いっしょにごはん | ナノ


やさしい場所 3


皆でわいわい騒いで、樹っちゃんの美味しいごはんを食べて飲んで、金曜の夜という事もあり、僕たちは誰ひとり帰らずいいかんじに酔っ払ったまま樹っちゃん家に泊まる流れになってしまった。申し訳ない。
でも、こういうのは本当に久しぶりで、学生時代に戻ったみたいで少しわくわくした。昔も良くこうして樹っちゃん家に皆で泊まった事を思い出す。

樹っちゃん家の、奥の和室を貸してもらって皆で雑魚寝する。樹っちゃんの家族が休む部屋とは離れているので、多少ならうるさくしても問題ない。

皆結構酔っていて、バタンキューで寝てしまったみたいだ。…みたいだっていうのは、僕が一番に寝ちゃったからさ。

いろいろな事情はあっても、サエさんが地元に帰ってきてくれる事は素直に嬉しかった。
店を継いで2代目として頑張っている樹っちゃんと聡くん、小学校の先生のバネさん、なんと小説家になってしまった亮くん、オジイの手伝いをしてるダビデ、そして地元から都内へ通勤を頑張ってる僕。サエさんが帰って来てくれたら、昔の仲間が皆揃う。
休日に時々オジイのところでするテニスに、今度はサエさんも来てくれるかな。考えると嬉しくてたまらなかった。



…真夜中、ふいに目が覚めた。
しばらくぼんやりして、天井を見つめて、ああ、樹っちゃんちだ、と思う。
起き上らないまま首を巡らせると、豆電球の明かりに照らされて、皆がすごい寝相でがーがー寝ているのが見えた。あーあ、布団がぐちゃぐちゃだ。それに酒臭い。

一番入口に近い布団に、子供のサエさんが寝ていた。

…間違えた、子どものサエさんじゃない、サエさんの子ども、だ。さくらちゃん。
僕は薄明かりのもとで目をぱちぱちさせる。
さくらちゃんは、横を向いた姿勢ですやすや眠っていた。やわらかそうなほっぺたが、重力で下に落ちるんじゃないかってくらいもっちりしてて、可愛い。
可愛いなあとにやにやしてから、僕はサエさんの不在に気がついた。
さくらちゃんの横には大人ひとり分のスペースが空いているのに、そこに人が寝た形跡はなくて、皆の布団の乱れようとは対照的にきれいだった。

サエさんはどこにいるんだろう。
もう一度首を首を巡らせてみても、好き勝手な寝相であちこちに散らばって寝ている皆の中にサエさんの姿はない。樹っちゃんもいない。樹っちゃんは自分の部屋で寝たのかな。でもサエさんは…。
気になって起き上ろうとしたとき、低く交わされる声に気がついた。

「……て、だから……」

「……それは……で……しょう…」

聡くんのイビキがうるさくて、耳を澄ましてようやく聞きとれるそれは、サエさんと樹っちゃんの声だった。
襖越しの隣の部屋で、ふたりで何か話しているみたいだった。

ふたりとも眠れないのかな。僕も目が覚めちゃったから混ぜてもらおうかな。

軽く思った矢先、「ノイローゼ」という単語が耳に飛び込んできて、僕は動きを止めた。…もしかしなくても、結構深刻な話?

「そうやって、自分を責めるのは良くないのね」

「でも実際そうなんだ。彼女を追い詰めたのは俺だ。……産まなきゃよかった、なんて、彼女に言わせたのは」

何。
聞こえてきた台詞に、頭が追いつかなかった。
え? サエさん今何て言ったの?
なんか物凄く悲しい酷い言葉が聞こえた気がするけど…僕の聞き間違いだよね?

