zzz


ロジック崩壊中


この喧騒の中に、自分がいるという事実がまだ信じられなかった。馴れない酒を口にしたせいか、頭に靄が掛かっている。夢の中というより、まるで妄想の中のようだった。今まで遠ざけてきた全てがここにある気がする。うんざりするほど明るくて狂おしいもの。

酒の席だからかこの人達の性格故かその両方からか、話題は尽きなかった。どの隊の誰がすごい、強い、いやそうでもない。こんなことがあった、あんなことがあった。日常のそんなところまでよく覚えているな、と感心さえ覚える。毎日をほぼ同じように過ごしている私からは、その起伏に富む生活は異質そのものだった。羨ましいと思わない代わり、疎ましいとも思わない。けれど話を聞いているだけで、何故だか心地良い。

「桜木谷、ほらもう一杯呑みなさい」
「いえ、私はもう」
「なぁにー?あたしの酒が飲めないって言うの?」

既に最初よりもとろんとして完全に酔っ払いモードの松本副隊長が瓶子を差し出してくる。話には聞いたことがあったけれど、この台詞を実際に言う人間がいるとは思っていなかった。私は軽く両手を挙げて困ったように首を傾げる。そもそも酒を呑む機会などこれまでに数えるほどだった。最後に呑んだのがいつだったかなどもう覚えていないほど前の話だ。一、二杯でこんなに頭がぼんやりしているのに、更に呑めばどうなるかわからなかった。
助けを求めるように檜佐木副隊長を見たけれど、彼も既に酔っている。「なんだー、乱菊さんの酒が飲めないのか桜木谷ー」なんて間延びした返答を得て、味方はいないのだと溜息をついた。他の人間は話を聞いてさえいないようだし、聞いていたところで全員酔っ払い。大して言われることは変わらないだろう。

「じゃあ、一杯だけ」

お猪口を両手に乗せてほんの少し傾けると、ふっふっふー、と嬉しそうに松本副隊長が笑う。どぽどぽと勢いよく瓶子から酒が注がれて、慌ててお猪口を引くと注ぎ切れなかった日本酒が器を持つ手を濡らした。あーあ。心の中で呟きながら、私はお手拭きを手にした。松本副隊長はあらら、なんて言って悪びれもしない。

「桜木谷は護廷十三隊入って長いのよね?」
「ええ、少し」
「どれくらいなの?」
「あー…、百年ちょっとですか」

きっと、何の気なしに聞いた世間話程度だったのだと思う。私は少しだけ逡巡して答える。こうして改めて聞かれることなど、今までなかった。だから、適当に誤魔化そうと思ったのだけれど別にその必要もないかな、なんて。酒が入って鈍った思考は、その先のことを考えていなかった。

「百年!?」

驚いたように叫んだのは松本副隊長ではない。いや、松本副隊長も驚いた顔をしていたけれど、それ以上に周りの男性陣が大きく驚いていた。当然だ、私はこの場にいる誰よりも席順が低いけれど、誰よりも長く瀞霊廷にいる。特に阿散井副隊長や吉良副隊長に関しては、彼らが真央霊術院に入るよりもずっと早く護廷十三隊に入隊しているため、衝撃が大きかったらしい。予想以上の反応に、首を竦める。

「まいったわ、あたしより早いのね」

右手でその豊かな髪をかきあげながら、松本副隊長が呟いた。この人は確か三番隊の市丸隊長と同期だったか。彼については彼が入隊した当時、その並外れた実力について噂を聞いたことがある。記憶に間違いがなければその時点で既に私は席官だったはずだ。

「百年てお前…まじかよ」

酔いが覚めたかのような表情で呆然としているのは檜佐木副隊長だった。彼に関しても学生時代の噂を聞き及んでいるので、比べれば私は相当年上に当たるのだろう。とはいえ、現在の私は彼の部下、それ以上でもそれ以下でもない。

「ねぇねぇ!最初に入隊したのってどの隊だったの?」

衝撃からいち早く解放されたのか、興味津々といった顔つきで松本副隊長が身を乗り出す。確かに、なんて同調したのは班目三席だ。最初に配属された隊、なんて聞いてどうなるものでもないと思うけれど、彼らの中では私は近所のおばあちゃんあたりに位置づけされたに違いない。少しだけ古い歴史を知る人物のようなものなのだろう。

