無用の心配はかけられない。

どこへ行くべきかなんて分からなかった。私がちょこまか動いたところで、正攻法ではどうにもならないことは明白だ。邪道だとしても、手段なんて選んでいる場合ではない。
曲光で自分を覆いながら出来る限り霊圧を低くして、建物の影を飛んで走る。私の小さな霊圧なんて周りに掻き消されて誰も気がつかないだろうと思う反面、それでも藍染の目を掻い潜るなんて出来ないだろうとも思う。だからと言って堂々と歩き回れる程無謀なつもりはなかった。

―――浦原隊長、

しゃがみこんだ灰色の壁に手を触れて目を閉じる。ふわりと微かに香る花の匂いさえ鉄臭い匂いに消されてしまいそうで不安になるけれど、そっと肩口に手を当てるとそこにある花びらに安心した。深呼吸して、その香りをいっぱいに吸い込む。
終わらせなくては。私はその為にここへ来た。決着をつけるのだ。彼がもう苦しんだりしないように。


その時不意におかしなほど大きな斬撃音が響いて、私は目を開いた。

顔を上げるも、直接の戦闘は見えない位置で動いていた為何が起きたのか分からなかった。全ての音がなくなったかのように静寂が降りて、あんなに響いていた剣戟も鳴りを潜めている。動けないほど重かった藍染の霊圧が恐ろしい程小さくなっていた。耳鳴りもしない。灰色の壁を掴むように手を握り締めると、ざり、と砂のような感触が指の先に触れた。次いで、歓声のようなほっとした声があちこちから聞こえ始めた。それが何を意味しているのかなんて、考えるまでもなかった。

―――やった、の?

信じられないような気持ちで、私はそっとその場に立ち上がる。曲光を解こうなんてことは思いつかなかった。その瞬間を見ていなかった私は、ほっとするだなんてことよりも現実感がないという気持ちの方が大きかったのだと思う。それまでそうして移動してきたように霊圧は抑えたまま、よろよろと足を動かして上空が見える位置を目指した。

町の上空に、何人もの隊長格が立っている。その真ん中に藍染がいて、胸の中心を刀に貫かれていた。その刀の柄を彼の背後で握っているのは日番谷隊長だ。その一回り外側に砕蜂隊長と京楽隊長が立っている。三人共遠くて表情は分からないけれど、目を伏せているように見えた。歓声を上げたのは全て地面にいる副隊長以下で、実際に戦っていた隊長達は特別嬉しそうでもない。その気持ちは、分からないでもない気がした。更に視線を動かすと、ゆらゆらと逆撫を揺らす平子隊長の姿を見つけた。頭に怪我をしたのか、頬を汗のように赤いものが流れている。お日様色の髪が夕日のように赤く染まっていた。

―――終わった…?

藍染の表情は遠くからでは見えなかった。けれども肌に感じる霊圧が明らかに小さくなっていて、負傷した事実は間違いのないように思えた。いつの間にか東仙隊長の姿も消えており、藍染側で無事なのは市丸隊長のみのようだ。ここから彼らが反撃に転じたとしても、殆ど無傷の総隊長を擁するこちらが負ける可能性は限りなく低いように思えた。

それでもその事実はひどく現実感がなくて、彼らが遠くに見える位置で灰色の建物に手を付きながら、私は立ち尽くしていた。ぼんやりとした思考が滑るように目の前の光景を通り過ぎる。ああ、そうだ、猿柿副隊長の姿が見えない。彼女は血気盛んだから、やたらめったら飛び出して怪我をしたのかもしれなかった。卯ノ花隊長は彼女のところにいるだろうか。怪我をしたのなら薬を持っていかなきゃ。卯ノ花隊長には不要なのかもしれないけれど、無いよりは役立つだろう。きっとすぐ良くなる。
そうしたら、彼女と話す時間も少しは出来るだろうか。


「みんな……」


呆然と零れたようなその声が聞こえて、私は漸く黒崎くんのことが意識の外になっていたことに気がついた。視線を彷徨わせると、今まで目に留まらなかったことがおかしなくらいすぐ近くに彼の姿を見つけた。その瞬間、耳の中でノイズのような大きな音がして思わず呻いた。反射的に頭を押さえて膝をついた私の脳をじわじわと侵食するような霊圧の波。何が起こったのか理解出来ないまま、再び浮き上がってきた汗がこめかみを伝って落ちていく感覚が妙にゆっくり感じた。

「みんな一体何をしてんだよ!?」

叫ぶように言った黒崎くんの声に顔を歪めながら視線を上げると、先程と殆ど変わりない景色に違和感を覚える。皆が視線を向けたその先。胸を貫かれた藍染がいたはずの、その場所。

息を飲んだ音が喉の奥で悲鳴のように響いた。見開いた視界の先で、その刀を握っていたはずの日番谷隊長の唇が雛森、と動く。そのあまりに凄惨な光景に、私は左手で口元を覆った。
考えるよりも先に視線が動いた。そこにいないということは、別のどこかにいるということだ。忙しなく左右に動く視界の端で、赤い飛沫が迸った。

「くそが…ッ」

悪態をついた平子隊長の声が耳に届いた。私から上空にいた彼らを挟んで反対側の位置に上がったその血飛沫は、吉良副隊長と射場副隊長のものだ。そうだ、彼らは乱菊さんと雛森副隊長を治療していたはずだった。即座に倒れ伏した彼らの無事を確認する為に霊圧を探ろうとしたけれど、先程よりも更に上がった藍染の霊圧に邪魔されてそれはできなかった。

「…いつからや……」
「いつから……?」

二人の副隊長を切り捨てた刀を手にしたまま、藍染は悠然と平子隊長を振り仰ぐ。血の一滴すらついていない、真っ白な装束が風に吹かれてひらひらとはためいていた。静かな声なのに、離れた私の場所でもそれははっきりと聞き取れた。

「面白い事を訊くね。ならばこちらも訊こう」

私は口元を抑えたまま、カタカタと震え始めた体を丸めていた。目を逸らしてしまいたいのに、視線が動かせなかった。隊長だった頃からは想像も出来ないほどの冷たい霊圧だった。抗う術を持たない私の耳に絶望的な言葉が滑り込んだ。


「一体いつから―――鏡花水月を遣っていないと錯覚していた?」



prev next