いっしょにごはん | ナノ


グリーン・ライラック 5


──さくら。

やさしい声がしました。
世界でいちばん大好きな声。
いつもわたしを守ってくれる大好きなひとの声。

パパの声で呼ばれるわたしの名前が、いちばん好き。

パパ、パパがわたしを守ってくれるみたいに、わたしもパパを守れるかな。いつか。
こわいこと、かなしいことがたくさんある世界で、パパを守ってくれる人はだれもいない。
わたしがいなかったらパパはどこでも好きなところへ行けるのに、わたしがいるからここを動けなくて、きっといろんなことをあきらめてる。
わたしは、わたしがいなかったら、なんて思わない。パパがかなしむから。
そのかわりはやく大きくなるの。
わたしがパパを守ってあげる。いろんなところにつれて行ってあげる。宇宙にだって、きっとつれて行ってあげる。

「さくら、寝ちゃったの? 仕方ないなあ、寝るならベッドでね」

ふわんとだっこされたのがわかって、わたしは眠ったまま、ちょっとだけ落ち込みました。
こんなに軽々とだっこされちゃうようじゃ、まだまだわたしはちっちゃいんだな…。反対にパパをだっこして、宇宙に行けるくらい大きくなれるのはいつなんだろう。

優しくベッドに寝かされたのがわかりました。お気に入りのキルトケットのやわらかい感触と、髪をなでてくれるあったかい大きな手。

「越前くんと跡部、帰っちゃうんだけどなあ…」

「────だめ!」

わたしはがばりと起き上がりました。
パパはちっとも驚いた顔じゃなく、いつものようにさわやかに笑ってひとこと、「あ、起きた」

「リョーマくんとあとべさん帰っちゃだめ! まださよならもしてない!」

「大丈夫だよ」

あわてるわたしの頭をぽんぽんとなでてくれながら、パパがにっこり笑いました。

「今ね、ダビデが来てて」

「ダビデくん?」

「うん。それで、これから越前くんと跡部も一緒にオジイのテニスコート行くことになったから。さくらもおいで」

「えええっ!?」

それは!
何がどうなってそういうことになったのかさっぱりわからないけれど、でもでも、そんな楽しそうなこと、ぜったい見逃せません!

「すぐ行く! 顔洗ってくる!」

「はいはい」



急いで顔を洗ってお店に行くと、本当にダビデくんがいて、リョーマくんはちょっと面倒くさそうな顔をしてて、あとべさんは面白そうに笑ってて。
リョーマくんだけじゃなくてあとべさんもテニスをやってたって聞いて、わたしはびっくりしました。あとべさんってぜんぜんスポーツしそうに見えなかったから。それはパパも同じなんですが。
ダビデくんが、逃がすもんかとばかりにリョーマくんの腕を捕まえてて、笑っちゃいました。ダビデくんは普段から思ってることがあんまり顔に出ない人だけど、今日は目がきらきらして、珍しく興奮してるのがわかります。

「越前、跡部さん、はやく行こう、はやく。サエさんもはやくラケット持って来て」

ダビデくん、テニス大好きだもんね。つかまれてるリョーマの方は、ちょっと引いてるけど。
…つれない黒猫にかまう大きなワンちゃんみたいだなあ。

「そう慌てるなよ百人斬り」

跡部さんがおかしそうに笑いました。ひゃ、百人斬りって、なに!?

「ははっ、懐かしいなあ、その呼び名」

ラケットバッグを肩にかけて降りてきたパパがあとべさんと目を合わせて笑ってるのを見て、ちょっと安心しました…。あとべさんが来た最初の頃の、ひやりとする冷たいかんじはもうぜんぜんなかったから。

「あの時はうちの後輩が失礼したね」

「よく言うぜ。大騒ぎになってるっていうのに、てめえはへらへら笑ってたじゃねえか」

「はは。まあ俺、副部長だったし。あの場で叱るのは部長の仕事かなと思って。これでも一応お説教はしたんだよ。後でたっぷり。ね、ダビデ?」

「……うぃ」

大きな体をちっちゃく縮めて、ダビデくんが微妙に目を逸らしました。あんまり思い出したくないことなのかな…。

「ねえ。行くならさっさとしようよ」

リョーマくん、面倒くさそうにしつつも、大きな目をきらんとさせてくちびるの端を引き上げてます。これは…生意気ってかわいがられるの、わかる気がします!

