nearly equal

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揚羽蝶は華に縛られ6

*

閑静な住宅街、周りとは一線を画す一風変わった造りの自宅の玄関で、エドワードは力いっぱいインターホンを連打していた。

『…はい』
「おいこのクソ緊縛師」
『は…』
「文句言いに来た。開けろ」

ほどなくして中から賑やかな足音が聞こえ、勢いよく玄関のドアが開けられる。

「い…いらっしゃい…」
「……」

走って来たのか、肩で息をしながら頬を上気させて少々引きつった笑みを浮かべるアルフォンスを、エドワードはきつく睨み付けた。

「あの写真」
「あ!手紙読んでくれたんだ!」
「手紙は読んでない。写真だ、エンヴィーが撮った写真」

一度は満面の笑みを浮かべたアルフォンスは、エドワードの一言でまた直ぐにしゅんとうなだれた。

消沈するアルフォンスの姿を叱られたでかい犬みたいだなと思いながら、エドワードはアルフォンスを押しのけて玄関に入り込む。

「え、エド?」
「外で話す事じゃねぇからな」
「じゃ、じゃあ上がっ」
「誰が上がるかボケ」
「……」

人に懐かない猫のようにアルフォンスを威嚇しながら、エドワードはポケットから件のポラを取り出しアルフォンスの鼻先に突き付けた。

「これは一体なんだ」
「…やっぱり、エドも駄目だと思う?」

アルフォンスは肩を竦めて苦笑した。

「話すと長くなるから、上がっていって」
「ここでいい」
「…随分と嫌われちゃったね…まあ仕方ないか」

あんな事しちゃった後だからねと苦笑して、アルフォンスはエドワードに深々と頭を下げる。

「本当に反省してるんだ…ごめんなさい。許してくれなんて言えないけど、本当に悪かったと思ってる」
「謝罪を聞きに来たんじゃない。これは一体なんだって聞いてんだ」

エドワードは苛々しながらアルフォンスに詰め寄った。

エドワードが手にしているのは何のことはない、アルフォンスの緊縛のポラだ。
しかし、エドワードが縛られた時に見せられた繊細さも尖鋭さも、このポラからは全く伝わって来ない。

「手ぇ抜いてんのか」
「違うよ!…違うけど」
「何が違うんだよ!」

エドワードに詰め寄られたアルフォンスは唇を噛み、じっと痛みを堪えるように立ち尽くしていたが、少しの沈黙の後、重々しく口を開いた。

「…この写真集を撮り終えたら、僕は引退しようと思ってる」
「……な」
「限界を感じた。もう、これ以上は緊縛師を名乗れない」

アルフォンスと向き合ったエドワードの位置からは、アルフォンスの表情がよく見える。
アルフォンスは苦渋の表情で俯いていた。

「………」
「最後の仕事だから、一番良い物を残したいと思ってるんだけど…なかなか、上手く出来なくて」

無理に作った笑顔が痛々しかった。
エドワードは風景写真を諦めた時の自分の姿をアルフォンスに重ね、胸が締め付けられる気がした。

「……オレのせいか」
「違うよ、エドのせいじゃない。僕が弱いから…」

アルフォンスにとって緊縛師と云う仕事がどれ程のものかは解らないが、その表情から伝わってくるのは「痛み」だ。

思い通りに表現出来ない痛み。
頭の中にある最高の瞬間に、どうしても辿り着けない痛み。
そんな自分に妥協出来ない痛み。
結局諦める事で、自分を守ろうとする痛み。

同じ痛みを抱いた事があるから、エドワードにはその辛さが嫌と云う程よく解る。

「…ごめんね。色々、迷惑かけちゃって」

弱々しい笑顔で笑いかけるアルフォンスを見て。


同情 したのか。

それとも別の感情だったのか。


気付いたら、エドワードは靴を脱ぎ捨てアルフォンスの腕を掴んで廊下を歩いていた。

後ろから困惑したような声が上がったが、振り向きもせず――いや、振り向く事など出来なかった。
記憶に新し過ぎて忘れる事など出来ない部屋。半面鏡張りの部屋にずかずかと上がり込み、力一杯アルフォンスを部屋の中に突き飛ばす。

「痛っ……えっ、エド!?」
「…言っとくけど、オレはすげぇ怒ってる」

言いながら、エドワードは羽織ったコートを脱ぎ、床にへたり込んだアルフォンスにコートを投げつけた。

「緊縛師なんてふざけた仕事して、変な奴だと思ったけど…悔しいけどお前の事すげぇと思ってたんだ。只の紐なのに、あんなに綺麗な形に出来るなんてすげぇ指だと思った。あ、あんな事になったけど、馬鹿にしたもんじゃないなって、思った、のに」

どんどん服を脱ぎ捨てていくエドワードを、アルフォンスは唖然として見詰めている。
アルフォンスの視線が痛かったが、エドワードは上着をすっかり脱ぎ捨てて裸の上半身を晒した。

