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鳥かごは空になる


―――杜鵑草、

未だ解放すらしていない刀を手に、逡巡する。
今彼女の名前を呼べば、きっと応えてくれるだろう。けれど私は選んでいない。生きたいのか死にたいのかを決めていない。そんな中途半端な状態で、どうしようもない状況を盾に彼女を制することはしたくなかった。

「めんどくさァ」

相変わらずこちらを見ようともしない破面を余所に、班目さん達が戦っているはずの破面が声を上げる。心底つまらないと言ったその音にちらりと振り向けば、全く動く様子を見せない班目さんと既に血塗れの綾瀬川五席がいた。この人たちはこんなところでまで結局十一番隊なのだ。私は軽く眉を顰める。任務なのだからと割り切って確実に仕留められる方法を選択すれば良いのに、それをしない。二人がかりは趣味じゃねぇ、と言い切った頭が眩しかった。これだから私は十一番隊と合わなかったのだ。

「一気に4対1でやろーよ。ボクが解放して、まとめて相手してあげるからさ」

早々に飽きたらしい破面は、へらへらと笑いながら脇に差した明るい色の鞘に手をかける。それは死神の斬魄刀と変わらぬ形に見えた。解放、という単語に私は内心首を傾げていた。
斬魄刀は死神の持つ力を結晶化したものだ。故に解放後の姿が人によって変わる。では、破面の解放とは。

「……っさせるか!!」

ス、と刀を抜く直前、日番谷隊長が駆け出す。咄嗟に動くべきか迷ったのは多分私だけではなかった。卍解、と叫んだ声と同時に急速に霊圧が上がって、その強さに耳鳴りがする。駆ける勢いそのままに、彼は破面に斬りかかった。その刃が届く前に刀を抜き去った破面の口元に笑みが浮かぶ。

「縊れ、蔦嬢」

氷輪丸の冷気で白く染まる空間から、同じ色の長い触手が伸びた。真っ直ぐにぶつかってくるそれを刀で受け止めた日番谷隊長が、「そんなもんか、」と挑発するように言った。

「よく防いだね!ちょっとショックだよ。意外とやるもんだね、隊長クラスってのは」

冷気が少しずつ風に散らされていく。息を呑むように、私達はそれをじっと見つめていた。斬魄刀の開放も破面の解放も大して変わりはないのだ。ぐんと上がった霊圧を前に思わず身が竦む。

「でもさ、もし今の攻撃が8倍になったらどうかなァ?」

真っ白な冷気が薄くなって現れた破面の手から、刀は消えていた。代りに背中から伸びた触手は八本。私達の想像を超えた姿に愕然とする。その一瞬が、命取りだった。

最初の一本と同様長く伸びたそれらが、同時に日番谷隊長に襲いかかる。動いた瞬間に駆け出そうとしたけれど初動が早すぎた。あっという間に彼は爆煙と衝撃に呑まれ姿を消す。

「隊長!!」

乱菊さんが声を上げて飛び出そうとする。それよりも早く白い煙の中から日番谷隊長が崩れ落ちた。きらきらと舞う氷の粒が場違いなほど綺麗だった。卍解時の霊圧が嘘のように微かにしか感じられない。

「言ったろ、4対1で行こうよ、ってさ」

しれっと言ってみせる破面は、私達の表情に満足げな笑みを浮かべる。それが心底愉快そうな嫌な顔で、自然と眉間に皺が寄った。彼は本気なんて出していないし、出すつもりもないのだ。ただ遊んでいる。護廷十三隊の席官四人を相手にしても、それに負けるだなんて思ってもいない。

「あ、ごめーん。4対8、だっけ」

昏い笑みで言い放った言葉を合図に、背後の触手が大きく動き出した。私達は同時にその場を飛び退ってそれぞれに刀を構える。握り締めた柄がどくんと脈打った気がした。

「……っ君臨者よ、」

―――今名前を呼べば、杜鵑草は応えてくれる。

ちらりと目をやれば少し離れた位置に二体の破面がいる。最初に日番谷隊長と戦っていた一体は、空中に胡座を掻いて傍観の姿勢を取っていた。もう一体は未だこちらに興味を示さない。何のために連れてきたものなのか分からないが、暫くは今戦っている八本足だけのことを考えていて良いだろう。

まだ決めていない。それがこの戦闘中に選べるものでないことを理解している。それでも、ぎりぎりまでは。本当にどうしようもなくなるまでは、彼女に頼らず戦わなければ。

「破道の七十三、双蓮蒼火墜!」

両掌から放つ青い炎が視界を覆う。誰よりも先にそれを撃ったのはこの後の攻撃に鬼道は使えないからだ。殆ど全員の斬魄刀が接近戦向きでは大きく爆発を起こす技は使えなくなる。それでも詠唱を始めれば間合いを調整してもらえるだろうけれど、本体を狙えるのは恐らくこの一回だけ。大した意味がないのだとしても少しでも多くダメージを与えておきたかった。