「ええと、十二番隊、ですね」

だから、聞かれるままに答えた。本格的に酔いが回ってきたらしい。だんだんと頭の靄が濃くなっていく。
十二番隊、と聞いて嫌そうな声を上げたのはお隣さんだった。十一番隊は総じて四番隊と十二番隊を良く思っていない。うげー、なんて眉を顰めているのを、吉良副隊長が苦笑しながら宥めている。

「でも、十二番隊なんて大変っしたね」

阿散井副隊長も微妙な顔をしながら遠い昔を労ってくれた。その意味を悟って、私はいえ、と首を振る。

「私が入隊したのは、現隊長が着任されるよりもずっと前でしたから」

十一番隊がという問題でなく、恐らくここにいる誰もが十二番隊を苦手としていると思う。有事の際救護に回ってくれる四番隊を悪く言うのは十一番隊だけだろうが、十二番隊はそれとはまた違った存在だった。そしてその最たる原因は、私がそこに入隊したときにはまだいなかった涅隊長なのだろう。何もないなら関わりたくない、というのがその苦手という感覚に一番近い。
そう、私は彼が隊長になる前の十二番隊にいた。それはもう百年以上前の話で、その頃から変わらず護廷十三隊にいる者はほんの一握りのはずだ。靄がかった頭で、私は思い起こす。ずっとずっと昔のこと。御伽噺のように遠い過去。思い出さないように思い出さないようにしていたのに、それをしてしまったのはきっと酔いのせいだ。だから、その名前が出たとき、私は咄嗟に受身を取れなかった。

「ああ、浦原隊長の頃かー」

そう得心したように言ったのは松本副隊長だった。そうだ、タイミング的に彼女は既に入隊していたはずだった。へぇ、と唸ったのは班目三席で、檜佐木副隊長も頷いていた。阿散井副隊長と吉良副隊長の二人は恐らく、その名を聞いたことがなかったのだろう。ウラハラ?と首を傾げた彼らに、知らねぇのかよ、と班目三席が呆れる。

「涅隊長の前の十二番隊長よ。初代技術開発局の局長ね」
「そんな人がいたんすか。俺ら入る前からずっと涅隊長だって聞いてたんで」
「理系かと思いきやスゲー強ぇんだよ。わけわかんねぇ人だったな」
「へぇ」

今頃何をしてんのかねぇ、と呟いた声が少し寂しげで、ああ彼もまたあの人に憧れていたのだ、とぼんやり思った。
多分、いくら歴史に名を残すような偉業を成し遂げていたとしても、あの人の名前が公に語られることはないのだろう。覚えているのは当時を知っている者のみで、だんだんとそれは減っていく。そしていつか阿散井副隊長達のような、あの人を知らない人達ばかりの世界になるのだ。既にそれは始まっていて、そういう世代が副隊長になるほどの時間が経過しているのだと、少し寂しくなった。それだけだった。

松本副隊長が驚いたように目を開いたとき、私は何が起こっているのかよく理解していなかった。酒のせいか耳に綿が詰まったように音がくぐもっていて、そのせいで別の誰かが言った何かを聞き逃したのかもしれなかった。ああ、お酒って怖い。こんなに体に変化を及ぼすものなんだな、なんて他人事のように思いながら、私は何気なく視線を動かす。向かいに座っている三人は三人が一様に、きょとんとしていた。

「桜木谷?」

伺うように口を開いたのは檜佐木副隊長だった。はい、と答えた声は、震えて上手く出なかった。

「ちょっと、どうしたの!?」

何をそんなに驚いているのだろう。台に手をついて立ち上がった松本副隊長を見上げると、ぽたぽたと何かが零れた。手の甲に落ちたそれは、雨のように顎を伝い流れ落ちてくる。

「え?ちょ、は!?」

松本副隊長と私を交互に見比べた班目三席が、更に私を二度見した。視界の端で、それが見えた。
皆どうしたのだろう。何をそんなに驚いているのだろう。私はそんなに重大な何かを聞き逃したのだろうか。
内心首を傾げながら、濡れてしまった手を拭おうとお絞りを取った。そこで、漸く私はそれに気がついたのだった。拭いても拭いても雫が垂れてくる。不思議なことに、私の顔から。

なんでだろう。
わたし、泣いている。
prev next