ソルトは深い「眠り」に入った。そこはずっと、何度も通った場所。
ほの暗く、誰もいない道。だがいつもと違うのは、もう確かに意識がここへ来たのではなくもう魂ごとこちらへ来たんだと思った。

『truth』

暗い、凝らすように前を見れば、男性が立っていた。
「シヴァではないのね」そう言えば、男性はこちらへ足をゆっくり運び、「ここは魂だけが通える場所。だからあなたはただ女の性を持つ魂そのもの。現世の名はここでは使えません」ソルト…いや、女はそれを聞くと静かに頷いた。その様子を確認すると男は「着いて来て下さい」と言って先を歩いた。暗闇に男の羽織る白のローブは道しるべ。無音であり、暖かくも寒くもない。すべてが混在するこの道に恐怖心が体を振るわし、わずかに残る好奇心だけが足を動かしていた。しばらく歩いて行った時、ふと隣を見た。遠く、どこまでも続く空間の奥でうっすらと象られた何か。それは、目をこらしてわかった。
人だ ただ黒い影は男が向かう先へと歩いている。ひとつ見つければ、それらは多くいた。何を求め、目指しているのか。
「シヴァの元まで案内をしますが、忠告をしておきます。まず、ここはすべての次元が混ざり合う空間。過去も未来も、死も生も混在する場所。迂闊に他の次元に手を出せば死にますよ」
それから歩いていくうちに見えてきたのは多くの多様な景色だった。それはあちこちに混在し、少しづつ色鮮やかになってきていることに気づいた。
森や町、砂漠に湖。だがそれだけではなく、女が現世でよく見た夢―秩序も着物もすべてが違う所。それが女が進む道の横で広がっていた。人が限りないほど大勢で、群集のように道を歩いている。向かう場所は様々に違う。時々高い音を鳴らしながら動く乗り物。そこへ駆け抜ける二つの影

(こら、待ちなさいっ)(ばーか ちっとは大人しくしろよ。この男女がっ)
(なんですって!)(ひえーん))

奇妙な光景に何故か羨ましく、眩しかった。何故あんなにも楽しそうなのだろうか。
女は胸の奥でどくどくと鼓動するこの感情を知らなかった。
いつまでも眺めていたくて、どうしようもなく苦しくて足を止めてしまった。
それに気付いた男は「早く来て下さい」とソルトを促した。
少しずつ女の意識や記憶はぼやけていく。この狭間を魂だけで象られた体で歩けば仕方がないのだろう。
ぐるぐるとすべての感情と思いが胸の中で焦がれた。







The last sleep

またしばらく歩いていると、暗い道の横で張り付いたような輝く夜空があった。だがそれはガラガラと落ちて、いつの間にかガラクタになり、降ってゆく。
そこで声が聞こえた。その暗闇へ目を凝らせば、とても大きな残骸の中で下敷きになっている子供を見つけた。慌てて道から逸れてその場所へ駆けて、その残骸を避けてはどかして、その子供の傍に立った。腕から血を流してかろうじて呼吸はしていたが、確実に死に掛けていた。大きな残骸の下から持ち上げて、微かに出来た空間を利用してその子をそこから引き上げた。「ひどいっ」腕から滴り落ちた血が足まで伝っている。煤だらけの頬にはいくつも涙が伝っていた。嗚咽を上げて まま、と何度も呟いていた。苦しくて痛いのだろう。
膝にのせて血を拭ってやった。辺りを見渡すが微かに何かが燃えた匂いと、充満する不快な匂い。暗闇で何も見えず、誰かがいる気配もしなかった。
何故、こんな所に子供が―
そう思った時、「何をしているのですか」案内人の男がこちらを見て声を上げた。早く来ないかと言っている。だけど私は膝の上にかかる重みに目を逸らすことが出来なかった。
瞼の裏に灰色の記憶がうっすらと浮かび上がった。そこには小さい頃、一人ぼっちに捨てられた自分。凍えるほど寒くて、乏しさよりも独りぼっちの寂しさが堪えた。愛では何も助けえない。愛で、誰かを救う事はできない。耳の奥そこで救えなかった誰かが耳打ちをする。その時、子供の頬に涙がいくつも伝って首筋に落ちた。
痛くて、寒くて、寂しい、いくつもの感情が交差して泣いていた。女は慌てて話題を逸らすように、あやすように尋ねた。
「ね、ほら、君の名前は何かな」
少し揺さぶって、かつて自身がされてように優しく撫でながら聞いた。ひくひくと上ずった小さな声でその子は答えた。

女は耳元を寄せて「―そう」と返事をした。その名前を聞いた時、凍るような何かがすべて溶けるような感覚がした。じんわりと染みて、優しくもなつかしい。そしてもう一度瞼を下ろした。その名は確かに遠い昔に聞いた、はちみつ色の瞳を持った少女が告げた名前だった。
お前の旅は大切なものを取り戻す旅だ。しかしその『眠り』の謎を解かぬかぎり見つかりはせぬぞ
「良い名前ね」この子は放っておけば死ぬだろう。女はそれを核心した上で、その子のおでこに手をのせて子守唄を歌った。そして当たり前のように、その手を発光させた。
うすく滑らかに、久しぶりに見る煌めきに目を細めた。それはよく知る白い光。封印してきたたった一つのおまじない。命を芽吹かせ、咲かせる色。
「此処で使えばどうなるかわかっているのですか」男はその様子を見てすぐに声を荒げた。女は少しずつ気だるく生気を失っていく中その答えを告げた。
「わかってる。でもこれは私の為。 やっとすべてが繋がった」
すべては私が鍵だったのだ。私が捨てられたこと。先生に拾ってもらったこと。狼と出会い、離れたことも。そしてこの力を持ったこと。何故『眠り』へと導かれたのか
すべてはここへたどり着くため。すべてを繋ぐ―

涙ぐみながら唇を噛んだ。こちらを見上げる子供の髪をよけながらぽんぽんと叩いた。
もうあなたは独りじゃない。走馬灯のように脳裏にたくさんの記憶が駆け巡った。やっと見つけた。運命なんてわからない。だけど確かにこれは私が決めてきた道だ。
その子のおでこをぬぐった後、もう女が目を覚ますことはなかった。




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