ST!×1.5 | ナノ
定期テストを終え、一学期を終えた学生たちで賑わう池袋の街に、田中トムはうんざりとした表情で息を吐いた。
夏休みというのは学生にとっての一大イベントである。
部活等による環境の違いはあるのだろうが、学校に行かず自分の好きなように時間を使えるのがこの期間だ。
もちろんトムにも同じような時期はあったが、大人になってみるとそう生ぬるいことも言っていられなくなるのだった。
長期休暇という自由な時間、そして思考能力を低下させる日光と気温。
そのどちらもが重なることで、普段とは違うことをやらかしてみたくなる学生層が確実に存在する。
借金の取立てにその手の層が絡むと面倒この上ないため(未成年というだけでややこしい)、この時期はそんなことを愚痴で零すことも多くなる。
かといってどうこうできるものでもないだろうと、諦めた調子で足を進めた。
すると、やや遠目に金髪長身、この暑さでも変わらないベストとシャツという男の後ろ姿が目に映った。
――静雄じゃねぇか。
誰かと立ち話でもしているのか、静雄の向こう側に人影が見えた。ツバの広い帽子らしきものも見えるが、その背丈からして女だろうか。
珍しい。
そう大分距離を縮めながら、邪魔をしないよう静かに様子を眺める。
会話の内容までは聞こえないが、大人しい静雄の反応を見る限りでは何かの勧誘というわけでもなさそうだった。
しばらくして話が終わったのか、一人で歩き始めた静雄に「よう」と声をかけた。
すぐに振り向いた静雄はトムの姿を確認して「うっす」と軽く頭を下げる。
「あの走って行った子、知り合いかなんかか?」
麦わら帽子にロングスカートという出立で駆けていく小柄な後ろ姿を眺めて尋ねると、静雄は僅かに迷うような間をおいた。
「知り合い、っすね。今日初めて名前知ったんすけど」
その口ぶりからして、一応何回か面識はあるようだ。
それにこれまで名前を知らなかった、ということを加えて考え、トムはあることを思い出した。
「それって、春先に会ったっつー……。なんだっけか、お前に自分のこと大切にしろとか言った女のことか?」
「ああ、そいつです」
「ほー……」
もう姿の見えなくなった話題の中心人物に、トムはそう関心があるように声を上げた。
「『すげぇいい奴』だっけ?」
「少なくとも、悪い奴じゃないと思いますよ。変わってますけど」
「どの辺が?」
「急に顔隠したり赤くしたり、声張り上げたり、あと『声かけさせてください』とか言ってました。普通に声かけてくりゃいいのに」
「ほー……」
首を捻っている静雄は少しも気づいていないようだが、その情報を聞く限り静雄に気があるとしか思えない。
以前聞いた臨也との接点は気になったが、あの男の影に関しては勘のいい静雄が『いい奴』と言っているのだ。臨也が罠を張っているとも考えづらい。
「さっき顔は見えなかったんだけどよ、可愛いのか?その子」
「……俺はそういうの、よくわかんないんで」
「なんとなくだよ、なんとなく。どっかの芸能人に似てるとか」
そう軽い調子で尋ねると、静雄はまたしばらく考えるような間をおいて「そういや」と何か気づいたように口を開いた。
「幽に似てる、ような……。話すと全然違うんすけど、黙ってる時の雰囲気とかが、なんとなく」
「じゃあ美人じゃねぇか」
親しい弟を例に出してくる辺り、静雄としても好印象なのだろう。
そう大まかな相手の人物像を確かめた上で、トムは「よし、静雄」と自分の財布を取り出しながら声をかける。
「これ、お前にやるよ」
「なんすか、これ」
トムが財布から取り出したのは、二枚のチケットのようなものだった。
差し出されたため思わず受け取ると、聞き覚えのある遊園地の名前が書かれていた。
そして『大人』『フリーパス』の文字が目に映る。
なぜいきなりこんなものが渡されたのかと首を捻っている静雄に対し、トムは「遊園地のチケットだ」と見た通り答えた。
「知り合いから貰ったんだけどよ、俺こういうとこ行かねぇし。さっきの子と行って来い」
「野崎とっすか?」
「野崎って苗字なんかよ。そうそう、その野崎って子、誘ってみろって」
そのキレやすい性質と人間離れした身体能力、加えて池袋にはびこる噂のせいで浮いた話を滅多に聞かない後輩である。
せっかくチャンスが巡って来たのなら、環境ぐらい整えてやろうという先輩心のつもりだった。
聞けば静雄が道路標識を投げつけても、静雄を恐れたり避けたりしなかったらしい。それどころか『こんなことは危ない』と言い返してきたとか。
それほど肝の据わっている女もそういないだろう。
「ほら、お前その子に二回も道路標識やら自販機やらぶん投げたんだろ?詫びだよ、詫び」
「……本当にもらっていいんすか?」
「いいって。礼ならなんか土産でも買ってきてくれ」
「うす。ありがとうございます」
普通なら会って数回の相手を遊園地に誘ったりしないのだろうが、トムの助言に従順である静雄はそういうものなのだろうと納得した。
しかしふと思い出したように「あ」と声を上げる。
「どうした?」
「俺あいつの連絡先、知りません」
「次会った時で大丈夫だろ。それ一年間有効だべ」
「へえ、凄いっすね」
そう感心したように頷いた静雄は、トムから受け取ったチケットを財布へと仕舞った。
(いらんことが起こる前に)
「下の名前なんつーの?」「……なんでしたっけ」「おいおい」
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