ST!×1.5 | ナノ

 ここ3か月、買い物以外でろくに外出したことがないと言ったら引かれるだろうか。
 というのも池袋でダラーズの集会があってからこの3か月間、私はほぼ新宿のマンションから足を踏み出してはいなかった。
 一応台所を預からせてもらっている身として食材を買いにく程度のことはしていたが、それも毎度のように折原さんに許可を得て、同行してもらうというこの有様。

 いや別に、外に出るのが恐いとか、私が望んで折原さんと四六時中一緒にいるとか、そういうわけではない。
 私には外出する理由も目的も皆無なわけで、唯一の出先である勤め先は居住内にあり、外出の際は折原さんに断りがいるというだけの話だった。
 そして、それに大した疑問も抱いていない。ないものはないのだから仕方がない。

 まあ、さすがに買い物へ行くにもいちいち許可がいるというのは面倒だけれど。
 少しでも外出するそぶりを見せると、折原さんは必ずどこに行くのかと聞いてくるのだ。
 そこにどんな意図があるのかは知らないが、盗聴器をしかけられた過去を思えば、私の動向に相当関心があるらしい。
 見ているのが面白いとは言われたけれど、そこまでされるとストーカーの領域なのでやめてほしいのだが。

 
「それなら、ずっと部屋に閉じ籠っていればよかったじゃない」
「いえ、話はこれからなんですよ。波江さん」


 そしてその3か月目にあたる7月のこと。
 じりじりとした日光を避けるために波江さんは日傘、私は麦わら帽子を被りながら池袋の街を歩いていた。

 もちろん、この場所にくるのも3か月ぶりとなる。
 街並みにこれといった変化は見られないが、夏休みに入ったのか私服姿の学生らしき若者が多い。
 正臣くんや竜ヶ峰くん、園原さんという子は元気だろうかと思い返しつつ、私は麦わら帽子の縁をなぞった。


「実は私、夏服をほぼ持っていないんです」
「……だからこんな日に、そんな見てるだけで暑苦しいもの着てるのね」


 そう鬱陶しそうにこちらを見やる波江さん。むしろその視線の冷たさが心地良い。

 もともと私の所持服は少ない。普段はあの折原さんが「服、買ってあげようか?」と提案して来る程に少ない服をローテーションで着回している。
 お金がない、外出する機会もない、見せる相手もいない、無駄なものを買おうと思えない――そんなないない拍子が揃って、手持ちが少ない。
 それでも去年の今頃はそれなりに持っていたのだが、ほとんど処分して来てしまった。
 当初はそれでもいけるだろう、そのうち買えばいいだろうと思っていたのだけれど、予想外に外出する機会が激減してしまい現在に至る。

 波江さんの言うとおり、さすがに春先の恰好では耐えきれなくなってきた。
 服を買うと言うこと自体、なんだか気の引けてしまう部分があるのだけれど、天候には逆らえない。


「それに、これから3日間折原さんもいませんし。監視なしで買い物ができる良い機会かなと」
「私はその監視役として、あの男から買い物に付き合うよう言われたんだけど?」


 心底煩わしそうな波江さんに「すみません」と申し訳ない気持ちになる。
 現在仕事で大阪にいるという折原さんは、律儀に自分がいない間も外出するなら言うようにと言い残して新宿を出て行ったのだ。
 だから後でバレても面倒だろうと、一応断りをいれたのが間違いだった。

 今日は休みであるはずの波江さんを、こうして池袋に引っ張り出すことになってしまったのだ。


「まあ、別にいいわ。別給を加算してくれるそうだから」


 そう言う波江さんは、いっそ清々しいほどこれは仕事だと割り切って付いてきてくれている。
 そう言いきってもらえると、こちらとしても罪悪感が少ない。
 波江さんはクールビューティーを通り越してステンレスビューティーだと思う。


