あの夏、僕たちは。2 「実は俺の国、解体しましタ」 世間話の続きのようにリンが言って、エドワードはリンの指に注いでいた視線を上げた。 「地位も名誉も家も財産もありませン」 アップルパイとフォークを乗せた皿をエドワードに差し出し、リンは眉をハの字に下げて情けない顔を見せた。 「こんな俺だけど、愛人になってくれなイ?」 もうちょっと気の利いた口説き方があると思うのだが、なんだか恋人と云うより愛人の方が確かにリンらしい気がして、エドワードは笑って皿を受け取った。 「文無しで帰る家もないんじゃ、どっちかって言ったらお前の方が愛人…つうかヒモだろ」 「ウーン、そうなんだけど、男の甲斐性って言うカ」 「甲斐性も何も無いだろうよ!何年かしたらオレが食わせてやるから、諦めてオレのモノになれ!」 「男らしいねエドワード、益々惚れちゃいそうダ」 エドワードにしたら願ったりの展開だった。手が届かない所に居た男が自分と同じ位置まで下りてきた。リンを自分の傍に留め置く事が出来るかもしれない。 手掴みで噛り付いたアップルパイは甘酸っぱくて、たっぷり振り掛けられたシナモンの香りが鼻を擽る。 「でネ、来月からまた留学生としてお世話になりまス」 テーブルの向かいで同じようにアップルパイを口に運びながら、もう手続きも済んでいるからとにまにま笑いながらリンが言った。 「え、だってお前宿無し文無しだろ。皇子から転落したんじゃないの」 「実はまだ皇子でス。王族の財産は没収されたけど、隠しておいた個人資産を運用して財テクで増やしてみましタ」 エドワードが目を白黒させているので、リンは笑いながらクーデターの顛末を教えてやった。 王制シン国は解体されたが、極めて平和的に民主制に移行したので王族は国を追われはしなかった。政治的権限は持たないが、外交的に国家の代表として存続する事を許されている。つまりリンはまだ皇子としての地位にあるのだが、以前のように国に縛られる事はなくなった。前国王の跡を継いで王位に就いた義兄には既に男子が二人居るので、リンの継承位は第三位に落ちた。王族が政治から退けば後継者争いに巻き込まれる事もない。 「この数日で株とギャンブルである程度増やしたから、当分は遊んでても暮らせるけド、それじゃ暇なんデ」 一体幾らになったのか訊ねると、とんでもない金額を耳打ちされた。 「何だよそれ、全然落ちぶれてないじゃん!」 「エドワードは俺が落ちぶれてた方がいいノ?」 「どっかの浮気性の皇子様より全然いい」 「だったら問題なイ。今はもうエドワード一筋だかラ」 軽薄な表情で告げるリンを睨んだら、腕を取られて指先に付いたパイを舐め取られる。ねっとりと舐め上げる舌の動きから目が離せなくて、頬を林檎のように染めながら黙ってそれを受け入れた。 もしかして騙されてる?でも、それでもいいと思った。 「で、本題なんだけド」 エドワードの指を舐めながら、今度は幾分真剣な表情でリンが言った。 「本気で欲しがって、いいんだよネ?」 エドワードは笑った。今更だ。出逢って三日でエドワードは腹を括ったというのに。 「この先お前が国から放り出されて本当に落ちぶれたら、オレが食わしてやる」 「ウン、有り難イ」 「皇子並みの生活はまあ無理だけど、不自由はさせない」 「ああ、なんだロ。可愛い筈のエドワードがすっごく格好良く見えてきタ」 「だからオレの愛人になれよ、リン」 返事は、手の甲に恭しく落とされたキスひとつ。 弟の帰国を喜んで抱き付いたら、二ヶ月でまた少し身長差が開いている事に気付いた。 終電間際だったのでタクシーで自宅に戻るまでの間、シン国での留学中に起こったクーデターを興奮気味に兄に話して聞かせていた弟がふと思い出したようにエドワードに尋ねてくる。 「リンさんだっけ、彼も王族だったんでしょ?大変だっただろうね」 「うん、大変だった」 弟が帰国したらオレの部屋で好き勝手できないからって、丸二日オレをベッドから下ろしてくれなかったよ。 兄ちゃん、色んなことされちゃったよ。シン国の房中術って凄いんだぜアルフォンス、際どすぎてお前には教えたくない世界だ。大人の階段上りすぎて踏み外した感じだよ。 一頻り自分の思い出話をしてしまうと、弟はエドワードの話を聞きたがった。際どい所はカットして当たり障りのない所だけを話しているうち、タクシーが自宅に到着する。 二階のエドワードの部屋に明かりが点いているのを見て弟が首を傾げたので、リンが遊びに来ているのだと教えてやると弟は無邪気に顔を綻ばせた。 「ほらやっぱり、似たもの同士すぐに仲良くできたでしょ?」 「…ちょっと仲良くなりすぎたみたいだ」 気配でエドワード達の帰宅に気が付いたらしいリンが窓を開けて顔を出した。弟とリンが和やかに挨拶を交しているのを横目で見ながら、遠い国からやって来たその狼が兄とただならぬ関係になってしまった事を、どうしたら穏便に弟に伝えられるかとエドワードは頭を悩ませていた。 end. ←text top |