「……っ」

爆発の中から抱えるほどの真っ白な触手が伸びて私は咄嗟に足元に構築した霊子を分解する。かくんと落ちた上空を見上げれば、私を仕留め損なった蛇のようなそれはすぐに向きを変えた。向かってきた触手を刀で弾き後ろに飛んだ瞬間、別の触手が横から私の体を薙ぎ払う。反射的に腕で庇ったけれど、もろに脇腹に入った衝撃に息を呑んだ。
弾き飛ばされた私が体勢を整える前に、誰かの腕に受け止められた。

「馬鹿か!」

いつもどおり舌打ちをしながら苛々するように言ったのは班目さんだった。それに答える間もなく攻撃を仕掛けてくる触手を避けて別々にその場を飛ぶ。するとまた違う蛇が私達を追って伸びてくるのだ。彼に釣られた訳ではないけれど、私も小さく舌打ちをする。

きりがないわけではない。相手はたった八。しかも操っているのは結局一人だ。ただ、あまりにも硬い。現状普通の斬魄刀である私の刀では刃が通らないし、班目さんや綾瀬川五席の解放した刀も弾かれてしまっている。もしかしたら場所によっては斬ることもできるのかもしれないけれど、それを探すのは骨が折れそうだった。

「何だ、話んなんないね。キミたちホントに護廷十三隊の席官?」

渦を描く触手の中心で呆れたように破面が言う。四人を相手にする彼は息一つ乱していないのに、私達は既に肩で呼吸するような有様だった。つまんない、と吐き捨てたその背から先程よりも素早く伸びた触手が乱菊さんを捕まえた。

「……っ乱菊さん!」
「弓親!!松本!!」

この攻防に飽きたらしい破面は、さもいつでも出来ましたという表情で軽々と綾瀬川五席まで捕まえる。駆け出そうとした私の背後から別の触手が迫るのが見えて、慌てて空を蹴った。鬼道を放とうと掌を向けた瞬間、更に違う触手が伸びてくる。

「桜木谷!」
「……っ班目さ、後ろ!」

腕ごと胴体に縛り付けられるように巻き付いた触手が自由を奪う。手にしていた斬魄刀までその内側に捕らえられてしまった。あっさりと捕縛された私に気を取られた班目さんが、殆ど同じタイミングで捕まった。全員をぶら下げながら、ルピと名乗った破面は口端を上げる。その目線が乱菊さんの上で止まった。

「おねーさんさァ、やーらしい体してるよねェ」

にやにやと笑いながら言う下卑た目に眉を顰めながら、私は考える。全員が捕まってしまった。各々何も考えていないとは思えないけれど、ここを抜け出して味方を助け出す算段を思いつかなければならない。未だ始解すらしていない斬魄刀を持ち直そうとして、隙間なく強く巻き付いた触手に舌打ちをする。まずはこれを何とかしなければ。

「穴だらけにしちゃおうかなあ」

彼が笑った瞬間、乱菊さんを捕まえている触手の先が刺のついた棍棒のように変化した。目を見開いて、私は身を捩る。何をしようとしているかは明白だった。頭で判断するよりも先に、私は不自然な形で触手に巻き取られた斬魄刀を握り締める。何が最善かなんて考えている暇はなかった。

「飛べ!杜鵑草!」

手にした斬魄刀が大きく変化して、刀ごと私を捕えていた蛇を裂断した。がくん、と空中に投げ出されたと同時にそれを投げ去る。大きな手裏剣のような形をした私の半身は、その花弁を回転させながら真っ直ぐに乱菊さんに向かっていった。お願い、間に合って。強く祈りながら、足元に霊子を固めて着地する。一秒とないくらい短い時間のことだった。

「―――桜木谷!」

ほぼ同時に、班目さんが叫んだ。
ちぎれ飛んだ触手と同じものがあと何本かあるのだから、その手を逃れた私を別のそれが襲ってくるのは当然のことだ。手元に武器はない。避けるか鬼道しか残された手段はないが、最初に捕まえられた時のスピードを考えればこの体勢から避けることは不可能に思えた。向かってくる触手が私を捕えるためのものならばともかく、今の行動で機嫌を損ねただろうあの破面が攻撃に転じてくることは容易に想像できる。ということは私がその攻撃から生き残るためには少なくとも最初の一発を鬼道で去なさなければならない。詠唱をしている時間はないなぁ、と他人事のように思いながら振り返ろうとした。その瞬間だった。

「まったくもう、」

呆れたような低い声が耳元で聞こえて私は固まった。ぐい、と肩を抱き寄せられて、視界に映るものが少しだけ遠くなる。仄かに煙草の香りがした。

それまで私がいた場所には、槍のように尖った触手が戸惑うように蠢いていた。乱菊さんを捕まえていた触手は赤い何かに真ん中あたりで切断された上、刺のような先の部分を杜鵑草に切り落とされている。ああ、咄嗟に武器を狙ってしまったけれど、根元から切り離せば良かったのか。ぼんやりとそれを見つめる私の真上で、彼は笑った。

「相変わらずのお転婆ッスね、香波サン」

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