いっしょにごはん | ナノ


やさしい場所 4


放っておけない。

2歳年上の、昔っから、それこそ小学生のころから、大好きな憧れのお兄さんで。頼れる優しい先輩で。いつでも僕を助けて支えてくれた有能な副部長で。
頭が良くて、スポーツ万能で、テニスも強くて、しっかり者の生徒会副会長で、さらりと何でもこなしちゃって、何をするのも超カッコ良くてモテモテで、でも爽やかで全然嫌味にならなくて。
言葉にしたら完璧な人だけど、でも時々物凄く抜けたところがあって、それは僕ら親しい仲間にしか知られていない彼の一面で…そこが一番好きだった。放っておけなかった、昔から。



「だってさくら、すごい夜泣きするんだもん。迷惑かけちゃうよ」

襖の向こうで、サエさんがこの期に及んで尚もおバカな言い訳をしている。
この面子で今更、夜泣きがどうこうって遠慮する仲でもないでしょ!

「まだ小さいんだから当然なのね。夜泣きなんか大した問題じゃないでしょう。それより、せっかく寝てるさくらちゃんを今移動させる方が可哀想なのね」

樹っちゃん頑張れ、その通りだよ!

「それが大したことあるんだってば。本当に、物凄い超音波なんだよ。あいつらはともかく樹っちゃんの家族にまで迷惑かけたくない」

あいつらって僕たちのことですか、サエさん。

「奴らが押しかけて飲んで泊まってる時点で今更迷惑も何もないのね。今出て行かれる方が迷惑です」

奴らって…僕らのことですよねー、樹っちゃん。ご、ごめんね…。

「でもさ…」

尚もサエさんが食い下がろうとしたところで、ついにバネさんがキレた。

「どらああああぁっ!」

隣で布団に突っ伏してぶるぶる震えていた人がいきなり叫んで立ち上がったから僕はぎょっとした。
どらあって…中学時代、某氷の学園にそんな口癖の先輩がいたっけな…。

「サエ!! おっ前なぁ…っ!」

仁王立ちで叫んだバネさんは多分、「何でも一人で抱えようとするな」とか「もっと俺たちを頼れ」とかそういう、すごくいい台詞を続けようとしたんだと思うんだ。
でもそれは無理だった。
何故なら、バネさんの大声に、襖側で寝ていたさくらちゃんがびくりと全身を震わせて大きな目をぱっちりと開いてバネさんを見たからだ。

「……」

やばい、というように立ち竦むバネさん。
一気に沈黙する襖の向こう。
固まる僕。
なんだなんだと文句を言いながら、亮くん、聡くん、ダビデが起き上がる気配。

なんとも形容しがたい空気の中で、さくらちゃんの見開いた目に、みるみるうちに透明な涙が湧き出した。あああ〜。
バネさんがぎくりと肩を揺らす。
さくらちゃんはちいさな口を開け、すぅーっと息を吸い込んだ。思い切り。そして。

「うわああああああああああああんんっ!!!!」

…天井が揺れたかと思った。

さくらちゃんはその小さな体からは想像もできないほどの凄い泣き声で喚いている。
うわあ耳が痛い! これ、ほんとに超音波だよ!

「…っ、悪かった! 俺が悪い! すまん、さくら!」

「うぎゃあああああああああああああーっ!!!!」

「…え、何? バネがさくらを泣かせたの? うわサイテー」

今起きた癖に、面白そうに目をキラッとさせて亮くんがクスクス笑う。バネさんは可哀想なくらい慌てて、聡くんはびっくりしながらも心配そうな顔をして、ダビデは無表情でおろおろしていた。

からりと襖が開いて、蛍光灯の光が差し込んできた。
…サエさんはやれやれといった表情で苦笑していた。その後ろで樹っちゃんがフーンと鼻息を吐き出しながらバネさんを睨んでいる。うわあ。

「サエ、悪い…」

すっかり弱って謝るバネさんに、サエさんが首を振る。

「いや、俺こそごめんね。ありがとう、バネ」

「……っ」

バネさんは何も言えなくなったみたいに唇を噛んで下を向いてしまった。
サエさんは優しい目でそれを見てから、火がついたように泣いているさくらちゃんに視線を移す。

「いつものことだから。別にバネのせいじゃないよ」

サエさんは、「さくら」と名前を呼んでさくらちゃんに手を伸ばした。
だけどさくらちゃんはわんわん泣きながらその手を振り払って暴れて、僕はびっくりした。さっきまで、あんなにおとなしくて、よく笑う子だったのに。

サエさんは慣れているのか驚いた様子もなく、穏やかな笑顔のままでさくらちゃんの髪を撫で、振り払おうとする小さな手をちょっと握って離して、さくらちゃんが嫌がって暴れるのも構わずにひょいと抱き上げた。

「よいしょっと」

「うぎゃあああああああああああっ!!!!」

「ははっ。よしよし、なにもこわくないよー」

「わああああああああんっ!!!!」

「大丈夫大丈夫」

…サエさんは爽やかに笑ってるけど、さくらちゃんは顔を真っ赤にして泣きながら、渾身の力で暴れてる。小さな手足がぽかぽかとサエさんの顔や胸や腕に当たってて、あれはあれで結構痛いんじゃないかと思った。
それにしても物凄い泣き声だ。甲高い声が部屋中に反響してわんわん鳴っている。
サエさんは樹っちゃんを見て「ごめんね、家の人まで起しちゃうね」と申し訳なさそうに苦笑した。
樹っちゃんは即座に首を振る。

