みんな知ってる

憧れの人がいる。好きな人が。雲の上どころか月の向こうとでも言えそうなほど手の届かない人だ。オーブン様、この島の大臣であり、この国の女王の子でもある。誰にでも気さくで接しやすいこの人は、しかし絶対にわたしなんかに傾きはしないのだ。純粋にわたしに魅力がないというのを差し置いても、オーブン様はいつか女王の選んだ超ハイスペックな女性と結婚することが決まっている。わたしなんかとは比べ物にならないくらい素敵な女性と結婚するのだ。ていうかご兄弟もめちゃめちゃ素敵な女性ばっかだし、わたしなんてもうそのへんの草みたいなものだと思う。カスミソウを名乗るのもおこがましい雑草です。でも、好きになってしまったものは仕方ない。別に結ばれたいだなんて言うつもりはさらさらないのだ。人生で一番嫌いだった勉強をがんばってどうにか部下にまでこぎつけたのだから、ただずっとお仕えできたらそれだけで嬉しい。好きな人は眺めているだけで幸せなのだ。



「ねえ知ってる?ナマエ」
「んん?オーブン様の今日のおやつはフィナンシェだよ」
「違う。違うし気持ち悪いわねあんた相変わらず!また近々シャーロット家で婚姻があるみたいで、次はオーブン様なんじゃないかって噂があって」
「なんだって」

なんと。ついにその時が来てしまったというのか。情報の早い同僚にはお礼にカカオ島のチョコレートを渡しておく。いや、不満はない。シャーロット家の方々は結婚されて割と幸せそうにしてらっしゃるし、きっとオーブン様も素敵な女性と幸せな家庭を築かれるのだろう。とても良いことだ。好きな人の幸せは自分の幸せ。だがしかし、大臣の部下にはジンクスというものがある。大臣が結婚されると、異性の部下は軒並み移動になるという…いや、他の大臣の部下と情報交換できるような役職じゃないので本当かどうかは分からないが、今ほど自然にお傍に寄ることは出来なくなるかもしれない。それは嫌だ。遠くからでも起床時間やお食事の内容や一日の行動スケジュールを把握することはできるけど、出来る限り近くでそのお姿を眺めてたいって思うのは当然のこと。部下でいれればいいのだ。それ以上なんか望まないのだから。

「あ…噂をすれば」
「ん?ああ、ナマエ。おれはなにか噂になってたのか?」
「あ、ええと」

つい思ったままが口から出た。そうだ、次はわたしがご連絡しなくてはならないのだった。いや、こんなごちゃついた頭では仕事にも支障が出るかもしれない。失礼かもしれないが先に確認させていただいて、すっきりしてしまおう。

「すみません。近々オーブン様がご結婚されるかもしれないという噂を耳にしまして」
「結婚?…あァ、例の…」
「あの、すみません。オーブン様が結婚されると、わたし、…たちは、職を離れなくてはならないようになるのでしょうか?」
「あ?ははは、そりゃあ昔メイドの1人が早とちりで……いや、そうだな。もし本当だと言ったらお前はどうする?ナマエ」
「な…んと…本当なんですか…」
「もし、と言ったんだがな。おい、ナマエ?」

どうするもこうするもない。大変困る。オーブン様のお傍にいられないのもそうだし、生活という意味でも非常に困る話だ。どの程度の移動になるんだろう?大臣間で部下の交換なんて聞いたことがないから流石に島を離れるようなことはないとして、降格だろうか。書類整理もある程度情報に触れることになるしそうなればオーブン様との接触は減らないだろうから、本当に雑務程度になるのだろうか。もしくは厨房班に回されるとか。買い出し係とかになるのかな。オーブン様とは全然話せなくなるどころか本当に遠巻きに眺めるくらいしかできないな。嫌だ。

「嫌か?」
「…とても嫌です…」
「はは。…どうして嫌なんだ?」
「嫌です…」
「ナマエ?」

同僚に言われたことがある、あんた気持ち悪いわよと。間違えた、あんた本当にオーブン様が好きねと。気持ち悪いもよく言われるけど。わたしの行動にはオーブン様を好きな気持ちがありありと滲み出ているから、見ているだけで分かってしまうのだと。そう、だって好きなのだ。傍目からでも分かってしまうほど好きなのだ。振り返ってもらえなくてもいいだなんて、そりゃ振り返ってほしいけどそんなことはあり得ないから言わざるを得ないだけで想ってもらえるならそうなりたいわ。わたしに可能な限りの努力をしてコネを使ってやっと手に入れられた唯一がこの立場なのに、過失もなく奪われるのは嫌だ。いやだ。部下だからこんなに話してもらえるのに。冗談だって言ってもらえるような、名前だって呼んでもらえるような関係は、この立場が保障してくれるものなのに。失くしたくなんかない。まだわたしに出来ることはある?どんな方法でもいいの、この人の傍を離れたくないの。



「おいナマエ、しばらく休みをとるたァどういうことだ。どこか悪いのか」
「あ、オーブン様、えっと、ご迷惑をおかけします、申し訳ありません」
「謝罪はいい。理由を言え」
「…わたし、どうしてもオーブン様のそば…っ、部下を、離れたくなくて」
「…?ああ、こないだの話か…?それがどうした」
「異性だから悪いのだろうと思って」
「だからあれはただの噂だと」
「カマバッカ王国の女王を訪ねに行こうかと………え?」
「…あァ!?」
「えっ?え、ええと、件の女王は性別を変えられる悪魔の実の能力者だと…だから、その…男になればこれからもオーブン様にお仕えできると思ったんです、けど」
「それはお前………ハァ…」
「あの…」
「…行くな。結婚するのはおれじゃない。結婚したとしても部下が移動になったりすることもない。…お前が男になる必要もない」
「はぁ………それは……あ、でも、男になった方が何かとお役に立てるかも」
「お前が男になればいいとは、おれは、思わない」
「あ、はい」
「…ハァ、焦って損した。仕事に戻れ」
「はい、なんだかご迷惑をお掛けしてすみません」
「全くだ…」

なんだ、ガセだったのか。オーブン様のお傍にいるためなら性別くらい変わってもいいかと昨日覚悟を決めたのだが、必要なかったらしい。荷造りも必要無かったな。

「大体お前、おれを好いているなら性別には拘れよ…」
「はい?」
「なんでもない!早く仕事に着け!」



(あんたの好意、分かりやすいわァ。誰が見ても一目で分かるくらい)



[ 116/133 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]