ピエロと怪獣






「向日といるとすごく楽しい、びっくりするくらい楽しい」

小森がそう言って笑ったとき。
向日は、ドラマみてーな現象って本当に起こるんだな!と心から思った。
趣味じゃないので恋愛もののドラマや漫画なんてほとんど見た事がなかったけれど、以前忍足に付き合わされた映画で、主人公の男が恋に落ちた瞬間に画面がキラキラ輝きだし盛り上がる主題歌がばーんと流れるという演出があったのを覚えていた。「ありえねー」と吹き出して忍足に呆れられたものだったが…。
──なんだ、全然、あり得るんじゃん。侑士あの時は笑ってごめん。
今、向日の目の前で笑う小森はキラキラの効果を纏い、周りには白い小花が舞っていた。背景は虹色でなんかふわふわしたピンクの雲が浮いている。そしてBGMも聞こえた。キラキラしく可愛いやつ。もちろんすべては向日の脳内でのみ見え聞こえる幻想だが、その音楽は気に入った。いいかんじに跳べそうで。
なるほど、これが恋か。恋って素晴らしいな!
つい数秒前まで『比較的仲のいいクラスメイト』で『ときどき一緒にカラオケに行ったり(ただしグループで)』『昼休みに屋上でバドミントンやったり(ただしグループで)』する程度の付き合いの、『可愛いか可愛くないかで言えば可愛いんじゃねえの?ただし俺の方が可愛いけどな!』と思っていた小森が、今はキラキラした絶世の美少女に見えるではないか。恋効果、半端ない。
そのテンションのまま向日はニッと笑って小森の両手を取り、

「じゃあ俺と付き合おうぜ!」

と言った。思いついたら即行動するのが自分のいいところ(のひとつ)だと向日は思っている。
隣の席でコーヒー牛乳を飲んでいた忍足が噎せた。周りにいたクラスメイトたちも一斉にざわめき、女子の数人はキャーと悲鳴を上げる。そんな中、小森は目を丸くして驚いていたが、数秒のちにおずおずと頷いてくれた。真っ赤になって。恋って素晴らしい。



思えばあの時が人生のピークだったな、と向日は思う。
その三日後である本日、あっけなく小森に振られたのだ。

「前は向日といるとすごく楽しかったのに、今は楽しくない。怖い。ごめん」

と小森は泣いて走り去ってしまった。
怖いって何が?泣かれるほど俺は嫌われたのか?…とショックで打ちひしがれる向日を、忍足が映画に連れて行ってくれた。恋愛映画だった。死んだ魚の目で画面を見つめながら、死ぬほど空気を読まない相棒に後で無理やり納豆を食わせてやろうと心に決める。決めて、つい一昨日、小森と納豆の話で盛り上がったのを思い出して向日の気分はますます落ち込んだ。小森も納豆が好きで、今度一緒に納豆料理をつくろうぜ!と約束して指切りまでしたのに…。
一体何が悪かったのだろうか。
納豆キムチ入お好み焼きと納豆チーズたこ焼きの話で引かれたのだろうか。いや、あの時は小森だって「おいしそう!」と目を輝かせ、納豆春巻きと納豆餃子の話をしてくれた。原因は納豆ではないはずだ。

「どうや岳人、ちょっとは女心っちゅーもんが分かったか?」

映画の後で忍足が訊いて来た。向日が大真面目に、

「納豆は悪くねえ事だけは分かった」

と言ったらがっくり肩を落としていたが。

「なあなあ侑士―、小森は俺の何が嫌なんだろうな? 俺マジで分かんねーんだけど」

このままじゃ納得できない。モヤモヤしたままは嫌だ。向日は映画館の狭いシートでかちこちになった体をほぐすべく、びょーんびょーんとジャンプしながら忍足に絡んだ。

「岳人、道で飛び跳ねたらあかん」
「ヘーキだってこれくらい! 小森の前でもやってたぜ」
「…………それが原因ちゃうん?」
「えっ何? それって何!?」
「…………」

疲れた様子の忍足先生が懇切丁寧に教えてくれたのは。
『女の子の前で、というよりテニス部の人間以外の前で、いつでもどこでも自由気ままに跳びまくってはいけませんよ』との事であった。
普通に会話しながらバク転したりムーンサルトをしても、テニス部の人間ならいちいち驚かずにスルーしてくれる。慣れているし、テニス部には他にもっと奇人変人がたくさんいて向日など常識人の範疇に入るからだ。だが一般人の中ではそうはいかない。

「えっ俺常識人じゃないの?」
「それはテニス部の中だけや。一般的に見たらお前は充分奇行種や」
「奇行種ってお前、いくらなんでもひどくね?」
「いいか岳人、普通の人間はなあ、多少テンションが上がっても跳んだりはしないもんなんやで?」

妙に優しく微笑まれ諭されて向日は戦慄した。マジかよ。

「え、じゃあ俺はどうしたらいんだよ!? 小森といて可愛いなーとか楽しいなーとか思ったら自然と跳びたくなっちゃうじゃんか! それを我慢しろって言うのか!?」
「…あんなぁ岳人、『可愛いなー楽しいなー』で常時横でびょーんびょーん跳ばれてみい? 普通怖いで」
「えっ、怖い?」

