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微炭酸に弾けた涙


班目さんが扉を開けると同時に、薬品や消毒液の匂いが空気に乗って流れてきた。病院の匂いだ、とぼんやり思う反面、心臓は苦しいほど脈打っていた。私を抱えている彼にも聞こえてしまうのではないかと思うくらい大きな音だった。
彼は看護をしている四番隊隊士に何やら告げると、慣れたように歩いて行った。彼が追い抜かしていった人が、皆一様にきょとんとしながら私を振り返る。

「入るぞ」

乱暴なノックと共に、返答も待たず班目さんは一つの部屋に入った。そこは個室で、あの少年のための部屋のようだった。彼らを思っての計らいだろう。最初とは随分待遇が違うな、と他人事のように思った。

「あれぇ、班目さん」

どうしたの?と聞こえたのは女の子の声で、四人の旅禍にたった一人少女が混ざっていたのを思い出す。未だ後ろ向きの私から、彼らの顔は見えない。

「何だ、一角かよ。っていうかお前それ……」

被せるように聞こえた少年の声に、再び身が震えた。覚えている。あの少年の声だ。
怪訝そうなその声音を無視して、班目さんは担ぎ上げたときと同じように「よっと」と私を地面に下ろした。暫くぶりの地面は何となく揺れている気がして、頼りなくなった私は班目さんの裾を掴む。先程まで彼の肩が腹に食い込んでいたせいか、吐き気もあった。

「悪ィ、もう一度聞きたいことがあって来たんだ」

班目さんの声は冷静だった。カタカタと小刻みに震えながら、私は掴んだ手に力を込めた。俯いた私の視界の端に、死覇装が映る。大丈夫?と心配そうに覗き込んだのは髪の長い少女だった。頷くこともできず否定することも出来ず、私は曖昧に目を逸らす。

「何だよ改まって気持ち悪ィ」
「お前の師について、もう一回詳しく聞きたい」
「はぁ?お前そんなにあの人のこと好きなのかよ。ファンか?」
「ふざけんな俺じゃねェよ」

突然、がしっと両肩を掴まれて私はびくりと顔を上げた。そのままくるりと横向きに回転させられて、視界が180度入れ替わる。遠心力で裾を掴んでいた手も離れてしまった。それを心細いだなんて思う暇もなかった。
初めて間近で向き合った彼は、驚いたように目を開いていた。寝台に腰掛けた体にはまだ何箇所か包帯を巻かれていて、それが彼の負った傷の大きさを物語っていた。けれどもそれよりも私の目に残ったのは、その特徴として挙げられていた鮮やかな萱草色だった。

「こいつに聞かせてやってくれ」

ぶっきらぼうに言った班目さんと私を見比べて、黒崎一護は困ったような顔をした。当然だ。私が彼の立場だったとしても困るに決まっている。私は目を伏せて俯いた。とても直視できなかった。
心臓の音がこれ以上ないくらい五月蝿い。このままここから逃げ出してしまいたい。

「―――あ!あんた!」

唐突に響いた大きな声に、私は身構えた。目を見開いた彼は、真っ直ぐに私を指差している。背後の班目さんが怪訝な声を出した。

「は?何だよ、会ったことあんのかお前ら」
「双極んとこでちらっと。つーかその髪飾り、」

黒崎一護が見ているのは私ではなくて花のようだった。咄嗟に庇うように手を添えると、彼は苦笑して私に視線を移す。

「あんた浦原さんの知り合いなんだろ」
「!」
「ここに来る前に言われてたんだ。『赤い花の髪飾りをした女の子には手を出さないでくださいね』とかって」

その瞬間。
ふわりと甘い香りがして、私は瞬いた。髪に差した花が頷くように揺れた気がした。

「結局全然会わなかったからすっかり忘れてたんだけどな」

今の今まで、なんて笑いながら頬を掻く姿は本当にまだ少年で、そこからあの人を透かして見るだなんて出来るわけがない。けれど私は彼から目を離すことができなかった。

―――今日かもしれない、今日かもしれないと思い続けた百年だった。
ただ貴方に会いたくて、私は生きてきた。毎日毎日、懲りずにそれを願っては叶えられない現実に諦める日々だった。それでも、もしかしたら明日は、という思いが捨てきれないまま今日まで来てしまった。

私は置いていかれたのだ。それは貴方が私を必要としなかったからで。

「は?え、ちょ、どうしたんだよ!?」

ぽろぽろ零れ始めた涙を拭うことすらできずに、私は呆然と彼を見ていた。おろおろ戸惑う彼が、私の背後を見上げる。班目さんは無言で、私の頭に手を乗せた。

ここに来ることを躊躇ったのは、突きつけられるのが怖かったからだ。百年も経ってしまった。長い時を生きる死神ですら世代が変わるほどの時間、私は立ち止まっていた。その間音沙汰の一つすらなかったのだ。その理由を考えると、堪らなく悲しかった。やはり私はいらないのだと、私のことなど最早忘れてしまっているのだと、そう確信してしまうのが恐ろしかった。だって。

「…………っ」

だってそうしたら私は、生きていけない。

ぎゅっと瞼を閉じた目尻から、それはとめどなく溢れた。何も考えられない。貴方の笑顔しか浮かばない。
ずっと、忘れられたのだと思っていた。だから連絡も何もないのだと、頭の片隅で私は知っていた。けれどそれを百年間感情だけで否定しながら、貴方が会いに来てくれる日を待ち続けていた。相反する感情に、壊れてしまいそうだった。

「なぁ、泣くなよ!」

慌てたように黒崎一護が言う。少女がどこからかハンカチを差し出してくれて、私はそれを受け取りまた泣いた。彼らの優しさが嬉しかった。

「一角、何とかしろよ!」
「ほっとけよ。好きなだけ泣かせてやりゃいいだろ」
「だってこれ完全に俺が泣かせたみたいじゃんか」
「安心しろ泣かせたのは間違いなくお前だ」
「何ィ!?」

頭の上でワイワイ騒ぐ声が、何故か心地よかった。ハンカチに額を押し当てるようにして、私は泣いていた。泣くなよ、とまたオロオロした声で黒崎一護が言った。班目さんが息をつく音が聞こえた。

「お前あの人が追放されて何年経ったか知ってんのか」
「は?いや、知らねぇけど」
「百年だ」
「!それって、」
「………」

頭に乗せられた班目さんの手のひらが乱暴に髪の毛をかき混ぜる。仕草は全然違うのに、あの日の彼の手のひらを思い出した。離れていってしまったそれを思って泣いた日々が胸を過ぎった。きっともう二度と会えないのだと思いながら、必死に祈り続けた百年間。


『香波サン、姫彼岸花の花言葉、知ってます?』

そう貴方が言ってくれたから、私は今日まで生きてきました。

『“また会う日を楽しみに”』

貴方がそれを願い続けてくれるなら、私はこれからも生きていける。


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