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これの続きのようなもの
おれはママの最初の息子で、ビッグ・マム海賊団のNo.2で、能力者で、それなりの価値があると自負している。
対して名前は、ママが気に入った歌声を持つと言う事実だけでここにいる。政略結婚が主流のうちで、これほど釣り合いの悪い話はない。
分の悪い直談判になることは目に見えていた。
しかし、それが功を奏することになろうとは、いったい誰が予想できただろうか。
「名前と結婚したいだァ? マママ、好きにしな」
「い、いいのか、ママ? 本当に?」
「構わねェさ。どうせこの先、おまえに見合う女なんざ現れやしねェんだから」
かくしておれは、名前との結婚を許されたのである。
◆
結婚式以来、自分の仕事のあいだの不在に加え、歌を欲しがるママのもとへ名前が出向くことも重なって、ふたりの時間はほとんど取れないでいた。
突然“兄”が“夫”になった名前は、それに慣れる間もなくぎこちないばかりだ。
広間にふたりきりの今でさえ、あいだに流れる空気はかたい。
「いつもひとりにしてすまない。暇をしているんじゃないか?」
『いいえ、兄さまや姉さまが遊びに来てくださいますから、大丈夫ですよ』
「…そうか。ならいいんだ」
弟妹たちは相変わらず珍かな宝飾品や菓子類を手土産にしては名前に会いに来て、彼女の淹れたての紅茶を飲みながら楽しく話をしているようで、それがまたなんとも面白くない。
夫のおれが妻に会えずにいると言うのに、おまえたちときたら!
弟妹たちと顔を合わせるたび、喉の奥まで出かかった言葉を止めるのもひと苦労だ。
「明日はふたりでゆっくり過ごそう。やっと時間が取れたんだ」
『え…ええ、はい』
名前は少し戸惑うように控えめに笑った。
この可愛らしい妻とどう過ごそうか。一日屋敷で微睡むのもいいが、街へ出かけて、万国の住人たちに夫婦の仲睦まじい姿を見せつけてやるのもいい。
そう思いながら“出かけないか”と誘えば、名前から返ってきたのはごめんなさいのひと言だった。
『あの、明日はクラッカー兄さまとお茶の約束があって…』
朝のうちなら時間があるんですけど、そう言って申し訳なげに視線を彷徨わせる姿さえ愛しく見えるのは惚れた弱みに違いない。
しかしまあ、またなんと面白くないことか。
おれはすぐさま電伝虫を置いてある棚に向かい、ダイヤルを回した。通話の相手はもちろんクラッカーだ。
「ああ、クラッカー、急にすまないね。ペロスペローだが、少しいいか?」
《ペロス兄? もちろん構わないが、どうしたんだ?》
「いやなに、大したことではないんだが…」
《? 何だ?》
ソファに座ったままのため、おれとクラッカーの話し声が聞こえていない名前が、不安げな視線を寄越していた。
「実は、明日から三日ほど屋敷でゆっくりしようと思ってね」
《! そ、そうなのか》
「あァ。そのあいだ急ぎの用はもちろん聞くが、まあよろしく頼むと伝えておきたくてね。…ところで、明日はうちに来る予定があったんだとか?」
《えっ》
翳り始めた電伝虫の表情は見えるのか、名前の表情も不安げになる。
クラッカーは頭のよい子だから、もうすでに、おれの言いたいことを理解したんだろう。青褪める電伝虫を見て確信した。
《いや、あの。ちょっと用ができて、行けそうになくなったんだ。ペロス兄、名前に伝えといてくれるか…?》
「そうか、それは残念だが仕方がない。伝えておくよ」
《あ、あァ、悪ィな兄貴。それじゃあ、また…》
「あァ、突然すまなかったな、ペロリン♪」
クラッカーは最後に、“あとのことは任せてくれ”と含みを持たせた言葉を言って通話を切った。
ああ、やはり頭がいい。これで名前のもとへ足繁く通っている弟妹たちも、この三日のうちには寄りつくまい。
眠りに就いた電伝虫をそっと撫でて、名前の座るソファに戻り腰を下ろす。
『あの、どなたに電話を…?』
「ああ、クラッカーだ。仕事のことでちょっとな」