壁にかけられた拘束具の中から、黒い麻紐を選んでアルフォンスに突き付ける。
アルフォンスはエドワードの意図が解らず首を傾げた。

「縛れ」
「……えぇっ!?」

飛び上がる程驚くアルフォンスに今度は麻紐を投げつけ、エドワードはアルフォンスの襟を掴み上げた。

「この前みたいに縛ってみろよ!出来るだろ!?」
「っ……」

詰め寄るエドワードに、アルフォンスは目を逸らして俯いた。

「出来ない」
「したくないだけだろ、いいから縛れよ!」
「…出来ない。出来ない、よ」
「縛れって言ってんだろ!?このクソ緊縛師っ!!」

怒鳴り散らすエドワードに、耐えかねてアルフォンスが顔を上げた。

「縛ったらまたキミを襲うよ!?自分じゃ抑えられないし、止められないんだ!!また犯されたいのかっ!」

怒りと苦しみが綯い交ぜになった瞳がエドワードを捉えた。
アルフォンスの怒声に手を離したエドワードを、怯んだと思ったのだろう。アルフォンスはまた顔を伏せ、苦しげにぽつりぽつりと呟く。

「……あの日から、キミを縛ってから…他の人が縛れない。キミの姿がチラついて、上手く縛れないんだ。いつも通りにやっている筈なやのに、どうしても納得出来ない……どうしても駄目なんだ。もう、僕には緊縛は出来ない」

本当に苦しいのだと呻くように話すアルフォンスの頭を、エドワードは思いっきり殴ってやった。

「痛っ!何すんのっ!」
「ボケ緊縛師が、他が縛れないんだったら尚更オレを縛ればいいじゃねぇか」

笑ってやった。笑うしかない。

ドSの緊縛師が、エドワードを忘れられなくて苦しんでいると言う。
同情かもしれないし、好意かもしれないし、そのどちらでもないかもしれない。

でもそんな事はどうでもいいのだ。エドワードはもう一度、アルフォンスの緊縛を見たい。それだけだったのだ。

「縛ってくれ。お前の緊縛、すげぇ綺麗だったんだ。もう一回見たいんだよ」
「エド…」

我ながら変な事を言っていると思うが、紛うことなくエドワードの本心だった。

「あ、でもエッチ無しな。したら殴る」
「が、頑張ってみる…でも、いいの?」

恐る恐る尋ねてくるアルフォンスに、エドワードは笑ってやった。

「オレが良いって言ってんだろ。いいからやれよ」

ほら、と床に落ちた麻紐を拾って渡すと、アルフォンスに麻紐を握った左手を掴まれた。

「……」
「な、何だよ」

潤んだ瞳に縋るように見詰められ、エドワードの頬に熱が集まる。
印象深い、真冬の月の色を映した金瞳。冴え冴えとした光が、弱々しく揺らいでいた。

「……きだ」
「は?」
「好き、だ。好きなんだ、エドが」
「……はぁっ!?」

アルフォンスの突然の告白に、エドワードは目を剥いた。
アルフォンスはエドワードの左手を引っ張り、その身体を腕の中に抱き込む。

アルフォンスの胸にすっぽりと閉じ込められて、エドワードは暫し茫然とした。

アルフォンスはエドワードの手から麻紐を受け取り、エドワードを抱き締めたまま器用に紐を纏わせていく。

「…キミを最初に調教した相手に、もの凄く嫉妬してる」

いつかも言われた台詞に、エドワードはギョッとしてアルフォンスを仰ぎ見た。

「結局勘違いだったけど、あの時は本当にそう思った。嫉妬したんだ、この僕が」
「な……っぁっ!」

スランプが嘘のように素早い手つきで縛り上げられて、エドワードは小さく悲鳴を上げた。

「縛れば縛る程、キミは綺麗になって……仕事で、あんなに興奮した事なんてなかった」
「ひゃっ…」

アルフォンスの指が動く度、エドワードの身体の至る所で紐が擦れる。

「はっ…ん」
「…そう、その声に狂わされる。拒んでいるくせに、強請ってるみたいな声」

複雑に縛られているようで、エドワードはかなりの時間、アルフォンスの吐く歯が浮くような実況中継と紐の擦れるむず痒いような感覚に身悶えた。

「胸が一番感じるみたいだね…ピンク色だったのが真っ赤に染まってる。こんなに尖って、摘んで欲しいみたいに」
「やだ…っ!も、やめ…」
「本当は全然足りないくせに。女の子だって、こんなにいらやしい子はいない」

言いながらペロリと尖りを舐められ、エドワードの身体が跳ね上がった。

「ひゃっ!」
「…気持ちいい顔になってる。ねぇ、気付いてる?さっきから、ずっと腰が揺れてるんだよ?」

アルフォンスに言われ、エドワードははっとしてアルフォンスから身体を引いたが、また力強い腕で引き寄せられる。

「だ、駄目だっ…!」
「何が駄目なの?こんなに欲しがってるのに」

今度は耳元に直接囁かれ、エドワードの腰が抜けた。

「ほら、見てごらん」
「んっ…」

首から垂らされた紐を強く引かれ、エドワードがのろのろと首を上げると、アルフォンスの肩越しに覗いた鏡に映った自分の姿に心臓が止まりそうになる。

「綺麗でしょう?」

アルフォンスは満足そうにエドワードを優しく見詰めている。エドワードは喉が震えて、言葉も出ない。

前後の壁に合わせ鏡のように映った後ろ姿。
エドワードの白い背中に、黒い麻紐がそれは見事な紋様を描いている。


―まるで、揚羽蝶が羽根を広げたように。


背筋に痺れが走った。
これが見たかったのだ。

繊細で、美しく、豪奢な、この紋様。


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