「それにしても、よくあんな男の言いつけ守ってられるわね。ほとんど監禁状態じゃない」
「まあ、これでも居候の身ですし……。特に不都合もないので、流されているだけです。むしろ折原さんがここまでする理由がわかりません」


 私の意志からズレているならともかく、この生活で特に困っていることはないから構わない。
 ただ、やっぱりあの人の私に対する関心は受け入れがたいものがある。
 まるでずっと楽しみにしている映画の上映を待ちわびているような、今か今かと期待するように向けられるあの視線には悪寒が走るのだ。

 私に何を期待しているのか知らないけれど、それが数か月前の出来事の延長線であるのはわかりきっている。
 だから流されている反面、警戒心は募る一方だ。


「理由なんて、いつもの質の悪い趣味の一環に決まってるじゃない」
「ですよね。だから今日からの三日間は、少し気が楽です」


 明日もお仕事はお休みで、明後日は波江さんと二人きりだ。
 波江さんは必要なこと以外ほぼ口にしない上、仕事から目を離さない人なので、精一杯邪魔にならないサポートに努めようと思う。
 対応は冷たい人だけれど、私はその割り切った雰囲気が好きだ。折原さん相手にも毅然としている姿には尊敬すらしてしまう。

 そう私なりに波江さんとの外出を楽しんでいた時、はたとその人が立ち止ったことに気が付いた。
 そして顔を反対側の歩道へ向けていることに、何だろうとその視線の先を追ってみると――。

 波江さんの弟である矢霧誠二くんと、3か月前の騒ぎの中心人物でもあった張間美香ちゃんがいた。
 一方的に腕を組んでいる張間さんだが、誠二くんの方も心底嫌そうしているわけでもないようだった。
 そしてそれを見つめている波江さんは、日傘を持つ手が震えていた。

 何でって、恐らく怒りでだろう。
 何事にも我関せずというスタンスを貫いている波江さんだが、弟さんが絡むと、特にそこに女の子が絡むと途端にアクティブになる(いろんな意味で)。


「……後は勝手にしなさい。私は用事があるから」
「わかりました」


 冷え切った底にグツグツと煮えたぎる何かを覗かせた瞳で、波江さんは誠二くんたちの向かっていった方向へ走り出した。
 ……本当に、アクティブだなあ波江さん。そんな姿を見て折原さんは『気持ち悪い』というけれど、折原さんの人間愛も大概だと思う。

 ありがとうございましたと呟いた言葉は聞こえていたのかどうか、走り去ってしまった波江さんを見送って、さてと気分を入れ替えようと前を向いた瞬間だった。


「……あ?」
「……あ」


 見覚えのある人と、バッチリ目が合った。
 私からすれば見上げなければいけないほど高い身長に目立つ金髪、さらに人目を引くバーテン服。
 そんな見覚えのある人は、一人しかいない。


「……お、お久しぶり、です」
「……おう」


 不意打ちだと思っていたのは私だけではなかったようで、その人――平和島静雄さんも若干言葉が詰まっていた。

 ……ええと、最後に会ったのって、道路標識を投げられたあの日だっけ。
 そう思いだした瞬間、簡単に頭が茹って咄嗟に帽子の縁を掴んで顔を隠す。
 だからなぜ照れる私。最初に出会ったときが出会った時で、その時に格好いいと思ってしまったのは事実だけれど。

 あまりにちょろすぎないか、ちょろすぎやしないか。
 
 ううぐと内心悶えて地面を叩いていると「どうした?」と怪訝そうな声が聞こえ、ハッと顔を上げた。


「な、なんでも、なんでもないです」
「……いや、何でもなくねぇだろ。顔赤いぞ、熱中症って奴じゃ――」
「ないです!水分補給はバッチリですからっ」


 そう声を張り上げて、持っていた鞄からお茶のボトルを差し出した。
 ここまでアピールする必要もなかっただろうと気づいた時には、平和島さんが小首を傾げていた。

 ……えええええと。


「っそ、そ、それにしても、今日は学生さんが多いですねっ」
「そうだな」


 目に映ったもので話題の転換に努めると、案外あっさりと頷いてもらえた。
 なんとか、乗り切った。そう心の中で安堵の息をつくと、ほんのり気分が落ち着く。
 ああ、こういう時に追及してこない人ってそれだけで素晴らしい。どこまでも追及してくるような人が、今は身近にいるからなおさら。
  

