いっしょにごはん | ナノ


やさしい場所 1


こんにちは! 僕、葵剣太郎!
1年だけど部長なんだ! 人を見た目で判断すると痛い目見ますよ!

…って、失礼しました。ごめんごめん。
「1年だけど部長」だったのはずっと昔。それも頼もしい副部長と先輩たちが支えてくれたからこそで。
今でも思い出すと胸があつくなる、僕の人生で一番濃かった中学時代の夏。
あの頃の仲間たちとは今でもずっと仲良くしてる。
全員違う道に進んだけれど、今でも時々オジイのもとでテニスを楽しむのは変わらない。みんな、老人会に入っても一緒にテニスしようね!
僕たちが老人会に入る頃にも、オジイはきっと元気にオジイのはずだよね!



僕は今、実家から都内の会社に1時間半かけて通勤してる。忙しくて残業続きで大変だけど、仕事は楽しいし、地元も好きだし、毎日頑張ってるよ。
それに、僕には疲れた時のとっておきの癒しスポットがあるから。





白く塗られた木の扉を開けると、ちりんちりん、と涼しい音がする。僕はこの音色を聞くとほっとする。

「いらっしゃいませ……ああ、剣太郎。久しぶり」

そして迎えてくれるあったかい声。
それなりにプレッシャーもあった中学生時代、ずっと僕を一歩後ろから支え続けてくれた声。

「こんにちは、サエさん!」

「うん、こんにちは。はは、相変わらず元気だね」

カウンターの中でめちゃくちゃ優しく笑ってくれているのは、僕の大好きな先輩だ。

サエさん。
彼の声を聞くと、優しい笑顔を見ると、それだけで肩の力が抜けて無条件にほっとしてしまうのはもう僕の習性だ。

サエさんは相変わらず、30歳を過ぎているとはとても思えないアイドルみたいな爽やかさでそこに立っている。
とにかくカッコいい。立ってるだけでカッコいいってどういうことだ。
でもこの人がカッコいいのはそれはもう子供のときからなので、僕は今更驚いたりはしない。カッコいいだけじゃなくて、めちゃくちゃ優しくてしっかりしてて、でも時々抜けててカッコ悪い所もあるってことも知っている。

「平日なのに珍しいな。今日は休みなのか?」

カウンターの席についた僕の為にコーヒーを淹れる準備をしてくれながら、サエさんが訊いてくる。普段きれいな言葉づかいをするこの人が、僕ら仲間内に対してだけはちょっと砕けた言い方になるのが好きだ。

「うん。先週末仕事だったから、代休なんだ」

「大変だな」

中学時代僕がへこむ度にさり気なく励ましてくれたのと同じ声の色で、優しい目で言うから。
僕はへらへらとだらしなく頬を緩ませて、カウンターに崩れ落ちそうになる。

「もしかして今まで寝てたのか?」

「えへへ、当たり」

時刻はもう夕方だ。
平日の夕方、小さなこの店は学校帰りの学生たちでいっぱいだ。学生たちはグループでやってきてテーブル席に座るからカウンターの席は空いていたけど、テーブル席はほぼ満席でお店はとっても賑やかだった。

「ごめんね、忙しい時間に来ちゃって」

謝ったら、サエさんはちょっと目を丸くして、それからとろけるような優しい笑い方をした。

「ははっ、何言ってるんだよ剣太郎。水くさいなあ」

途端に、僕の背後から…つまりお店のあちこちから、「きゃーっ!」という声が上がる。…うん、笑顔一つで女の子をイチコロにしちゃうサエさんの魅力は相変わらずだ。さすがだよサエさん。

はいどうぞ、と僕の目の前に差し出される濃いコーヒーの香り。
ああ、落ち着くなあ。

今日は珍しく不二さんの姿が見えなくて、サエさんが一人で店を切り盛りしているみたいだった。サエさんはカウンターとテーブル席を行ったり来たり、忙しそうに立ち回りながらも笑顔と余裕を崩さず、お客さん一人一人と会話を交わしている。
…ほんとに、さらりとなんでもできちゃう人だよなあ、と思う。





ちょっと昔の話をするね。

中学を卒業後、六角生のほとんどが進む高校よりずっとレベルの高い進学校に進んだサエさんは、あっさり東京の、やっぱりレベルの高い大学にストレートで合格して地元を出て行ってしまった。その後はまたあっさり一流企業に就職して、僕らの中じゃ一番のエリートの道を歩んでいたはずだった。

