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メランコリックシンフォニー


習慣だからか、始業と共に私の頭は自動的に仕事用に切り替わった。仕事は好きだ。余計なことを考えずに済むから。誰かが余計なことを話しかけてきたりしないから。
堆く積まれた書類に目を通し、隊長に決裁を頂くもの、他隊に回さねばならないもの、私が処理するものに分類していく。文字を読むのも好きだった。特に、誰かの感情の入り込む隙間のない、小難しい文章は。

「……ふぅ」

半分以上が仕分け終わって、息をつくとそろそろ昼も近かった。こんな晴れた日は食堂に行ってしまいたかったけれど、この時間はどこも昼時でごった返している。かと言ってずらすと今度は中途半端に午後の仕事に間に合わない。
私はごそごそと風呂敷を漁った。この事態は予測済みだ。百回も繰り返せば、流石にわかりきったことだった。

「お。桜木谷弁当か?」

懲りない檜佐木副隊長が、私の後ろ斜めに立つ。朝と逆だとぼんやり思いながら、私は振り返りもしなかった。

「この時間、どこも混んでいると思ったので」
「普段どうしてんだよ」
「外でお弁当を食べることが多いですが」
「今日は?」
「……今日は、天気が良いので」

朝の会話を覚えていたのだろう、副隊長はあーなるほど、と頷いた。そこまで嫌か、とついでの一言もあった。私は朝と同じように首を竦めてみせる。せめて雲の一つや二つ浮いていればまた違ったのだろうが、生憎今日はまだ朝のままの空模様だった。静かに聞いていた東仙隊長が、ふと口を挟んでくる。

「弁当を食べに外に出るなら、天気が良い方が良いんじゃないか?」

至極当然の意見だった。滅多に口を利くことのない隊長の、何気ない一言に私は目線を斜め下に向ける。当然だけれど、流石に隊長格を無碍にすることなどできない。朝と同じ言い訳をするか、と口を開きかけると、代わりに檜佐木副隊長が苦笑した。

「桜木谷は晴れの日が嫌いだそうですよ」
「……ほう」
「眩しいから、雲量9くらいが良いそうで」

東仙隊長が口元に手を当てて黙ってしまった。私は少し眉を顰めた。他人の口から改めて聞いてみると、訳がわからない言い訳だった。他に聞く人がいるとも思えないけれど、これは何か別の言い訳を考えよう。時間がある時にでも。
隊長は何も言わなかったので、私はそのまま取り出したお弁当の包を開き始める。腹ごしらえはとっとと済ませて仕事をしよう。その方が良い。

「桜木谷、嫌いなのは昼だけか?」

未だ話が続いていたかのように檜佐木副隊長が問いかけてきた。弁当箱の蓋を開けた私は、その真意が分からず彼を振り仰ぐ。

「どういう意味でしょうか」
「眩しいから晴れが嫌なんだろ?夜は眩しくねぇんじゃねぇかと」
「……眩しくないですね」
「夜は平気なのか?」
「別に、好きでも嫌いでもありません」

ふーん、と彼は唸った。朝も同じように唸っていたけれど、あの時途絶えてしまった会話と違って今の声音は何か考えている風だった。私は怪訝に目を細める。意味の分からない質問だったが、ただの好奇心なのか。檜佐木副隊長は少しの間迷うように目を泳がせて、すぐにこちらを見下ろした。その鋭い目と視線が合う。

「お前、今日の夜予定は?」
「……は?」
「いや、今日恋次とか松本さんとか何人かで飲もうぜって話してたんだが、良かったら来ないか?」

あまりに突然で、あまりに予想外のその言葉に、私は弁当のことなど忘れてぽかんと目を開く。頭がついていかない。

「言っている意味が分かりませんが」
「は?そのままの意味だろ」
「私は阿散井副隊長や松本副隊長と親しいわけでもありません」
「だろうな」
「そも、副隊長ばかりのその場に私は場違いでしょう」
「班目一角なんかも来るが」
「三席がいれば良いという話ではないです」

あー、と意味のない声を発して、彼は目線を逸らした。恐らく、無茶な話をしているというのは彼自身にも理解するところなのだろう。だから尚の事、この誘いの意図がわからなかった。

「松本さんがお前のこと気になってるらしくてな。機会があったら連れてこいって言われてて」
「……意味がわかりません」
「俺だって無理だろうと思ってたさ、今朝まで」
「…………」
「今朝話して、俺もちゃんと桜木谷と話してみてぇなって思ったんだよ」

松本副隊長との面識はほとんどない。ただ、変わった人だという話は聞き及んでいる。何を切欠に興味を持たれたのか甚だ分からないが、大した意味などないのかもしれない。暇潰しか、適当な思いつきを檜佐木副隊長が間に受けているだけなのかも。彼ならそれが一番考えられる気がした。付け足したような彼の言葉が更にそう思わせた。
蓋を開けたままの弁当から微かに醤油が香っていた。ああ、そうだ。私は早くこれを片付けて、仕事の続きをしようと思っていたのに。ちらりと手元に目をやると、明り取り用の窓から鮮やかな光が差し込んでいた。それが眩しかった。

それは、朝の続きだった。高くて真っ青な色を思い出して、私は目を細めた。くらくらする。そんなはずないのに、足元が揺れた気がした。

きっと今日も、私の期待は外れる。今日は昨日の続きで、明日は今日の続きで、だからきっと明日も私の期待は外れる。それでも毎日飽きずにそれを思って、なのに同時に諦めてもいるのだ。
夜になれば、嫌いな青はその光を閉じる。空を見上げて目眩を覚えることはない。私は自分の部屋で床に転がって、その冷たさに目を閉じるだろう。そんなふうに一日が終わる。ずっとそうだった。百年前も、昨日も、今日も、明日も、もしかしたら百年後もそうなのかもしれない。今更それをどうとも思わなかった。

細めた視界が暗くなっていく気がした。私はもう地面がどこにあるかもわからなくなっていた。きっと、そのせいだ。こんなに空が晴れているから。だから、おかしくなってしまったのかもしれない。

「……わかりました」

たった一言、私は頷いた。どうせ昨日も今日も変わらないなら、もうどうでもよかった。

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