「そういや、昨日から夏休みらしいな。浮かれたガキが余計なことすんのもこの時期だっつって、職場の先輩が零してた」
「まあ……長いお休みですからね。熱さでテンション上がりきってしまうのかも」


 そうなんとか落ち着いた声で言うと、平和島さんがふと思い出したように「あ」と声を上げた。


「お前、名前は?」
「え」


 突然そんなことを聞かれ、思わず言葉が止まる。
 するとその人は「いや」と何でもないように付け加える。


「ずっと名前聞きそびれてたろ。だから、次は聞こうと思ってよ」
「そう、だったんですか」


 むしろ私、まだ名乗っていなかったのか。
 そのことに驚きつつ、改めて名乗るのも気恥ずかしくてコホンと咳払いを挟んだ。


「野崎ユウキ、です」
「野崎、野崎か」
 

 そう何度か私の名前を復唱してから「多分覚えた」とその人は呟く。


「あんま人の顔と名前一致させんの得意じゃなくてよ。つーか、まず顔覚えんのが苦手だ」
「そうなんですか」
「ああ。それで、前会った時はなかなか思いだせなかった」


 悪いな、と少しバツの悪そうな表情で付け加えるその人に、なるほどと私は納得した。
 そうか、そういう理由があるなら忘れられていてもそれほどショックではない。
 ……ような気もしたけれど、やっぱり覚えてもらえていることにこしたことはない。


「あの、次は覚えていてもらえると嬉しいです」
「おう」


 とりあえずそう頷いてもらえたことに安心した瞬間、鞄から私の着信音が聞こえた。
 誰だろうと慌てて携帯電話を取り出すと、表示されていた着信画面には『美容院』という単語が付属していた。

 電話帳には『美容院』と登録しているが、実のところ波江さんのことである。
 折原さんの仕事の関係上、直接的な名前の表示はしていなかった。


「ちょっと、失礼します」


 そう平和島さんに断りを入れてからどうしたのだろうと通話ボタンを押し「もしもし」と尋ねる。


『……今すぐに駅前まで来なさい』


 そして返ってきた言葉は、物凄く不機嫌そうだった。
 多分、誠二くんたちを見失ったのだろう。


「それは行きますが……、何かあったんですか」
『あのストーカー男から電話がかかってきて、あなたがどうしてるのか聞かれたのよ』
「……え。でも、私には何の着信もありませんでしたけど」
『だから、あの男は趣味が悪いって言ったじゃない。盗聴器を仕掛けるような男が、正攻法で確認してくるわけないでしょう』


 イライラとした感情がありありと伺える声音に、私は「わかりました」としか答えられなかった。
 その後は待ち合わせ場所を告げられ、ほぼ一方的に通話を切られる。

 ……波江さん、滅茶苦茶怒ってるな。


「何か用事か?」


 携帯を仕舞っていると、そんな風に平和島さんから尋ねられる。


「はい、ちょっと待ち合わせに」
「そうか。なんか、引き留めて悪かったな」
「いえそんな、こちらこそ。でも、またお会いできて嬉しかったです」


 思わずそう頬を緩めると、平和島さんもふっと表情を弛緩させた。
 それに何かくるものを感じつつ、なんとかそれを飲み下して、パチパチと自分の両頬を軽く叩く。

 しっかりして、私っ。


「……急にどうした?」
「なんでもありません。その、また見かけたら、声かけさせてくださいっ」


 そう捨て台詞のように言いきる前に、私は駅の方角へと駆けた。



 (三度目の邂逅)



「変わってんなぁ、あいつ」



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