「サエ」

低く、でもはっきりと強い調子で樹っちゃんがサエさんを呼んで、ああ聞き間違いじゃないんだって分かった。

「…ごめん」

サエさんの謝る声は、聞いてるだけで痛かった。「そうじゃないでしょう」って樹っちゃんが答えてた。
それから、ふたりの声はまた潜められて、聞き取りづらくなった。

──サエさん。サエさん。
いつも、自分の痛みは隠して笑ってたサエさん。
大人になっても彼は変わってなかった。誰よりも優しくて、自分の事より人の事ばかり考えて…でもそれは時々残酷だ。
気付いているのだろうか?
試合に負けた悔しさも、酷い中傷をされた悲しみも、自分だって同じはずなのに。落ち込む僕らをしっかり支えて励ましてくれながら、僕が反対に彼を気遣うと、「ありがとう、大丈夫だよ」って優しく笑って、心配させてくれなかった。
…あの頃の僕は、それがちょっと悲しかったよ、サエさん。
彼の優しさだと分かっていたけれど、やわらかい拒絶に思えたんだ。

胸が苦しくなって、寝返りを打って横を向いたら、バネさんがばっちり目を開けて天井を睨みつけているのに気が付いた。
バネさんはちらりと僕と目を合わせると、疲れたみたいな笑い方をした。
それから、口の動きだけで「あのバカ」と呟く。僕はなんだか泣きそうになりながら、へにゃりと笑って頷いた。

「…だけどサエ」

その間にもぼそぼそと低く会話を交わしていたサエさんと樹っちゃんだったけれど、また樹っちゃんが少し声の調子を強めて、内容が聞きとれる大きさになった。

「いくらなんでも、貯金全部彼女にあげちゃったのはやり過ぎだったと思うのね」

…僕はあんぐり口を開けた。
思わずバネさんを見ると、バネさんも同じく口を開けた間抜けな顔で僕を見ていた。

サエさん。サーエーさーんー!

「でも、子どもができたことでキャリアを失ったのは彼女だし。俺の仕事は彼女の犠牲の上に成り立ってた訳だし…」

「だからってお前、一文無しじゃどうやってさくらちゃんを育てていくつもりなのね」

「俺は男だし、どうにでもなるかなって…」

サーエーさーんー!

僕は今にも大声で叫んで突っ込みを入れたくてたまらなかった。隣のバネさんなんか真っ赤な顔で呼吸困難になりながら怒鳴り出すのを懸命に堪えてる。

変わってない。サエさん、中学生から成長してない!
優しすぎるところも、その優しさがずれているところも、ひとりで全部背負おうとするところも、しっかり者の癖に妙なところで抜けていて楽観的すぎるところも、何一つ変わってない!
不安だ。こんな人がこれから男手ひとつで子どもを育てていけるのだろうか。物凄く物凄く不安だ。

…襖の向こう側で、樹っちゃんがフーンと呆れた鼻息を吐き出し、それから丁寧にお説教を始めるのが聞こえた。

うん、樹っちゃんに任せるのが一番だ。
僕やバネさんじゃ、わあわあ騒ぐだけでお話にならない。異常に口の巧いサエさんに、うまく丸めこまれるのがオチだ。

バネさんは布団に顔をうずめてふるふると震えている。
バネさんも、今自分が怒ってもサエさんには逆効果だって分かってて耐えてるんだ。布団を握り締める指が青白くなってる。大丈夫かな、窒息しないかな。

襖の向こうでは、樹っちゃんがサエさんに丁寧な口調ながらも結構な毒舌連発のお説教を続けていて、時々サエさんが神妙に頷く声が聞こえていた。
サエさんがここまで素直になるのは樹っちゃんの前だけだ。

…しばらく低い声のやりとりが続いた後、サエさんの「…ありがとう」という声が聞こえてきて僕は少しだけほっと肩の力を抜いた。
だけどその後、サエさんが「じゃあ、そろそろ俺は失礼するね」と続けたものだから、僕は(そして多分バネさんも)寝た体勢のままずっこけそうになった。

こんな真夜中に! どこに帰るつもりなのサエさん!

本当に相変わらずサエさんは飛ばしてくれる。一見常識人に見えるこの人は、実はいろいろと凄くおかしい。本人に自覚がない所が最高に始末に悪い。

もうお父さんなんだからしっかりしてサエさん!


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