映画館と三鷹さん

 
伊沢から映画に行こうと言われて、深く考えずに頷いたことを三鷹は酷く後悔していた。

「あー…………………………ムリ」

 約二時間の上映が終わり、ロビーに出た途端、三鷹は両手で顔面を押さえた。

 映画のラストシーンが頭の中から離れてくれない。余韻に身体が震える。背中にぞわぞわとした悪寒が走って、気持ちが悪い。

 百八十センチを超える長身の、しかもドレッドヘアの男が背を縮込ませるようにして怯えている様が、他からどう見えているか。そんなことを考えられる余裕など、今の三鷹には一切無い。

 その隣で、三鷹とは対照的に涼やかな顔をした伊沢が、晴れ晴れとした口調で呟いた。普段めったに笑うことのない男にしては珍しく、口角が上がっている。

「面白かったな。わりと怖かったし」

「わりと!? 何言ってんすか! 超怖かったっすよ! 何あのラストきっもちわっる! 怖かった……超怖かった……もームリ、もー今日寝れない……。景虎さん、背中、背中さすってください…………」

「あー、はいはい」

 半分呆れたような声とともにゆっくりと背中をさすられて、三鷹はようやく顔から手を離した。

 映画館デートだと内心はしゃいでいた三鷹だったが、伊沢が選んだのは先週公開されたばかりのホラー映画で、それを知った瞬間絶望した。

 確かに伊沢は、時折趣味でホラードキュメンタリーの鑑賞をするような男だった。生来ホラーに興味などない三鷹には、その感性が全く理解できないでいる。怖いものを観て、何が楽しいのか。伊沢が言うには、ホラードキュメンタリーなど大半が作り物であり、怖さを求めているわけではなく、その作り物感を楽しんでいるらしいのだが、そんなことはどちらでも関係ない。

 幽霊など信じていない。信じてはいないが、怖いものは怖い。ホラー作品に対して今まで進んで手を出さなかったせいか、自分がここまで怖がりだとは思っていなかった。

「ちょっと気にはなってたんだけど、一人で観に来る気は起きなくてさ。でも面白かったし、来てよかったわ。過去を探ってく時の言葉の繋がりもキレイだったし。流石中川監督だな」

 伊沢の言う通り、映画自体は面白かった。面白かったからこそ、きちんと最後まで観てしまった。つまらなければ、途中で寝ることもできたのに。

 ホラー界の巨匠だという監督の作品は、その部屋で起こる怪奇現象の原因を探るべく過去の記録を辿って行く、というシンプルな流れのものだった。

 おどろおどろしい幽霊がいきなり画面上に現れる、というような直接的な表現はほとんど無かったと言っていい。どちらかと言えば、もしかしたらと匂わせるくらいの演出の方が多く、それがかえって妙なリアル感を出していて気味が悪かった。頭の隅にいつまでも残って、じわじわと連想してしまうような。

 エンドロールが流れている最中、後ろに座っていた女子高生と思しき二人組みの「難しくてなんかよくわかんなかったね」と無邪気に話す声が聴こえてきて、三鷹はうらやましく思った。わからなければきっと、怖くなかったのに。

 三鷹の脳内にかろうじて残っている理性が、伊沢に抱きつくことを押し留めていた。公共の場でなかったら、今すぐ押し倒しているところだ。

「景虎さん、今日泊めてください! ムリ! 一人じゃ寝れない! 家帰れない!」

「は? そんなに怖かった?」

 三鷹がこくこくと何度も頷くと、伊沢は仕方なさげに呟いた。

「いや、別にいいけど……。三鷹サン布団で寝ろよ」

「嫌っす! 床で寝ててベッドの下の何かと目が合ったりしたら最悪じゃないっすか! 俺がベッドで寝ます!」

「何それ舐めてんの?」

 泊めてほしいと頼んでいるのは三鷹の方で、さらに図々しいお願いをしていることは百も承知だった。

 伊沢にじろりと睨まれる。平時ならばすぐさま謝罪の言葉を口にする三鷹だが、今回ばかりは譲る気などさらさらない。恥も外聞も関係ない。

「わかりました! もうベッドで一緒に寝ましょう!」

「却下。狭いだろ」

「まだお願いあるんすけど!」

「人の話聞けよ」

 聞こえてはいるが聞きたくない。今は怖くてそれどころではない。

「風呂怖いんで、一緒に入ってください!」

「面倒く――」

「わかりました! 百歩譲って、俺が風呂入ってる間、景虎さんは脱衣所に居てください! ちなみに景虎さんが入ってる間は、俺が見守ってます!」

「その思考が怖えよ……」

 伊沢が呆れたようにため息をついた。その顔をじっと見つめながら、三鷹は懇願する。

「あの、もう一個お願いなんすけど」

 伊沢が口では嫌だと言いつつも、最終的には断らないことを、三鷹は知っている。

「……今度は何?」

「…………手、つないでください」

 伊沢は驚いたように瞬きを繰り返すと、その整った顔に微苦笑を浮かべ、三鷹に聞こえるか聞こえないくらいの声で囁いた。

「……あとでな」




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