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この身、果てるまで


先程まで戦闘が行われていたのは町の四隅だった。私は斑目さんの腕を掴んだまま何度も硬い地面を蹴って瞬歩を重ねる。時折横からくぐもった声が漏れていたが構わなかった。呻き声が出せるならば彼はまだ大丈夫だ。
移動中、上空で多数の霊圧が弾けるように上昇したのを感じた。前哨戦が終わり、本戦が始まったのだ。恐らく射場副隊長や狛村隊長もそちらへ向かうだろう。けれどもまだ大将戦ではない。先鋒は勝利したとは言え、被害が出なかったわけではないのだ。今後の戦いはもっと激しくなる。

あらゆる霊圧から遠い場所を一点選び、着地する。技術開発局の作ったレプリカとは思えない、現世そのものの硬い地面。鼠色の背の高い建物の裏側で、足を止めた途端に班目さんがくずおれた。それに引き摺られるように膝をついて、私は漸く肩に回していた彼の腕を外した。荒い息をする彼の横で倒山晶を張る。半径2m程度の小さな結界だったけれど、無いよりはましだった。

「生きてますか」
「……っせえよ…」

今にも消えそうな掠れた声で、班目さんが悪態をつく。それに何故だか泣きたいほどほっとした。けれども、今は呑気に胸を撫で下ろせる場合ではない。

「治療します」
「…余計な、」
「さもなくばここで穿界門開いて四番隊に引き渡します」
「…………」

容赦なく切返すと、班目さんはむすっとした顔で口を噤んだ。「この後も戦闘に参加したいなら大人しくしていてください」と追い討ちを掛けて、私は袂からいくつかの薬を取り出した。こちらに来る前、伊江村三席にかなり無理を言って分けていただいたものだ。
私は回道が得意でない。先だっての現世での戦闘時、それを強く認識した。今までそれで問題が無かったのは、私が基本的に自分のことしか見ていなかったからだ。自分の霊圧を使って自分の体を治すなら、重傷でなければどうとでもなる。相性もない。けれど、他人を救うにはそれでは足りないのだ。

「とりあえずこれとこれ、飲んでください」
「……」
「水なしで飲めると伊江村三席が仰っていました。そんなじっと見なくても大丈夫ですよ」
「…そんなんじゃねーよ」

ぶっきらぼうに吐き捨てて、班目さんは渡された薬を口に放り込んだ。ガリガリと噛み砕く音がして、私は首を傾げる。砕いて飲めという指示はなかったが、これで良いのだろうか。まあどちらにしても彼のことだ。常人とは多少扱いが違っても問題無いかもしれない。

「はい。そうしたら上脱いでください」
「ハァ!?」
「ハァ、じゃないです。今一番まずいのは内臓でしょう」
「女が軽々しく脱げとか言うんじゃねぇよ!」
「普段見たくもないのに上裸で戦うような人が何言ってるんですか」

途端に元気になった斑目さんの襟を掴んで強引に左右に開かせようとすると、その前に本人が自分で袷を掴んだ。今しがた拒否したくせにガバっと勢いよく脱ぎ去る姿を見ながら、私は息をつく。私にされるくらいなら自分でということなのだろう。
顕になった体は普段から自慢しているだけあって硬そうな筋肉に覆われている。ただ、今は所々が青黒かったり紫だったり赤く滲んでいたりと大層鮮やかだった。それ以外の部分もすり傷や埃だらけで、まっさらな部分なんてひとつもない。思わずその姿に眉を顰めた。

いただいた軟膏を指に掬って特に傷のひどそうなところへ塗りこむ。薬には限りがあるから、全てを斑目さんへ使ってしまうことはできない。使えるのは最低限。そこからは、私の下手くそな回道で何とかするしかない。
肌に触れた瞬間、彼は小さくぴくりと体を動かしたけれど、もう呻いたりはしなかった。
暫く、私達は無言で薬を塗っていた。小さな瓶に入った白い軟膏を、掬っては塗り広げる。その内、飲み込んだ薬の効果が出てきたのか少しずつ班目さんの霊圧が回復してきた。そこで私は手を止めて、再び息を吐いた。後は私の力次第だ。