ダビデくんがわっくわっくした空気を発散させながら頷いて歩き出して、パパとあとべさんはちらっと目を合わせて仕方ないなって笑い方をしました。

「おいで、さくら」

あたりまえみたいに差し出される優しいてのひら。
だけどわたしは、これがあたりまえのことじゃないって知ってます。パパが、いろんな選択をして生きてきて、今こうしてわたしに手を差しのべてくれていること。

あたりまえなんかじゃない。だから大事にするの。

「うん!」

わたしのちいさい手を伸ばして、パパとてのひらを重ねます。パパはぎゅっと握り返してくれて、わたしを見るその優しい目は、やっぱりわたしの考えてることなんかお見通しなんだろうなって思いました。





夕方の空は、絵の具をこぼしちゃったときみたいに派手。
紺色と、紫と、赤が雑に混ざり合って、あんまりきれいすぎて凶暴なかんじがするくらい。

そんな空の下、オジイちゃんのテニスコートで、わたしは初めてプロのプレイヤーのテニスを見ました。すごかった。
でもいちばん印象的だったのは、ボールの速さ、コートに突き刺さる鋭さよりも、リョーマくんがテニスをするときの楽しそうなきらきらした目です。
信じられないくらい素早い動きで走り回って、しなやかな筋肉のついた腕を思うように操って。本当に凄かったけど、リョーマくんの目だけは、オジイちゃんのコートでテニスを楽しむ子どもたちのものとまったく一緒だったから。
なぁんだ、と思いました。
リョーマくんも、ダビデくんやけんたろうくんたちと同じで、単なるテニスバカなんだ、って。
パパに言ったら、なんでか嬉しそうに笑いながら「だからプロでできるんだよ」って…そんなもん?

「──佐伯!」

ダビデくんとリョーマくんが打ち合うのを腕組みして見ていたあとべさんが、なんかもう我慢できないってかんじでパパを呼んで、パパはちょっと肩を竦めて「はいはい」って答えました。

「コートに入れ。腕はなまってるだろうが、走れねえほどじゃねえよな? アーン?」

むか。失礼な。パパはお仕事が忙しくてめったにテニスしないけど、ラケットを持つとすごくすごくかっこいいんだからね!
思わずにらみつけたわたしの視線を、あとべさんはフッと笑って流して「パパをコテンパンにのしてやるから見てな、チビ猫」と言いやがり…あっごめんなさい、言いました。あとべさんの口が異常に悪いから、わたしにまでうつっちゃう、めいわく! それに。

「チビ猫じゃないですってば!」

「知ってるぜ。よく見とけ。俺に惚れるなよ、さくら」

「……っ」

信じられない。なにを…っ、なにを言うかなこの人は!
泉のように湧き出るこの自信はどこからくるのかな!

あとべさんは、それこそ映画か何かの一場面のようにバッサーと大きな動作でスーツの上着を脱ぎ捨てて、それをわたしに向かって放り投げました。ちょっとなにするの!

「持ってな、さくら」

……ほんっとに、何こいつ! なに、こいつ!

「十年後にはいい女になるぜ、お前。それからなら考えてやらないこともないかもな」

「かっ……」

考えて…って、何をですか! ほんとさっきから何言ってるんですかこの人はずかしい! 信じられない! ほんとに映画の登場人物みたいで意味分かりません!

「跡部」

なんでかパパがちょっと厳しい声を出して、あとべさんにラケットを放り投げました。あとべさんはむかつくけどやけに絵になる動きでそれをきれいに受け止めて、おかしそうに笑います。

「なんだ、俺が義理の息子じゃ不満かよ、佐伯」

だから何を言ってるんですかねこのとんまな方は!

「お断りだよ」

パパも何を本気で嫌そうに吐き捨ててるんですか。怖いよ! 目が怒ってるよパパ!

「少しはやる気になったかよ?」

「そっちこそ、久しぶりで脚もつれたりしない? 無理しない方がいいよ跡部、もう年なんだしさ」

「…お互い様だろ」

だから! 本気でにらみ合うのやめてくださいこわいから!


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