サエさんが結婚した、と聞いたのは僕が社会人1年目でヒーコラ言ってた時だ(今でもヒーコラ言ってるけどさ…)。サエさんとはもうずっと会っていなくて、それは仲間の一人から聞いた話だった。サエさん、昔からモテモテだったもんなあ、こんなに若く結婚なんて凄いなあ、と僕は単純に考えた。羨ましくも思った。結婚式はやらないと聞いたのでカードだけ送った。サエさんからは、丁寧なお礼状が返って来た。

それから1年半くらい経った頃だったと思う。
久しぶりに六角のテニス仲間で集まった飲み会の席に、サエさんがいた。
びっくりした。サエさんが大学を卒業してから、会うのが初めてだったから。そして、座敷の席であぐらを組んだサエさんの長い脚の間に、ちっちゃなちっちゃなミニチュアサエさんがいたからだ。
僕は衝撃のあまり、開口一番「サエさん子供生んだの!?」とバカなことを口走ってしまった。爆笑するバネさんと聡くん、苦笑する樹っちゃん、クスクスと笑う亮くんたちに囲まれ、サエさんはきょとんとして──その顔は驚くほど幼く見えて、僕はなんだか胸が詰まった──、それから懐かしい優しい笑い方をして言った。

「うんそう、俺が生んだんだよ」

…僕は口をあんぐり開けるしかなかった。
にこにこ笑うサエさんが相変わらずあんまりきれいなものだから、そしてサエさんの脚の間にちんまり納まっている赤ちゃんが気持ち悪いくらいにサエさんに瓜二つだったから、え?サエさんって女の人だったっけ?とかバカな考えが頭をよぎった。同じ部活で、海で、何度も彼の裸を見てたくせに。

先輩たちはますます爆笑し、樹っちゃんはますます困った顔で笑いながら「こらサエ、剣太郎をからかっちゃ可哀想なのね」と言って、僕はようやくからかわれていることに気がついた。

そ、そうだった。昔からサエさんはこうだった。
いつもいつも、爽やかに笑いながら僕にあることないこと吹き込んでくれたっけ。曰く、「マイムマイムが踊れないうちは立派な部長とは言えないんだぞ」。曰く、「ウニを自力で採れるようになったら剣太郎もモテモテだよ」。曰く、「女の子への告白の仕方?うーん、君が好きだよって抱きしめればいいんじゃないかな」(そんなこと許されるのはサエさんくらいだよ!)。曰く、「海が近くにない人は、地面に穴を掘って思いの丈を叫ぶんだよ」更には「叫んだ後はそれを埋めるんだ。俺たちは海の近くに住んでて良かったね」……ああ、数え上げたらきりがない。

「サ、サエさんっ!」

抗議の声を上げると、サエさんはあははと爽やかに笑って、ちっとも悪いと思ってない言い方で「ごめんごめん」と言った。全くこの人は…。

「剣太郎が変わってなくて嬉しくなっちゃったよ」

もう〜と唸りながら僕も座敷の席に座る。
今日の飲み会場所がいつもの居酒屋じゃなく、閉店後の樹食堂だった意味がわかった。赤ちゃんがいるからだ。

「サエさんほんとに久しぶり! もう、全然帰って来てくれないんだから。子供が生まれたなんて聞いてないよ。お祝いしたかったよ」

むっとしつつも、久しぶりに大好きな先輩に会えた嬉しさから僕が言うと、先輩たちは一気に苦笑を深め、微妙な空気が流れた。え? 何?
複雑な笑顔で黙り込む先輩たちの中で、サエさんひとりが変わらない優しい顔で笑いながら、「ありがとう」と言った。

「サエさん、今日、奥さんは?」

微妙な空気に首をひねりながら僕は訊いた。僕は昔からちょっとKYだった。
サエさんはにこにこしながら、またしても僕に衝撃派を食らわせた。

「うん、仕事。でももう彼女は奥さんじゃないんだ」

「……へっ? それって…?」

「うん。別れたんだ」

それって、そんなにこにこしながらさらりと言うようなことだろうか。
僕はまたからかわれてるんじゃないかと思って他の先輩たちを見る。…彼らの表情を見て、からかわれてるんじゃないとわかった。
サエさんは続けて言った。

「俺、会社辞めたんだ。ここに帰ってくるから。またよろしくな剣太郎」

会社。
会社って…あの、入るのが超難しい一流企業を、辞めた?

「えええええええーっ!?」


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