「このくらいの子にはよくあることなのね。兄の子もそうでした。気にしなくていいのね」

「ありがとう。でも、近所迷惑になっちゃうし」

サエさんは胸に抱いたさくらちゃんにばっちんばちん顔を叩かれながらも平然として、「ちょっと散歩行ってくるよ」と笑った。

「散歩ぉ? こんな夜中に?」

「抱っこして散歩すると泣きやむから」

亮くんの突っ込みにサエさんはあっさり頷く。あ、今さくらちゃんの薄い爪がサエさんのほっぺたを引っ掻いて傷を作った…痛そう。それでもサエさんは笑顔のままだ。

…僕は、なんだかおかしくなってきた。

サエさんと樹っちゃんの会話の内容。奥さんのノイローゼ。お金の事、仕事の事。
父親に抱かれているのに狂ったように泣き暴れるさくらちゃん。平然と受け止めるサエさん。それはシリアスな状況だと思った。悲しい話なのかもしれなかった。

だけど、サエさんがあまりにも、昔のままのふんわりと優しい笑顔でいて、相変わらずのペースを崩さないものだから。
さくらちゃんが、サエさんそっくりのきれいな顔をお猿さんみたいに歪めて思いっきり泣き喚く姿が、ちょっと気持ちよさそうだな、とか思えてしまったものだから。
ちっちゃなちっちゃなさくらちゃんが発するあまりの音量と超音波っぷりに、大の大人の僕らが全員、ぽかーんと目を丸くするしかないこの状況が……なんだか無性におかしくなってしまったんだ。…そう、僕は昔からKYだった。
一旦ツボにはまったらこみ上げてくる笑いを押さえる事が出来なかった。

「…ぷっ」

ついに噴き出してしまうと、当然のことながら先輩たちが一斉に僕を振り返る。
だけど…ああ、だめだ、止められない。

「く…っ、っはは! あははははは!」

僕は真夜中という事も忘れて、思いっきり爆笑してしまった。僕を見る先輩たちの顔に一様にはてなマークが浮かんでいるのも、樹っちゃんの額にピクリと青筋が立ったことも、恐ろしいんだけど今の僕には更なる爆笑の要因にしか思えなかった。

「あっはははは! ちょ、もう勘弁して…っ、あははは!」

「…剣太郎?」

一番僕に近いバネさんが、訝し気に訊いてくる。僕は笑いの波の合間に苦労して言葉を紡ぎ出す努力をした。うん、頑張れ僕!

「だ…って、みんな、おかしいんだもん、ぽかーんとしちゃって。…ぷっ、すごいマヌケ面! それにさくらちゃんが…ははっ、すごいよサエさん、ほんと超音波…すごい破壊力だ、もうおかしい…!」

ひーひー喘ぎながら僕が言うと、バネさんは一瞬沈黙し、それから僕と同じく噴き出した。

「だな! 確かに、ちっこいナリしてすげー破壊力だ」

笑いの波は伝染して、ダビデ、亮くん、聡くんもそれぞれ笑いだした。

「確かに。さすがサエの子だよね。可愛いだけじゃないと思ってたよ」

クスクスわらいながら亮くんが言って、僕らはますます笑ってしまった。

「あー、サエの子だもんなー」

「そう、サエさんの子。さすが」

「サエの子なら仕方ねーよな」

馬鹿みたいにげらげら笑う僕たちを、サエさんはぽかんと見つめていた。
気が付いたらサエさんの腕の中のさくらちゃんも泣き喚くのをやめて、でもまだ小さくしゃくり上げながら、笑い続ける僕らを眺めていた。
そのふたりの顔はやっぱりそっくりで、僕はますます笑ってしまった。

「サエさん、散歩、皆で行こうよ。海! 海に行って花火しよう!」

僕の提案は、皆の笑いにますます火をつける結果になってしまった。
「こんな時間に」とか「季節はずれな」とか言いながらも、皆笑いながら立ち上がって出かける体勢をとる。ノリがいいのは昔からだ。

ぽかんとするサエさんの後ろで、樹っちゃんが青筋を納め、「仕方ない奴らなのね」と鼻息を吐き出して苦笑した。僕は心底ほっとする。

「剣太郎もこう言ってることだし、こいつらノリ出したら止められないのはお前も良く分かってるでしょう、サエ。諦めて皆で夜の散歩に行くのね」

「樹っちゃん」

「坂の下のコンビニなら季節外れの花火も置いてるかもしれないのね」

「…樹っちゃん」

サエさんは樹っちゃんを見て、皆を見渡して。最後に僕を見て、そしてやわらかく笑った。

「…ありがとう、剣太郎」

…僕がちょっとだけ泣いたのは、サエさんの笑顔とか台詞のせいじゃない。笑い過ぎて涙が出ちゃっただけだ。


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