始まりは、


ベルがカランと鳴った。美樹は「いっらしゃい」と白のカップを布巾で拭いながら言った。その入り口のドアには珍しく冴羽さんだけ。外の寒い木枯らしに、首のマフラーに顔をうずくめている。鼻先が少し、赤い。
「あら、香さんは?」美樹はいつもの珈琲を用意しながら尋ねた。遼は欠伸をしながら気だるそうにカウンターへ座る。「絵梨子さんと高校の同窓会だってさ」カウンターに肘をつけて答えた。そしていつものように、美樹ちゅわ〜んと厭らしい目つきでデートのお誘いをする。美樹はサーバーをかき混ぜながら、まったくと呆れたように苦笑いをした。
「でも…冴羽さんてナンパする癖にどこか本気じゃないのよね〜」美樹はさっき出したカップとお皿を用意しながら零すと、遼は案の定「ぼきちゃん、いつでも本気だよ」と薄っぺらい愛をペラペラ口にしている。
温かな蒸気をたてながら美樹は「ねー冴羽さんはなんで香さんを好きになったのかしら」興味津々とばかりに聞けば、遼の顔は一変にやる気をなくしたように崩れた。そんな様子を無視して美樹は、ね、と何度も聞いてくる。遼は「何言ってるのかわかりましぇーん」とふざけた様に唇を尖らして、白の滑らかなカップに唇をつけ珈琲を流し込んだ。
しつこく聞いてくる美樹の言葉をかわしながら、ただなんとなく考えた。
香という女は何故か初めて会った時、無償に傍に帰りたくなるような衝動があった。香の仕草や声やその人となりや、すべてが遼の記憶に残った。それがこれまで会ってきたどんな美女よりも。白濁する湯気が広がり遼の鼻を擽った。



子供を膝に乗せたまま、女は目を覚ますことはなかった。そうしてしばらくすれば女の体は光が飛び散るように消えた。男はその砂のように飛び散った細やかな銀の光に目を細めた。
一方女が抱いていた子供は当然のように女から貰ったみなぎる生命力を宿していた。
男は鉄くずを踏みながら、その子供の元へ行った。何も理解できず、ただ呆然と呼吸する子供に厳しく言い放った。「生きろ。そして前へ進め」途端に声が変わり口調も変わった。そして残骸の上で横たわる子供の瞼を閉じさせた。次に目を覚ませば、今の記憶はもうないだろう。
この子供が目を覚ました時にもう一度目にする惨状を思いながら、そっと瞼に指を滑らした。暗闇は少しずつ照らされ、ちらりと見渡す光景には深いジャングルと激しく損傷した機体――アンバランスではありながらも、繋がりはあった。きっとその足で生きていくだろう。散らばる死体とガラクタを掻き分けてでも生き抜け、
――それが運命よ
そこには男ではなく、白く眩い女が1人、立っていた。

目を覚ませば黒煙と固いガラクタ。それは無残な光景だった。此処がどこなのかもわからない。周りを見渡しても誰もいなかった。強烈な匂いと惨劇。ただ腕から出ていた血は固まって服にべっとりと着いていた。暗い、曇天の中黒い光が立つ。蒸し暑く、原生林の中で深い深い孤独に眩暈がした。体中がぎしぎしと痛い。涙を拭いながら、歩き回った。
俺は誰だ。俺は、僕は、ぼくは、
「お前の名前は、さえば りょうだ」海原は小さな男の子の頭を撫でた。くしゃくしゃの髪と頬には泥がついてる。ガラクタになった飛行機の残骸から独りで歩いて来たという。それでも子供の、いや少年の目は黒く、光を帯びている。そんなこちらをじっと見つめる目に笑みを浮かべた。記憶もない。ただリョウ、と名乗った少年に、名前をつけた。この子に定義をあげようと思った。生きる為に、自我を持ち、歩いていく為に。



There are only four questions of value in life.
What is sacred?
Of what is the spirit made?
What is worth living for, and what is worth dying for?
The answer to each is the same: only love.

人生の価値について4つの問題がある。
神聖なものは何か?
魂は何でできているのか?
何のために生きるのか?
何のために死ぬのか?

全てに対する答えは同じ、愛である。


「おまたせ りょう」
カランとベルの音と共に香もキャッツへと入った。ロングコートに少しお洒落に薄化粧もしている。美樹は「寒かったでしょう」と気遣いながら香に珈琲を用意した。
遼はそれを横目に見ながら「待ってたわけじゃない」なんて言って珈琲を啜っている。だが香は何も言わなかった。遼の優しさなんていつも遠回りでわかりにくいのだから。
遼の隣に座りながら、はいはいと言って遼の頬をつついた。じろりと睨んできた遼の瞳に香は嬉しそうに微笑んだ。「ただいま」




名もない私―ソルト― 
意味など作ればいい。されど意味などなくてもいい。
ただそこに在る。私はなんだったいい。
私は廻り、あなたに会いにゆく!


高名なるソルト
fin thank you!






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