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役に立たない


双極の解放された姿を、私は見たことがなかった。それは斬魄刀百万本の力を持つという話で、故事に倣うなら間違いなく“最強の矛”と呼ばれる存在に等しい。通常それは隊長格以上の極刑の執行に用いられるため、その姿を見る機会はほぼない。

そんな“彼”の姿を呆然と見ていた私が、駆け出したのはほとんど反射だった。最早誰も止められない、という確信が胸を貫いて、その感情に耐えられなかった。阿散井副隊長も、旅禍も。全て手遅れだ。

「……っ東仙、隊長」

それは逃避に近かったのだと思う。自分より強い誰かに縋りたかったのかもしれない。もしかしたら、何もできない自分を誤魔化すために我武者羅でも動きたかったのかも。必死で足を動かして、私は喘ぐように息をした。苦しかった。

違和感を感じたのは、突然だったと思う。

熱を伝えるように震えていた大気が、一度大きく収縮した気がした。駆ける足を止めないまま、私は再び双極の丘を見上げた。

「………?」

鳥のようにそれは見えた。鳳凰という単語が浮かんで、実在するならばきっとあんな姿なのだろうとぼんやり思った。矛、と呼ばれる名前とは掛け離れたその形に、少しの間見とれていた。綺麗だ、とどこか冷静な自分が呟いた。この距離から見ても、はっきりと見えるほど大きい。

鳥は大きく羽ばたいた。あれに貫かれて彼女は死ぬのだ、と突然怖くなった。あんなものに触れたら、それだけで魂なんて簡単に蒸発してしまう。小柄な彼女の体を思い出して、私は息を詰めた。無意味に叫びだしたい衝動を必死に押さえる。

雉子の鳴くようなけたたましい声が響き渡ったのは、その時だった。

「…………っ!」

びくり、と大きく体を震わせて、私は思わず足を止めてしまった。こめかみを汗が伝っていく感覚が、なぜだかはっきりと脳に届いた。大気が震えてビリビリとその振動を伝えてくる。何が起きて、と考える暇もなかった。

いつの間にか鳥の体に紐のようなものが巻きついていることに気がついた。それは彼の動きを封じた上で、導火線のように大きな霊圧を伝える。刹那、爆発するようにその体が消え去った。耳を貫くような音が駆け抜けていって、その余韻が耳鳴りのように残った。

「え………」

目を閉じることすらできず、私は立ち尽くしていた。それは本当に一瞬の出来事だった。息を付くように声が漏れる。何度瞬きしても、彼の姿は二度と現れなかった。

―――旅禍、それとも他の誰か?

慌てて目を閉じて集中する。双極の丘に集まる霊圧は多い上に大きい。立ち会っているのが隊長格ばかりだからだ。故に、少し集中するだけで誰がいるのかすぐに分かる。
一、二、四、八、十三番隊は隊長副隊長共に揃っている。阿散井副隊長の霊圧は感じない。朽木さんのものも、彼女を縛っている器具のせいか周りにかき消されているのか捕捉できない。そして、明確に異質な霊圧が一つ。

「……旅禍………」

それは数日前、阿散井副隊長の傍で感じた霊圧だった。その時よりも明らかに成長している。隊長格と並ぶ、いや、それ以上か。私は目を開いた。彼は、間に合ったのか。

双極の丘に集まった霊圧が、弾けるように離れていった。いくつもの塊になって散じるその霊圧を追いきれず、私は咄嗟に視線を動かす。それまで目指していた高台から、解けるように巨人の姿が消えた。

「……狛村隊長、」

狛村隊長の卍解だろうそれはもう影も見当たらなかった。止めてしまっていた足が動き始める。そうだ、こんなところでぼんやりしている場合じゃない。

東仙隊長の霊圧を探るけれど、場所が掴めなかった。意図的に消しているのか感じられないほど小さくなってしまっているのかは分からなかった。けれど、直前まであの場所にいたことは間違いなく、そこには狛村隊長もいたのだ。更木隊長の霊圧もまだ残っている。とにかくそこへ向かうしかない。タン、と地面を強く蹴って、私は一気に高台を駆け上った。案の定、そこにはつまらなさそうに座り込んだ更木隊長の姿があった。

「お前まで出てくるなんて珍しいじゃねェか」
「……東仙隊長をご存知ありませんか」
「さァ。さっきまでその辺に居たはずだが気がついたら消えていやがった」
「狛村隊長は」
「突然『元柳斎殿!』とか何とか言ってどっか行っちまったよ」
「…………」

全く面白くない、といった面持ちで、更木隊長はそっぽを向く。ケッと悪態をつく彼が何故姿を消した隊長達を追わなかったのかを考えて、そういえば彼の霊圧探知能力は物凄く低かったのだという事実に辿りついた。もしかしたらそれは底知れない強さの代償なのかもしれない。追いかけたとしても追いきれないのだろうし、それよりも何より彼は最早二人の隊長格への興味が薄れてしまったのかもしれなかった。

すっと目を細めて集中すると、一際大きな霊圧がいくつか。その一つに山本総隊長のそれがあって、狛村隊長は確かにそこへ向かって移動している様子だ。けれどもそこにはやはり東仙隊長の霊圧はない。他のいくつかの塊にも意識を向けるが、そのどれにも彼は参戦していないようだった。それを確認して、私は眉を顰めた。

「……ありがとうございました」
「探しに行くのか。ご苦労なこった」
「自隊の隊長ですので」
「相変わらず真面目くさってんな」
「お褒めの言葉としていただいておきます」

更木隊長は結局ほとんど私を振り返らないまま、さっさと行けとでも言うように手を振って見せる。その背に失礼します、と頭を下げて、私は再び駆け出した。

霊圧を探知すること、察知することに関しては、ほんの少し自信を持っていた。鬼道も並、剣術も並、回天も大して使えない、そんな平々凡々の私が席官に名前を連ねられるたった一つの理由がそれだった。相当の手練が全力で消そうとしない限り、一死神の霊圧を感じ取れないことなどあり得なかった。相手が虚ならば尚の事だった。
けれど東仙隊長はその『相当の手練』だ。彼がもし本気で霊圧を消して隠れようとしたら、私ごときがそれを感じることなどできない。となれば、彼を探す方法は一つ。

「……結局最後は足か」

呟いて、私は息をつく。

蝨潰しに、探すしかない。

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