『そうですか』
「あァ。そうだ、用ができて、明日のお茶には来られなくなったらしいぞ」
少し残念そうに頷く名前。
今まで深く関わろうとしなかったおれの自業自得なのだが、名前の弟妹たちへの懐き具合には嫉妬せざるを得ないものがあった。
「なあ名前」
『? 何でしょう』
まだ遠慮の残るおれへの眼差し。
無理もない、それはわかっている。わかってはいるのだ。
「……」
『ペロスペローさま?』
「…名前」
名前を呼ぶだけのおれに向いていた遠慮の混じった視線のなかに、さらに心配が混じる。
「…君は、おれと結婚してよかったのか」
意地の悪い質問だった。
彼女にしてみれば、何の拒否権も与えられないまま結婚させられたに違いない。それを今更よかったのかなどと訊ねたところで、“嫌だった”と答えられるわけもないのに。
情けなくも、名前の顔を見られず目を閉じた。
『…正直、わかりません』
「……そうか」
『でもあの、毎日、楽しいです』
おれは静かに、名前の言葉を待つ。
思えば、こうして腰を据えて話しをするのも初めてである気がする。
『私、ずっと嫌われていると思っていたので…ペロスペロー兄さまが、こうして私とお話ししてくださって、私のことを気にかけてくださっているの、すごく、嬉しいです』
「……」
『兄さまや姉さまも今まで通り優しいし、今は特に、ペロスペロー兄さまのことを教えてもらえるのが、楽しいんです』
「…おれのこと?」
閉じていた目を開けて、名前を見ると、その頬はほんのり赤く染まっていた。まるで恋をしているような表情に、年甲斐もなく胸が高鳴る。
『お菓子は何がお好きだとか、何色を好んで服や物を買っておいでだとか、そんなことです。今まで何も、知らなかったですから』
「…それを知るのが、名前は楽しいのか?」
『はい、とっても。……私は、妻、ですから。旦那さまのことを知っていけるのは、楽しいです』
耳までじわじわ赤くさせて微笑む名前。
そのいじらしさたるや、想像を絶するものがあった。たまらず無遠慮に細い身体を抱き寄せれば、名前は肩を跳ねさせたあと、おずおずと腕を回してきた。
「名前。おれは君と結婚してよかった。そう言い切れる」
『そ、うですか…光栄です…』
「だが、不満もある」
『えっ…な、何でしょう…?』
脇腹に回った腕がぴくりと動揺に震えた。
「…おれより弟妹たちと過ごす時間のほうが多いことだ」
『!』
するり。どちらともなく腕が離れて、顔を向き合わせられるだけの距離が開く。これ以上赤くなりようがないだろうに、名前の頬は赤みを増す一方だ。
『それは…あの…もしかして』
「いい大人がみっともないだろう? 自分の弟妹に嫉妬するなんて」
『そんなこと…ないです…あの…善処します…』
おれの目から視線を逸らしながら、名前は笑みを浮かべていた。
ぎこちなさを気にしていたのは、今まで彼女を遠ざけてきた負い目のあるおれだけだったようだ。名前はこんなにも、おれとの結婚を、おれの妻になったことを、真摯に受け入れてくれていたのに。
後悔とともに、いっそうの愛しさが胸を占めた。
「名前、好きだぜ、ペロリン♪」
俯いた名前のやわく震える頭頂に口付けを落とせば、名前は一度顔を上げて微笑んだあと、おれの胸に頭を摺り寄せた。
「ああ、もうひとつ不満があったな」
『えっ』
「おれはもう名前の“夫”であって“兄”じゃねェ。次に“兄さま”と呼んだらお仕置きしちゃうぜ、ペロリン♪」
『! き、気を付けます…!』
「くくく、あァ、そうしてくれ」
おれたちの“絶対”であるママがおれと名前が夫婦になることを認めた以上、このありふれた愛しい娘はもうおれの妻であって、それが覆ることはない。じっくり、夫婦の絆とやらを深めていけばいいのだ。
愛しい妻を再び腕に収めて、そんなことを思った。
そうして僕らは歩き出すtitle by
愛執
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