解離性バッドフラッグ

「ねえ、わたしがこの結婚を断ったら、いったい誰の首が届くのかしら?」

悪い癖が出たな、と自分で思った。空気が確かにヒリついたのは肌といわず見た目にも分かったが、出した言葉は引っ込めようがない。わたしは大人しくティーカップの底に余っていたハーブティーをすすった。

そもそもの話をするなら、これはなにも今この場で発症した悪癖じゃない。昔からこうだ。だから咎められても仕方がない。昔から、『やってはいけないことをやってしまう』、という夢想を繰り返していた。高いところから飛び降りる、とか。夕飯を煮込んでいる鍋にインクを入れる、とか。誰にでも覚えがあると思う。そしてわたしはごくごくたまに、うっかりそれを実行してしまうことがある。それだけなのだ。それだけなのだが、やってはいけないことはもちろんやってはいけないし、毎日夢想しているなかでのごくごくたまにはそこそこの頻度である。それにしても今回は輪をかけてやってはいけないこと、だった。

目の前で尋常ならない雰囲気を醸し出しているのは、かの有名な四皇のご子息シャーロット・クラッカー様である。彼とは特に初対面などではなく、結婚を前提に何度か顔を合わせて一緒にお茶をしている仲だ。彼は素顔を晒してお喋りをしてくれるし、わたしも結婚に応じるつもりで二人きりでお茶とお茶菓子を用意して、そのお喋りに興じていた。今回で何度目だっただろうか、確か4回目かそこら。兄も姉も妹も弟もいるわたしと彼は些細な話でとても気が合って、お喋りはとても弾んでいた。でもこの悪癖の話はしたことがなかったし、披露するのも初めてだった。とどのつまり、わたしは絶対にやってはいけないタイミングで盛大にやらかしたのだ。詰んだとも言う。両親が居たら泡を吹いて卒倒していたことだろう。もう何を言っても挽回できる気がしないし、自分でやらかしといてなんだが窮地すぎて笑えてきた。

「…そうだな」
「答えなくてもいいわ」
「いや、答えよう」

しかし彼は非常に大人であり、すぐに口角を上げて喋り出した。でも空気はまったく回復していなかったし明らかに先ほどまでと違う目をしていた。分かりやすい営業スマイルだ。返答を遮ったのがさらに場を悪くしたような気がして、わたしは心の中で白旗を上げた。彼が笑顔で、淡々と、わたしの周囲の人間関係をおさらいし始めた。父、母、兄、兄2、姉、妹、弟、仲の良い使用人のアンナとマチルダとオックス、などなど。わたしは相槌を打ちながら頷くしかない。むしろわたしの話したことをよく覚えているものだと感心さえしてしまう。

「この中なら誰だと思う?」
「優先されるのはわたしへのダメージ?それとも世間への見せしめ?」
「どちらもだろうな」
「じゃあ少なくとも使用人はないわね、後々普通に殺される可能性はあるけど」

なんでこんな話してるんだろう。それはもちろん、わたしがとってもとっても余計な言わなくていいことを口走ったからだ。念のため確認しておくが、わたしはあの発言を『結婚したくないから』言ったのではない。『やってはいけないこと』だと思っているから言ったのだ。わたしは少なくともこれまで会ったなかでは彼に対してとてもよい印象を持っているし、結婚するのも悪くないと思っていた。ここまでで完全に論理が破綻しているので誰に対する弁解にもならないのだが。彼だってきっと、結婚に乗り気だと思っていた女が急に喧嘩を売ってきたので理解が追いつかないところだろう。結婚をしようと思っている女は唐突にあんなことを言わない。わたしもそう思う。思っているから口から出た。本当に悪いことをしたと思っているのでそのなんともいえない視線にも口を挟まない次第だ。

「なるほど、他は?」
「見せしめの効果を考えるなら父になりそうだとは思うけれど」

傍目から見ればわたしは自分の家族の命の価値を笑顔で勘定する女だ。書き出した家系図を指で辿って考える素振りをしているが、実際は全然頭が働かない。つむじの辺りに刺さる視線が痛い。顔を上げたらニッコリと擬音がつきそうな営業スマイルを向けられるのでこちらも笑顔を返すしかない。どこからどう見てももうダメだ。わたしが悪い。全部わたしが悪い。でもこれは妥協とかじゃなくて本当にそうだからどうしようもない。後悔先に立たずだ。そんなことは知っていた。やってはいけないことをやったのだから。わたしを救える人間はこの世のどこにもいないというわけだ。誰かこの厄介な女をどうにかしてほしい。

「クラッカー様、そろそろお時間が」
「…ああ、もうそんな時間か」

渡りに船。ノックの音とともに会話が遮られ、ホッとして見送ろうと立ち上がる。次回までに全部忘れていてほしいと思いながら顔を上げたら、絶対に忘れてもらえなさそうな目で見下ろされていた。口角だけ上がった、一切笑ってない目。詰みも詰みだ。もしかして今からわたし死ぬのだろうか。もしくは一旦持ち帰ってビッグ・マムと協議の末殺されるのだろうか。もしこれであの質問の回答が得られてしまうなら、それはもう、どうしよう。

「しかし、断るつもりだったなんて知らなかったよ」
「断るつもりはないわ」
「本当に?」
「ええ」
「ならば今ここで、結婚の約束を取り付けてしまっても?」
「構わないわ」

本当は父や母にも考えていることがあったのだろうし、わたしの一存でどうにかなる話ではないのだけども、ここで頷く以外に何が出来ただろう。だって死にたくはない。家族の首も見たくない。どんどん自分で自分の首を絞めている気しかしないが後の祭り。彼は営業スマイルのまま、鎧を着てわたしの腕を引いた。とんとん拍子で進む結婚話。両親にはあとでおでこから血が出るまで謝罪するしかない。あとはもう、これ以上悪癖を披露しないために部屋に閉じ込めてもらったほうがいいだろう。助けてって言う権利がない。





愉快そうに笑うビッグ・マムと、何も知らない人が見れば愛想よく見えるだろうクラッカー様の笑み。わたしは絶対に余計なことを言うまいとひたすら口に食べ物を詰めている。相槌で粗相は、さすがに、しないと思いたいのだが。

「そういえば、ナマエは誰の首が届くのかを知りたがっていたな」
「首ィ?マーマママ、もしもこのおれの息子と結婚したくないなんて言い出したら…その時は皆殺しさァ」
「だ、そうだ」
「まあ、解答は無かったのね、ふふふふふ」

完全にヤバい女と化しているし、クラッカー様の目は依然全く笑っていないのだけど、挽回の機会は期待しない方がいいんだろう。それより今後悪癖を披露しない方法を考えるほうが賢明だ。例えば今、ビッグ・マムに…ああだからこれがいけないって言ってるのにわたし死にたいのかしら?



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