02

今日も今日とて目の前に積み重なる書類の山にため息をつく。そもそもあのクソ弟が執務をほったらかして海に出ているからこんなことになるのだ。泣きついてきた元親の文官に、弟の分の書類も全て自分の元に持ってこさせたのが数刻前。まさかここまでため込んでいるとは思ってもみなかった。


「今日中には終わらないわよこれは…」


先ほど海にから返ってきたという元親を呼びに部下をやったが、いまだ来る気配はなかった。おおかた酒でも飲んで今日のことについて話し込んでいるのだろうとは簡単に予想がついた。夕飯も食べずに机にかじりついている自分とは雲泥の差である。
それでもこの大量の執務を投げだせないのは自分がいる地位によるものなのかと顔をしかめた。もしかしたら軍師の地位にいる限り、これからも元親の尻拭いをし続けなければいけないのか。とりあえず自分の横で、半泣き状態で仕事をしている文官に労いの言葉をかけ、腰を浮かせたところでがくんと腰に重みがのった。視線を落とせば泣きそうな顔の部下が腰にぶら下がっている。ラシャまでがいなくなってしまっては本当にどうしようもないことになると考えたらく、必死の形相である。



「夕飯食べてくるだけだから。帰りにはこの事態の元凶も引きずってくるから説教お願いするわ。」

「…分かりました…」

「…夕飯、食べてきたら?」


あまりにもげっそりとしている彼に思わず声をかけると、力なく微笑まれてしまった。なんだか自分だけ夕飯を食べに行くのは申し訳なくなってきたが、気にせず行ってきてくださいとそして元親さまをこちらにぃぃぃぃぃぃぃと血走った眼で言われ、少し引きつつもうなずいた。彼も普段はかなりの美形入る部類の人間だったはずなのに。なんだかもう死人のような眼をしている姿を、人当たりも良く穏やかで仕事もできる、ときゃあきゃあ行っていた女中達にみせてあげたいようなそうでないような。
立ち上がって伸びをすれば、人間の体の構造上ありえないようなおぞましい音がした。


「あぁ、ラシャ様。」

「何?」

「元親様から先ほど言伝が。近々また戦が始まるかもしれないとのことです。」

「…りょーかい」


また仕事が増えるなぁ嫌だなぁゆっくり寝たいとぶつくさ言っても、仕方なさそうに微笑まれただけだった。確かに一文官でしかない彼に言ってもこの戦国の情勢をどうにかできるわけがない。
さてどうやってあのサボリ魔な弟を執務に引きもどそうかと、思考を巡らせる。やる気になれば早い彼は、能力はあるのになかなかそのエンジンに火がつかない。それでも部下から愛されているのはひとえに彼の人徳、というやつなのだろう。毎度毎度尻拭いをさせられている私には理解不能だ。でもなんだかんだでこうやって面倒をみてやっていることから考えると、やはり私も相当甘いのかもしれない。

とりあえず、存在を主張しまくっている腹の虫どもを何とかすべく、わいわいと騒がしい音が漏れている広間へと足を向ける。
先ほど少しだけ降っていた雨で、庭の木の葉の上には小さな水滴がいくつもできていた。それを何とはなしに眺めつつ、ゆっくりと廊下を歩いていると、足元からぱしゃん、と小さな音がする。次いで右足に広がるじんわりとした不快感。


「…最悪」


雨漏りしていたらしい屋根を恨めしげに見上げた時、ぐん、と着物の端を何かに引っ張られた。


「何、」


下を見れば、廊下に出来た水たまりの水が、不自然な波紋を作っていた。とっさに、水を操るバサラ者がこのあたりの領土にいたかと考えを巡らせたが、こんな攻撃しているのかしてないのか分からない様な技ははたしてバサラのものなのか。しかし他国にはバサラ能力を扱う忍もいる。例えばどこぞの猿とか。忍びの気配は今のところ感じなかったが、とりあえず水たまりと距離を取るべく一歩後ろに下がろうとして、


「う、わ、ちょっ、」


ぐいぐいと引き込む力を増した水に思わず体制を崩し、床と正面からキス寸前、のところで私の記憶はとぎれているのである。




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