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されど振り返る勇気などない


暫くの間、私達は無言でお茶を飲みお団子を食べていた。そもそもこれまで会話が続いていたのは走っていってしまった彼女達が積極的に話しかけてくれていたからだと、改めて気がついた。沈黙を気まずいとは思わなかったけれど、こういう場でお互い何も喋らず座ったまま、というのもおかしいのかもしれない。とはいえ、これまで人と会話しようという意思を持たなかった私には、何を話しかけたら良いのか分からなかった。無理に考えようとするともう檜佐木副隊長同様天気の話題しか出てこない。どうしたものか、と考えていると、班目さんが先に口を開いた。

「お前、この後どうすんだ」

突然の言葉にはぁ、と気の抜けた返事を返すと、既にお茶も飲み終えたらしい班目さんがちらりとこちらを見る。緋毛氈に手をついて足を投げ出す姿は、どこか子供のようだった。

「家に帰って寝る、ですかね」
「本当に何にもしねぇんだな」
「最低限はしますよ」
「趣味とかは?」
「特には」

最後の一つのお団子を口に入れてから、私はもごもごと呟いた。今日一日の時間があっという間に流れすぎて、もう黄昏時だというのが信じ難かった。普通の人は普段からこんなふうに一日を過ごすのだろうか。もしそうだとしたら、私の時間と彼らの時間はきっと大きくずれているに違いない。何もない部屋の様子を思い浮かべて、私は目を閉じた。何していいのか分からないんです、と言った言葉は本音だった。

「そんなんで、生きてて楽しいのかねぇ」

悪態をつくように班目三席が言ったので、私は苦笑した。もしかしたら私を見る人は、一様にそう思うのかもしれない。人に無関心で、周りからも無関心で、日々を同じように過ごしていた。毎日毎日、願うことは同じで、期待するのと同時に諦めていた。昨日も今日も明日も、私は同じことを思うのだ。ああ、今日もだめだった、と。

「私の望みは、生きていることなので」

ぽつりと呟くと、隣に座る彼の視線がこちらに動いたのを感じた。私はといえば腰を下ろした緋毛氈の端をぼんやりと眺めているだけで、彼と目線を合わせる勇気などなかった。いつだってこの人は真っ直ぐ前しか見ていなくて、その鋭い視線を受け止めるだけで精一杯なのに。そんな風に強く睨まれたら、それを受けることすらできない。

「何のために、だよ」

班目三席の声はいつになく静かで、いつものように茶化す音でなくて、それが居た堪れなかった。あーあ、と頭の中の自分が息を吐く。皆きっと笑うだろう。そんなことが、と思うかもしれない。そう思うと、自嘲のような笑みしか出てこなかった。けれど、ちゃんと笑えているのかも分からなかった。

「会いたい人がいます」

逡巡して、私は正直にそう言った。本当は隠してしまいたい一番強い気持ち。誰にも言いたくなかった。話してしまえば今まで積み上げてきた全てが壊れてしまう気がした。この百年を、必死に生きてきた時間を。一番深くに仕舞い込んで、上からたくさん蓋をした。それを。けれどきっと今話してしまわなければ、私はこの人達と一緒にいる資格がないのかもしれないと思った。

「私はこの百年を、そのためだけに生きてきた」

絞り出すように、押し出すように。小さな声で私は言った。腰掛けに触れたままだった拳が、かたかたと震える。それほどまでにぎゅっと握りしめて、漸く抑えきれるように思えた。口にするこの言葉を、何度も夢に見たあの人の背中を。
百年、と彼は反芻した。そうしてそれに思い至ったのか、その名前を呟く。

「浦原隊長か……!」

ぴくりと肩が震えた。名前を聞くだけで、心臓が揺さぶられるようだった。思考するのは脳なのに、痛むのは胸だなんておかしな話だ。幾度も虚と戦って血を流してきたのに、内側の痛みはこんなに耐え難い。
班目三席は、じっと私を見ていた。その強い視線が突き刺さるのを感じながら、私はひたすらに俯いて耐えていた。ここで負けることなんて出来なかった。

「あの人が今どこにいるか、知ってんのか?」

私は首を振る。

「連絡は?生きてるかどうかくらいは?」

私は、首を振る。

その度に、何かが剥がれ落ちていくような音が聞こえた気がした。どこから聞こえるのかなんて考えたくもなかった。
私の返答に驚愕したように、彼が口を閉ざした。小さく息を吸う音がして、私は立ち上がりたい衝動を必死に抑える。このままここから駆け出してしまいたかった。

「……本気かよ」

呆れたような、困惑したような声音で班目三席が呟いた。当然の反応だと、私の中の冷静な私が言う。私だっていつもそう思っているもの。馬鹿みたいって。今更他人がそう言ったところで、それがおかしなことだなんて思わない。
唇を引き結んだ私の肩を、彼が強く掴んだ。私は目を合わせないように、じっと足元を睨みつけていた。

「百年だぞ?生きてるか死んでるかも分からないんだろ?」
「……はい」
「お前馬鹿だろ。そんなの、」

その先の言葉は、聞きたくなかった。


『ねェ香波サン、姫彼岸花の花言葉って知ってます?』

あの日、部屋に戻って最初に見つけた文机の上の赤い花。手のひらに乗せるとほんのり甘い香りがして、同時に薄く残されていたあの人の霊圧を感じた。
何度も何度もその花を抱いて泣いた。私にはもうこれしか残されていないのに、霧散してしまった懐かしい霊圧と同じように、いつかこの花も枯れてしまうのだと思ったら余計に悲しかった。
私は置いていかれたのだ。その理由を幾度も考えたけれど、私が必要なかったのだという結論にしか至らなかった。

それでも今日まで生きてきたのは、この花が枯れなかったからだ。今も私を支えてくれているからだ。
あの人はそんなつもりなんてなかったのかもしれない。ただの置き土産程度で、私がその言葉を覚えているだなんて思ってもいなかったのかも。それでも。

それでも。


「……っそんなこと」

反射的に班目三席の手を振り払うと、出た声が自分でも思っていたより大きくて私は思わず顔を上げた。驚いたように目を開いた彼の眉間には皺が寄っていて、いつものように不機嫌な顔なのにいつもと全然違う表情に見えた。居た堪れなさに負けて、私は立ち上がった。

「そんなこと、知ってます」

静かに付け足せば、失礼します、と頭を下げてその場を駆け出した。おい、と呼び止めるような声が背中から追ってきたけれど、足を止めるわけにはいかなかった。これ以上ここに居れば、本当にもう後戻りできなくなってしまう気がした。

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