※15000hit記念企画のルッチのお話の続きのようなもの
朝の身支度を整えたあと、別棟の日当たりのよい部屋に訪れるのが日課となっていた。
鼓動を知らせる電子機器の音、一滴ずつ忙しなく落ちる点滴、ベッドのうえでかすかに上下する膨らみ。規則正しいそれらは、いつもと何も変わらない。
カーテン越しの日が当たるサイドボードに飾った花瓶の花だけが、昨日の瑞々しさをわずかに失っていた。
水を替えてやろうと花瓶に触れた瞬間、淡い花弁がひらりと落ちる。
縁起を気にするたちではなかったが、不意にえも言えぬ不安が胸をよぎった。
脳裏に甦る、業火と血溜まりの、赤。
花瓶から離した手を、ベッドのうえの女に向ける。
白いシーツを捲り、病人着のまえを寛げると、腹の辺り、そこに己が貫いた爪の痕がしっかり残っていた。歪に盛り上がった皮膚をなぞる。臓器の蠢く微かな振動と、やや低い体温に、背筋がぞくりと震えた。
次いで、自分の行為に笑いが漏れる。こんなこと、あまりにも身勝手だ。
病人着とシーツを整え、柔らかな髪を撫でた。とある病院で見つけ出したときから変わらない寝顔は胸を掻き毟られるほどに穏やかなものだった。
目を覚ましたとき、おれの姿を見たら、彼女はどんな顔をするだろう。
死を悟った瞬間ですら微笑んで見せた彼女でも、さすがに今度こそ、裏切り者の憎い男だとおれを睨めつけるだろうか。それとも、あの日の痛みと恐怖を思い出し、怯えるだろうか。
「…どちらでも同じことか」
そうだ。考えても、彼女にもおれにも無駄なこと。
向けられる視線が憎悪であれ畏怖であれ、おれは二度と、彼女を手離す気がないのだから。
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