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世界の燃えカス


夕暮れの道を、二人で歩いていた。
小さな任務の帰り道だった。隊長の手を煩わせないようにと気合を入れて出発したのに、結局今日も重要なところは殆ど持って行かれてしまった。私だけでも大丈夫だったのに、と口を尖らせると、彼は笑った。貴方はすぐ無茶をするから、と。

流魂街の外れは静かだった。予定よりも早く終わったから、のんびり歩いて帰ろうと言いだしたのは彼の方だった。その申し出を断る理由もなく、頷いた私は今その背中を見るようにほんの少し後ろを歩いている。上官の前を歩くわけにはいかないというより、彼の背を見ていたかった。十二の文字が秋の風にはためいて、彼の下で働いているのだという現実が誇らしいと同時に何だかくすぐったかった。

「あ。見てください香波サン」
「……彼岸花?」
「あれは姫彼岸花って言うんスよ。彼岸花の仲間ッスね」

ふと足を止めた彼の示す先に、その花はあった。枯葉色に染まりつつある緑の中、それはたった一輪だけ風に揺れていた。彼岸花によく似た姿だ、と思ったけれど、どうやらほんの少し違ったらしかった。穏やかに目を細めて、彼はそれを見つめていた。

「彼岸花より少し小さくて、花の形も違うんです」
「……詳しいですね」
「やだなぁ、そんな気持ち悪いものを見るような目で見ないでくださいよ」
「…………」
「植物のデータも粗方頭に入ってるもんで」

花に詳しいというのは少し意外だったけれど、理由を聞けば得心がいった。彼は薬なども調合したりしていたから、そういうことにも精通していたのだろう。なるほど、と小さく頷いて私は視線を花に落とした。

「彼岸花って、花と葉が同時に存在しない植物なんスよ」
「そう、なんですか」
「花が散った後冬の間だけ葉を出すんス。春になるとそれも枯れちゃいますが」
「…………」
「姫彼岸花は彼岸花と違って、開花時にも葉があるのが特徴ッスね」

へぇ、と小さく呟いて、私はその花を見つめていた。夕焼けの赤を弾いて、それは鮮やかに輝いているように見えた。小さな花は、彩色の乏しいそこで懸命に生きているようだった。
同じように花を見下ろしていた彼が、視線を動かした。ふと顔を上げると、その優しい瞳と目があった。心臓が跳ね上がって、私はすぐにそれを逸らしてしまった。

「ねぇ、香波サン。姫彼岸花の花言葉って知ってます?」

思い出したように、彼はそう言った。図鑑上の植物の情報に詳しいことは納得できたけれど、花言葉はそういう研究には不要に思える。不審そうに眉を寄せる私に、彼は「そんな顔しないでくださいってば」と苦笑した。

「『また会う日を楽しみに』って言うんスよ」
「また、会う日?」
「ええ。ちなみに彼岸花の花言葉は『独立』とか『あきらめ』とかッスね」
「……葉っぱ」
「ね。それを踏まえると、中々素敵な花言葉だと思いません?」

勇気を出して再び見上げた視線の先で、彼は微笑んでいた。こくりと頷くと、「でしょ」と嬉しそうに破顔した。夕暮れが空を赤く染めて、周りには誰もいなくて、鳥の鳴く声と風の音しか聞こえなかった。小さな花がほんの少しだけ笑うように揺れた。世界には私達しかいないような錯覚を覚えて、私は目を細めた。

この人を守りたい、と思った。
道が分たれても、その背が届かない場所に行ってしまっても。その為になら死んでもいいとさえ思った。

笑っていた彼が、困ったようにすっと手を上げた。思わず目を閉じると、持ち上げられたそれがぽすんと私の頭の上に着地する。暖かい手のひらの感触が直接触れて、なのに何故か背筋を冷たい汗が流れていった。だめ、と頭の中で声がする。自分の心臓の音が聞こえるようだった。目を開けて見上げると、彼は私の目線に合わせるように少し背を屈めていた。

「すぐ戻ります」

彼の唇がそう紡いで、私は手を伸ばした。す、と霧のように彼の体が離れていく。行かないで、と叫びたかったけれど声が出なかった。精一杯伸ばした指は、届かなかった。


「………っ!」

目を開けると、真っ白な天井が視界に広がった。何度も瞬きを繰り返して、私は大きく息をする。額を、頬を、汗だか何だか分からない液体が伝って落ちていった。ほんの少し体を動かすと、鈍痛が頭を襲った。なにが、と戸惑うような声が漏れたけれど、実際には唇が動いただけだった。

「―――良かった、目が覚めたんですね」

ふと、少し離れた場所から声が掛けられて慌てて身を起こした。くらりと目眩がしたけれど、白い布の上に肘をついて堪える。思わず顔を顰めた私に、彼は「まだだめですよ!」と駆け寄ってきた。その姿を、私は知っている。

「やまだ、ななせき……?」
「市丸隊長の白伏を受けたんです。まだ動かないでください、桜木谷四席」

白伏、と口の中で繰り返した途端、フラッシュバックのように意識を失う瞬間の光景が蘇った。市丸隊長のひんやりとした指先が胸元に触れて、彼の笑う顔をただ見ているだけだった。ギン、と彼を呼ぶ声が聞こえた。静かに、淡々と、今までのことを語った藍染隊長のそれだった。東仙隊長は何も言わなかった。ただ最初に一度だけ私の名前を呼んだ低い声が、耳にこびりついているようだった。

「……っ朽木さん、阿散井副隊長は!?」

勢いよく起き上がった私に、山田七席が慌てて「まだダメですってば!」と押さえる。大して力の入っていないはずの腕で、ただ肩を掴まれただけの私の体はいとも簡単に枕の中に倒れ込んだ。そこで漸く、この場所が四番隊の救護所であることに気がついた。

貧血の様に揺れる視界に目を細めると、「もう」と困ったように山田七席が息をつく。そうして彼は寝台の横に置かれた小さな椅子に腰掛けた。

「ルキアさんも阿散井副隊長も無事です。心配しなくて大丈夫ですよ」
「旅禍、は」
「一護さんも大丈夫です。重傷でしたけど、命に別状はありません」

静かなその言葉に、私は体の力を抜いた。はぁ、と冗談のような大きな溜息が出る。私がこの場所にいるということは、四番隊が全面的に動いているのだろう。彼らが一命を取り留めたのなら、この後悪化する心配もなかった。

「…その、藍染隊長と市丸隊長、東仙隊長の三名は、残念ながら取り逃がしてしまったそうです」

更に問おうと口を開きかけて、山田七席のその言葉に遮られた。彼は少し罰が悪そうに目を逸らしていて、事実を告げるだけの彼がそんな顔をする必要はないのに、とぼんやり思った。そうですか、と零した私の声が思ったよりも沈んでいたのか、「すみません」と彼は呟く。

「……私、どれくらい眠っていたんでしょう」
「ここに移動してからはまだ3、4時間くらいしか経っていませんよ」
「そう、なんですか」
「四番隊以外の各隊は全て後片付けと情報の整理を命じられて隊舎に戻っているはずです。もう少しここで休んで、大丈夫そうなら隊舎の方に戻っていただいても構いません」
「もう少しって、どれくらいでしょう」
「白伏のダメージが完全に抜けるにはあと1時間はかかると思います。それ以降ですね」

業務モードで冷静な山田七席の声を聞いて、私は目を閉じた。けだるい腕を持ち上げて瞼の上に乗せると、照明を遮ったその重みが気持ち良かった。そうですか、と何度目かになる言葉を紡ぐと、彼が椅子を引く控えめな音が耳に届いた。

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