貴公子の誓い


 城戸邸の門から正面玄関へと続く長い道のりを、一人でゆっくり歩いて進んだ。

 人は成長していく。

 子供だった頃に歩いたこの道は、こんなにも明るく見えなかった。

 金色に輝く髪が風に煽られ、あらわになった顔の左目部分を覆う白い包帯が、壮絶な死闘の後を物語っていた。

 無表情のまま重厚な扉を開けて、無言で屋敷へ足を踏み入れる。

 隙なく整った風貌は一見冷たい印象を与えるも、小走りで出迎えに現れた可憐な姿を捉えた片目に、静かな、だが暖かい情が浮かぶ。

「おかえり。氷河」

 優しい笑顔で迎えてくれた瞬を見つめ、氷河は暫し立ち尽くした。

『おかえり』

 そう言ってもらえる場所があるのは悪い気がしない。

 寧ろ…。

「どうかした? 傷、痛むの?」

「いや…なんでもない」

 海界での戦いから一週間。

 体の傷は殆ど癒えたが、自ら突いた左目蓋の傷は未だ完治していない。

 癒すつもりはなかったものの、瞬や皆に説得されて治療を続けている。

「今日の午後、紫龍が五老峰に帰るんだよ」

「ああ」

「氷河が東シベリアに戻るの来週だっけ。星矢も近いうちに聖域に行くんだって」

 声に淋しさが滲んでいるのは気のせいではない。

 沙織は聖域を拠点にしつつあり、一輝もいつものようにいつの間にか姿を消していた。

 と、いうことは…。

 リビングに向かう瞬の、ほっそりとしなやかな背に問い掛ける。

「瞬…しばらく屋敷で一人なのか」

「うん」

「だったら一緒に来ないか?」

「えっ?」

 振り返った瞬の髪から微かに漂う清廉な香りに、心臓の奥で何かが跳ねた。

 誘いの言葉を口にしたのは、決して同情などからではない。

「ありがとう。でも、僕は日本に残るよ。沙織さんに留守を頼まれてるからね。それに…ここにいれば兄さんが帰ってきた時、僕を探さなくて済むでしょう?」

 淋しげに、だが柔らかく微笑む瞬はあまりに儚い。

 華奢で可憐な、およそ聖闘士とは思えぬ雰囲気の彼は、戦うより守られる側の方が相応しく思える。

 この細腕で星雲鎖を自在に、美しく優雅に扱い、数々の敵との戦いを経てきたなど、直接見なければ到底信じられない。

 瞬の限界を見極める卓越した洞察力と危機察知能力を持つ一輝は、いつも抜群のタイミングで助けに入るという。

 一輝には及ばないまでも、自分も瞬のために何かしたい。

 思わず白い手を取っていた。

「氷河…?」

「俺にも瞬を守らせてくれ」

 握り締めた手から伝わる、覚えのある温もり。

 かつてこの温もりに命を救われた。

 天秤宮で目覚めた時。

 傍らに倒れていた瞬は殆ど小宇宙が無く、いくら呼び掛けても目覚めなくて激しい不安を覚えた。

 その後天蠍宮において祈るような気持ちで星矢に瞬を託し、人馬宮では目覚めた瞬を見て心が広がる様な安堵を感じた。

 あの時からだ。

 瞬に対して抱く自分でもわからない感情が強まったのは。

「僕は、そんなに弱く見える?」

 守りたいと思うのは、瞬の矜恃を傷つける一方的な節介なのか?

 現に北欧アスガルドでの戦いにおいて、目的地ワルハラ宮へ真っ先に辿り着いたのは瞬だった。

 只者ではなさそうな神闘士相手に苦戦していた瞬は、戦いを代わろうとする氷河の申し出を凛と断った。

 あれが星矢や紫龍だったならば、加勢を考えはしても戦いを代わろう等とは思わなかった筈。

「…悪い。瞬が弱いと思って言ってるわけじゃないんだ。ただ、もっと頼ってほしい」

 温かな手を名残惜し気にそっと離し、息をつく。

「うん。氷河の言う通り、僕達はみんなで力を合わせて戦っていくべきなんだろうね。だから黄金聖衣も海界まで飛んできてくれたのかな? 水瓶座の黄金聖衣、氷河によく似合っていたよ」

「サンキュ」

 思わぬ褒め言葉を貰い、必死に照れを抑える。

 氷河の想いは瞬の捉えた意味とは多少異なったが、正論だけあって違うとは言えない。

『いかなる時もクールに撤しろ』

 尊き導きを胸に。

 過ぎ去りしも消えぬ想い。

 氷河の命を救ってくれた大切な人達は、もう…いない。

 ただ一人、瞬を除いては。

 手を差し延べ、いかなることがあろうとも、この命を賭けて守ろう。

 半分になった視界の中、天使のように微笑む愛しい友の姿を片方の青い瞳で見つめ、氷河は密かに誓った。





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