※捏造過去

きっとそう。あなたに初めて会った日から、私はずっとあなたのこと。

とある島へ上陸したある日のこと。
上機嫌な“飼い主さま”に船内を散策する許可をもらった私は甲板へと出ていた。
手すりから海を覗き込むと、浅瀬に揺らぐ小さな魚の影。魅入られたように身を乗り出していたら、不意に襟元をぐいっと引っ張られ、私の身体は甲板の床にどすりと落ちる。


「危ねえだろ」

『堅い甲板より海のほうが落ちても痛くないけどね』


私を乱暴に引き戻したのはローだった。ふわふわの付いた刀を持った彼は、起き上がって悪態を吐く私を見て溜め息をこぼす。


『もう用事は済んだの?』

「あァ」


ローは朝から出かけていて、私が外へ出ていいと言われたときにはもう船にはいなかった。この船にはベビーちゃんもバッファローも乗っていないから、話し相手になってくれる人がいない。だから私はすることがなくて甲板に出ていたのだけれど、やっと話し相手になってくれる人が帰ってきた。嬉しい。


『あ、ちょっと待ってよ』


喜ぶ私をよそに、ローは部屋に戻る気らしく船室に続くドアへと足を向けた。私の声に止まる靴音。


「何だ」

『もう少しここにいてよ。ひとりでいるのつまらないの』

「はぁ、だったら本を貸してやる。おれの部屋から勝手に持ってけ」

『部屋に入っちゃだめって言われてるの。それにもう全部読んじゃったよ』


とってもご機嫌だった飼い主さまは私に船内なら自由にしていいと言った。だけど個人に与えられた部屋には入るなと釘をさされていて、ローが部屋に戻ってしまったら、またひとり暇を持て余すことになる。


『ねえお願い、話し相手になって』


ローはふわふわの付いた刀を持ったまままた溜め息を吐いた。ああ、さぞ迷惑で面倒だと思っているんだろうな。だけど私もいい加減暇すぎてどうにかなりそうだから、諦められない。


「手を出せ」

『え?』


不意にそう言われ、差し出された手に自分の手を重ねると、次の瞬間、身体がふわりと浮いた。


『うあ、』


ローにかかえられて甲板から飛んだ私は、船から少し離れた砂浜のうえに降ろされた。細かい砂を踏みしめる感触が新鮮で、無意識に足踏みを繰り返す私をよそに、ローは木の陰へ腰を下ろす。


『あの、ロー?』

「ガキの話し相手なんて御免だ。そこで勝手に遊んでろ」

『ガキって、そんなに変わらないのに…ねえ、船から降りていいって言われてないよ』

「ああ? おれがいる。気にするな」


船から降りるなんてお説教間違いなしだったけど、ローが気にするなと言ってくれたし、久しぶりにあの人の目のないところで好きにできるのが嬉しくて、怒られたら怒られたでそのときだ、と開き直ることにした。
少しの間、私は打ち寄せる波の際を走ってみたり、砂で山を作ってみたり、浜辺の自由を満喫していた。やがてそれも飽きてしまって、木陰で本を読むローの隣に座った。


『ねえ』

「…何だ。もう飽きたのか」

『うん、楽しかった。ねえ、ロー』

「今度は何だ」


本のページを捲る手は止まらなかったけれど、ローは私の相手をしてくれるようだった。優しいな、と思う。何だかんだでいつも私のこと邪険にはしないし、こうして勝手に喋る私の話も聞いていてくれる。でもその分、自分のことはちっとも話してくれない。


『ねえ、船を降りるって、本当?』


ページを捲る手が止まった。栞もしないまま本を閉じて、ローはじっと私を見つめる。
誰に聞いたんだとたずねられて、船を降りるのが本当なんだと確信した。


『あの人が言ってた。ローはここで船を降りるんだって』

「そうか」

『…どうして降りるの』


さっきまであんなにも楽しい気分だったのに、今はひどく悲しい。船を降りるなんて嘘だって言ってほしかった。ずっと一緒にいられるって思っていたのに。


『ね、どうして』

「…おれには、やらなきゃならねえことがある」

『何、それ…船を降りなきゃできないの…?』

「そうだ」


こらえ切れずに目に溜まっていた涙が頬を伝う。
ローは私の涙を骨張った大きな手で拭ってくれた。優しい手、この手にももう触れられなくなるって言うの。


「泣くな」

『無理だよ、悲しい。寂しいよ』

「名前」


掻くように背中を這うローの指、つぶれそうなほど強く押し付けられるローの胸板。誰かに抱き締められて、こんなにも胸が高鳴ったことはない。このまま時間が進まなければいいのにと、叶わないことを必死に願った。


「もう泣き止め。船に戻るぞ」


船になんか戻りたくなかったけれど、これ以上ここにいられないのは痛いほど理解できたから、私は袖で目をごしごし拭ってローの手を取った。
船にはまだあの人が戻って来ていなくて、幸いと思いながら大人しく自分の部屋に戻った。



翌朝あの人に早く起きろと急かされて、引っ張るように連れて行かれたのは甲板だった。
船から降りる梯子の前に、小さな荷物をかかえたローがいる。昨日私が聞かなければ、ローはきっと黙って行くつもりだったんだろう。そう思うと懲りずに涙が浮かんだ。


「船長自ら見送りとは痛み入る」

「フフッ、思ってもねえこと言うんじゃねえよ」


遠くのほうでかもめの鳴く声が聞こえる。
私は目を腕に押し付けて涙を拭い、ローの名前を呼んだ。ローは何も言わず私を見つめる。


『さようなら。元気でね』


何の捻りもなく、それしか言えなかった。
ローはただあの人に一瞬視線を移して、私に何も答えないまま梯子を降りた。すたすたと船から遠ざかっていく線の細い背中。振り返る素振りなんてちっとも見せない姿に、こらえていたものがどっと吹き出て私は膝から崩れた。


「次に会うときは敵同士かもなァ」


黙って去って行くあなたの姿。あの人に苦しめられるあなたの姿。それに胸が張り裂けそうなほどの痛みを感じる私は、きっと。
初めからそう、あなたに恋をしていたに違いないの。


あなただけのイヴになりたかった
title by レイラの初恋


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