「……馬鹿だと思ってるだろ」

残っている軟膏に蓋をしている最中、班目さんがぽつりと呟いた。彼にしては珍しい、自虐的な台詞だ。驚いて顔を上げたけれど、そっぽを向いている彼とは目線が合わなかった。

「………。思ってますけど」
「……チッ」
「何ですかその反応。聞かれたから素直に答えただけじゃないですか」
「うるせえよ馬鹿」
「こちらの台詞です」

薬を元通り袂にしまい終えて、私は彼に向き直った。灰色の建物の壁に背を付けて寄りかかっている彼は、罰が悪そうに斜め下を見ていた。それがまるで怒られた子供のような仕草で、今まで一度も見たことのない姿だったので、違和感のような不思議な感覚を覚えた。ここ最近、彼と対峙してこういう表情になるのは私ばかりだったはずだ。

「ずるいですよ」
「……何が」
「人に死ぬなって言っておいて自分はとっとと死のうだなんて」
「別に死ぬつもりで戦ったわけじゃねえよ」
「つもりだったでしょう。負けたら」
「…………」

口を噤んだ彼に、私も口を閉じた。この人達はいつもそうだ。正面から何の小細工もなく大きな敵にぶつかっていく。鬼道すら使わず、自らの斬魄刀一本で。そうして負ける時は死ぬ時だと言って憚りもしない。それを、周りがどう思うかなんて考えもしない。

―――ましてや、残された者がどう思うか、なんて。

ぐっと拳を握って、私はその場に立ち上がった。一歩しか離れていなかった彼の目の前に立ち塞がって、ちらりとも目線の合わないその頬に手を伸ばす。両手で両頬を挟んで無理やり上を向かせると、そこで漸く驚いたように大きく開いたその目を見ることができた。

「私は生き残ります」
「……」
「でも私は、私の大切な人達が一人でも欠けた世界に生き残ろうだなんて欠片も思っていません」

私の力は小さい。
誰かを守ることなんて出来ない。自分を守ることすら自信がない。けれど、譲れないものがある。

「……浦原隊長が居れば十分だろ」

沈黙していた班目さんが、小さく掠れた声で零した。予想外の言葉に思わず言葉が止まった。百年前の私ならば、もしかしたらその通りだったのかもしれない。なんてぼんやり思いながら、再び逸らされてしまった視線に私は唇を引き結んだ。

ずっと、自分の為に生きてきた。ただもう一度浦原隊長に会いたくて、その為に只管自らを生かすことだけを考えてきた。周りにいる人たちのことを、省みることもしなかった。
隊長が居なくなった日のように誰かを失うのが怖くて、何度も繰り返し話しかけてくれる檜佐木副隊長を煩わしく思ったことがあった。差し伸べてくれた乱菊さんの手を振り払った。班目さんに背を向けて逃げ出した。
それでも私を諦めずにいてくれた人たちを、守りたいと思う。

「……焼餅ですか」
「っな、馬鹿かお前!」
「百年前の私だったらきっと、頷いていたと思います」

ムキになって怒鳴った班目さんと再び目が合った。この人にはずっと、こうしていて欲しいと思う。

「でも私は、斑目さんも乱菊さんも檜佐木副隊長も、浦原隊長も諦められません」

命を掛けても、なんてもう思わない。私の命程度で贖えるものではそもそもないのだ。だから私は私の大切な人達が私を思ってくれるように、大切に思いたい、と思う。
班目さんは少しだけ目を丸くしてから、また視線をそっぽに逸らした。わがままなやつ、と呟いた声が聞こえたので、その輝かしい額に向かって頭突きをお見舞いする。変な悲鳴が上がって、私は笑った。予想通りの石頭だったけれど、意外性も加わってか思ったよりダメージを与えられたらしい。

「そうです。私はわがままなんです」
「……」
「でも、私をわがままにしたのは、斑目さんたちなんですよ」

私の手を、離さないでいてくれた。見捨てず、何度でも立ち上がらせてくれた。
だから私は今、この場所に立っていられる。

「責任とってください」

真面目な顔で言い放つと、彼は一瞬きょとんと目を開いた。けれどもすぐに、ばーか、と言って笑った。

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