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銀色メランコリー


「……もう一度お願いできますか」
「破面だ、ア、ラ、ン、カ、ル!」
「あらんかる……」
「……お前本当にカタカナ弱いな」

はぁ、と間の抜けた返事をすると、班目さんは額に手を当てて大げさに溜息をつく。これが所謂『頭を抱える』というやつだろうか。失礼なと思いつつも指摘は事実なので否定できず、私は首を竦めた。

「それが虚の進化系だ、と」
「崩玉を使って藍染はそれを量産しているはずだ。何体いるかは分からねぇが、ある程度数は揃ってると見て間違いねえ」
「……難儀な話ですね」
「朽木の件があったとはいえ、あのタイミングで動き始めたってことはそれなりに準備が整ってるってことだ」
「準備、とは」
「こっちとドンパチやる準備に決まってんだろ」

憮然と言い放った彼に、眉を顰める。戦いの話だというのに彼は大して楽しそうでも面白そうでもない。個人戦はともかく、団体戦はイマイチなのかもしれない。なんて呑気なことを考えていられるのは、それが聞いたばかりの話で現実感を得られていないからだ。上層部がどうかはともかくとして、少なくとも私は『破面』なんて単語を初めて聞いたしその存在も知らなかった。藍染隊長は確かに『虚の死神化』なんてことを言っていたけれど、理論上の話じゃないかと考えていたのは希望的観測だったかもしれない。

「とにかく、こちらも早急に準備を整える必要があるってことっす」

口を開いたのは今までじっと班目さんの説明を聞いていた阿散井副隊長だった。
私が連れてこられたこの部屋は六番隊に程近い一室で、執務室や普通の隊舎とは離れているため一般の隊士は滅多に来ない納戸のようなところだった。狭い板張りの部屋の床に丸い座布団だけ渡されて、そこにちょこんと正座している私の正面には膝を立てて直に床に座り込む班目さん。その隣に阿散井副隊長が胡座をかいて座っている、というような形だ。話の流れから察するに、この話を持ってきたのは彼であって、今まで私に延々と説明してくれた班目さんは主体ではないらしい。

「―――昨日、現世に成体の破面が送り込まれました」
「!」

真剣な声音に緊張感が走る。目を見開いた私と反対に、班目さんはそっぽを向いていた。彼は先に話を聞いていたのだろう。頭を過ぎった穿界門前の後ろ姿に、私は拳を握った。彼らは無事なのか。

「想像通りだと思いますが、狙いは間違いなく一護です」
「……黒崎くんは、」
「無傷とはいきませんが無事だそうっす。ただ、多数の人間が犠牲になったようで」
「…………」

険しい顔で阿散井副隊長が続ける。思いもよらない急展開に、置いてけぼりだった危機感が慌てて追いついてくるようだった。ぞわり、と冷たい汗が背を流れて、私は姿勢を正す。
彼らがただの報告のためにこんな話をしているとは思えなかった。目的があって私を連れてきたはずだ。そして、私はそれをまだ聞いていない。表情から伝わったのか、「本題です」と前置きして阿散井副隊長が座り直した。

「技術開発局からの報告を受けて、山本総隊長の命により先遣隊が配置されることになりました」
「斥候、ということですか」
「そういうことっす。面子は現時点で俺とルキア、それから班目さんの3人」

メンバーだけ聞けば、大体どういう経緯で選抜されたのかが想像できる。恐らくその作業は未だ途中なのだろう。先遣隊というくらいだから3人では少なすぎる。とはいえ、現在の尸魂界は余力がない。抜けた三人の隊長の穴を埋めなければならないのに、それほど多くの人数を裂けるわけがなかった。現時点で判明している、もしくは想定されている破面の戦闘力を考えれば少なすぎても意味がない。あと3、4人というのが関の山だろうか。

「桜木谷、お前も入れ」

阿散井副隊長と交代してから黙り込んでいた班目さんが静かに言い放った。はいともいいえとも返答できず、私は口を噤んだまま彼を見た。その目は真剣で、冗談を言っているような表情ではない。辛うじて「何故私なんですか」と問い返せば、これには阿散井副隊長が答えてくれた。

「今こっちは人材不足っす。破面は強いが隊長格を送り込むわけにもいかない」
「…………」
「隊長副隊長以外で、信頼できる戦闘要員が必要なんです」
「戦闘能力に関して言うのなら、私はお役に立てる自信がないのですが」
「桜木谷四席の戦闘能力は一角さんのお墨付きっすよ」

思わず班目さんを見れば、彼はそっぽを向いたままで視線など合わなかった。十一番隊にいた頃から散々馬鹿にされていたように思うのだけれど、それはどうなったのだろう。不審そうな私の目に気がついたのか、彼はこちらを向かないまま「稽古で引き分けだっただろ」とぼそり呟いた。どれだけ昔の話か分からないが、確かに以前彼と刀を交えた際決着はつかず了いだった。けれどもそれは私が十一番隊にいた頃の話で割と昔のことだ。阿散井副隊長に目線を戻せば、「それで十分すよ」と彼は笑った。

「それに双極の丘での桜木谷四席の動き、すごかったっす」

途端、地面に転がってただ彼らが血溜りに伏すところを見つめていた、あの景色が眼底に蘇った。何とかしなければと思うのに、体が動かなくて。助けなくちゃと願うのに、私は結局何もできなかった。あんなにも無力を呪ったことなどなかった。

「……私はあの時、何にもできませんでした」

俯いてもごもごと呟く。突然居たたまれず申し訳ない気持ちになった。彼が、朽木さんが、今無事でいるという事実だけが何よりの救いだった。

「状況把握してなかったら普段通り動けないのは当然っすよ、相手は自隊の隊長でもあったんだし」
「……でも、」
「だああああ!もう!ウルセェな!」

突然班目さんが大声を上げて、私はびくりと目を開いた。さっきまであんなに視線が交わらなかったのに、額に青筋を浮かべた彼がイライラした表情で私の胸倉を掴んでいる。何でこの人イライラすると口の端が上がるんだろう。怒ってるのに口は笑っているとか怖い。

「いいからお前は俺らと一緒に来い!分かったか!」
「え、っと」
「はいかイエスで答えろ!」
「は、え?それってだって、」
「どっちだオラ!」
「……ハイ」

押しに負けた私が首を縦に振ると、彼は漸く私の死覇装を離した。その背越しに見える阿散井副隊長が呆れたようにきょとんとしている。フーっと威嚇する猫のような呼吸をしながら、班目さんは立ち上がった。自然見下ろされる形になって、私は眉を下げた。

「現世に行くぞ」

その声で、彼が何を考えて私を呼んだのか理解した気がした。

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