葉桜と三鷹さん

 
さあさあと、静かに雨が降っている。

 菜箸を手にした三鷹は、窓の外に目をやりながらため息をついた。

「あー、……今日あたりがラストチャンスかなって、思ってたんすけど。……結局、花見行けなかったっすね……」

「行ったんじゃないの?」

 伊沢に首を傾げられて「まぁ、行くには行きましたけど」と答えた。

 このところ伊沢は急な原稿依頼が立て続けにあったとかで忙しそうにしていたし、三鷹もまた連日のように現場の職人や友人たちに誘われて花見に出かけていて、顔を合わせるのはおよそ一週間ぶりだった。

 割合久しぶりに会ったというのに、伊沢は相変わらず素っ気ない。

 普段聡い癖に、時々酷く鈍感だ。はっきりと言葉にしないとこの男には伝わらないということは、知り合って数か月の三鷹も既に分かっている。

「そうじゃなくて。景虎さんと一緒に行きたかったんすよ」

「や、でも親子連れとかカップルばっかりで混んでるだろ。人混み苦手だし。どーせ行ったって花見るってより、高い金払って屋台の飯食うだけだし」

 そう言って伊沢は三鷹の手元を覗き込むと、今しがた作ったばかりのこごみの胡麻和えを口に入れた。新鮮な山菜は、今朝三鷹が先輩の蒲生から貰ったものだ。

 伊沢の口元がほんの少しほころぶ。どうやらお気に召したらしい。

「まぁ、そうなんすけどね……」

 場所代などもあるのだろうが、ああいった会場で提供される飲食物は基本的に割高だ。否定はできない。

 ものによっては、自分で材料を買って作った方が余程美味いものができる、と思わなくもない。思わなくもないが、それでもやはりアウトドア派の三鷹としては、自然に囲まれた中でする食事もなかなか捨てがたい。

 昼間に桜を見ながら屋台を練り歩くのも良いし、ライトアップされた夜桜を見ながら酒を飲むのも楽しいと思える。

 桜の花を見るたびに伊沢の顔が浮かんだ。桜の下を二人で一緒に歩きたかった。三鷹は割合、ロマンチストだという自覚がある。

 まだ付き合い始めて数か月だ。行きたい場所も、二人でやりたいことも山ほどある。

 このところ続いていた急な陽気のせいで、一気に咲いた桜はすぐさま満開になった。けれど桜の見頃は、長くは続かない。昨日三鷹が見た時には既に葉桜になりつつあった。

 朝から降り続ける雨のせいで、枝にかろうじて残っていた僅かな花も、残らず綺麗に散ってしまっただろう。

 頭に浮かんだ光景に残念な気持ちが込み上げてきて、女々しいと思いつつも、自然とため息が零れそうになる。

 そんな三鷹の顔を見た伊沢が、不思議そうに首を傾げ、さらりと、何でもないことのように言った。

「三鷹サンなんでそんなに落ち込んでんの? 来年一緒に見に行けばいいだろ」

 その言葉を聞いて、三鷹の頬は自然と緩んだ。

 伊沢はあまり感情を言葉にするタイプではない。三鷹がいくら好きだと口説いたところで、まともに言葉が返って来た例などないし、心にもないようなお世辞はもちろん口に出さない。

 きっと、それほど深く考えて口にした言葉ではないのだろう。だからこそ、何気なく発した彼の一言が酷く嬉しくて、三鷹は込み上げてくる笑みを抑えられない。

 にやけそうになる口元に手を当てると、三鷹の顔を見た伊沢が訝し気に眉を寄せた。

「……何、その顔。気持ち悪い」

「気持ち悪い!? ひっでぇ」

 そうは言いつつも、胸の中は喜びで一杯だ。

 伊沢の頭の中には、来年も一緒にいる、ということがもう当たり前になっているらしい。

 無論、三鷹の中でもそうなのだけれど。そうありたいし、そうあれたらいいと思っているし、できることなら来年だけでなく再来年も、その次の年も、と思っているけれど。

 けれど、嬉しいものはやはり嬉しい。こんなたった一言で、ここまで浮かれてしまうなんて、どうかしている。

 伊沢は数秒三鷹の顔を見つめた後、自身の発した言葉の意味を漸く理解したらしい。頬がさあっと桜色に染まった。

「景虎さん、顔真っ赤っすよ」

 指摘すると、じろりと睨まれる。

 そんな顔も可愛らしいと思えてしまうから、やはり随分浮かれているらしい。

「とりあえず、まだ八重桜なら咲いてるとこもあるらしいんで、明日晴れたらドライブ行きません? 俺、弁当作るんで。それから――」

 一度言葉を区切って、顔を寄せる。

「もちろん来年も一緒に行きましょうね」

 間近で囁くように告げると、伊沢は憮然とした表情のままこくりと頷いた。

 そのまま唇を近づけると、応えるように口が薄く開く。けれど、舌を吸いながら背に手を回しシャツの中に手を差し込んだ途端、「調子にのるな」と髪の毛をぐいぐい引っ張られた。割と容赦がない。

「ちょっ、痛い! 禿げる! 禿げちゃうから!」

「……そんな髪型しといて今更何言ってんだ。自分で毛根いじめてるくせに」

 三鷹は数年前からドレッドだ。そう言われてしまうと、ぐうの音も出ない。

 苦笑を漏らしつつ、気を取り直そうと鍋に向き直った。

「あー、まぁ、とりあえず、飯食います? ほら、こないだ話した光子さん直伝の姫竹の味噌汁。景虎さん食ってみたいって言ってたでしょ。もうちょっとでできるから、待ってて――ん? 何すか?」

 服の裾を引かれて振り返る。伊沢の横顔を見ると、さらりとした髪の毛から覗く耳たぶがやけに赤い。低い声で唸った後、ぽつりぽつりと喋り出した。

「…………明日、出かけるんだろ。……あー、……だから、その、別に………………」

 だんだんと小さく、最後には消え入りそうな声になった伊沢の可愛らしさに、つい手が伸びた。

 がばりと抱きつくと、今度は脛を蹴られて、三鷹は幸せな痛みに呻く破目になった。


















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