怖い。小森もそう言っていた。

「怖いでー。だってお前、びっくり箱から出てくるバネのついたピエロみたいに前兆なしに跳びよるもん。そらびっくりするわ。ITやん。小森ちゃんも怯えるっちゅー話や」
「おっ、おまっ…、さっきからあまりにもひどくね? あと人のカノジョ馴れ馴れしく小森ちゃん呼びすんじゃねーよ」
「振られたんやからもう彼女じゃないんちゃう?」
「ぐっ」

忍足の台詞が向日の胸に突き刺さる。恋愛映画の前に無理やりホラー映画に付き合わせたのを恨んでいるのかもしれない。だがこっちだってタルい映画に付き合ってやっているのだからお互い様と言うものではないだろうか。
向日が心の傷を抑えて呻いていると、忍足は眼鏡の奥でやわらかい慈愛の笑みを浮かべた。

「……まあ奇行種は言い過ぎたな、すまんすまん」
「ITはいいのかよ」
「あっちは髪色似とるし……でもよう考えたら岳人は巨人ちゅーよりこびt」

立体起動並みの鮮やかな飛び蹴りを忍足にキメて、向日は走り出した。
本当にそんなくだらない事が理由なのか?と疑問に思うが、悔しいけれど忍足の言うことはいつも大体正しいのだ。モヤモヤしているのは大嫌いだ。直接小森の口から聞かなければ気が済まなかった。



「…………向日、小学生?」

小森の家の近くの公園で、やってきた小森の第一声はそれだった。学校に来るときとは違う、もっさりした赤いマフラーを巻いていて、ダサいのに妙に可愛く向日の目に映った。

──今すぐ来ねえと氷帝の校舎に相合傘のラクガキするぞ! 俺とお前のフルネーム入りで!

という脅迫電話で小森を呼び出したのは悪かったとは思うが、話がしたいという要求そのものについては悪くないと思う向日は、仁王立ちで「うるせー!」と踏ん反り返った。
そんな向日を見て小森はくすくすと笑って、

「……やっぱり好きだなあ」

と呟いた。その瞬間小森の周りがキラキラ輝き出したので改めて向日は確信した。

「ああ、間違いない。恋だな」
「……恋って…」

かあああああっと小森の顔が赤くなる。首に巻いている赤いダサマフラーと同化してしまいそうだ。この前までなら「熱でもあんのか?」とか言っていたところだが、恋を知った向日は今までとは違う。真っ赤な小森がめちゃくちゃ可愛く見えてしまうのだ。

「俺、お前の事好きなんだ」
「…だっ…て、ついこの前まで友達だったじゃん。向日私の事何とも思ってなかったじゃん」
「そうだけど今は違う。分かってんだろ」
「…でも、友達でも楽しかったでしょ? だから戻れるよ」
「楽しかったけど。けどお前、俺の事すげー好きなままじゃん。ほんとに戻れると思ってんの」

ずばり言ってやると小森の肩が大袈裟に跳ねた。

「え。えー…、向日それすごい、自信過剰なんじゃないかなあ…」

目、泳いでんぞ。と思う。
こっちを向かせたい。ちゃんと自分を見てほしい。その目に自分だけを映させたい。

「友達だったけど。お前が先に俺を好きになっただろ。そんで、お前が俺の事好きだ好きだーって目で見てるから、俺がそれを受信してなんだこいつ可愛い俺も好きだ!ってなったんだろーが! 責任取れ!」
「なっ…! じゃあ向日は自分の事好きな子を好きになっちゃうの? だったら私じゃなくてもいいじゃん、向日の事好きな子なんて他にもたくさんいるよ」
「知ってるよそんな事。だけどさ、可愛い可愛い!って思ったのお前だけだし。好き好き光線半端無さ過ぎてギラギラしてんだもん。無駄にキラッキラ見えんだもんお前の事ばっかり。仕方ねーじゃん、可愛い好きだと思っちまったもんは」
「好き好き光線って……私、ゴジラ?」
「ゴジラかっけーじゃん! 俺なんか今日侑士に奇行種とかITのピエロとか言われたんだぜ、そっちより全然いーじゃん! ていうかお似合いだと思わね? 俺達」
「奇行種……IT……って」

小森は少し笑って、やっと向日を真っ直ぐに見た。少し眩しそうな視線に、向日の胸が喜びで震える。というよりズキューンと来る。恋、恐るべし。

「向日は巨人っていうよりこびt」
「あのな、さすがの俺も小森は蹴りたくないから黙ろうな?」
「……あはは」

誤魔化すように笑う小森の目線は、向日よりほんの少しだけ高い。
──すぐに抜くし、抜けなくても気にしない。

「ジャンプしたら俺のが上だし」

言った途端に小森の笑顔がすっと消えたので、やっぱり原因はそれなのか!と向日は少々ショックを受けた。忍足の言った通りだったとは。

「…なあ小森、お前も、俺の跳び方が怖いの? びっくり箱のピエロみたいでキモイの? だから別れようとか言う訳?」
「はあ!? えっ違うよ、なんでそんなふうに思うの?」
「だって侑士が俺の事ITだって…」
「……ああ、そういう事かあ…」

小森は困ったように少し笑って、「そうじゃないんだよ、向日」と言った。

「じゃあなんなんだよ?」
「うん」

言いづらそうに、小森の視線がまた地面に落ちる。イライラするとか、不安になるとかそういう事じゃなくて、単純に彼女が自分を見てくれていないと寂しいのだ、という事に向日は気付いた。

「あのね…、向日が跳ぶところ、すごいな、かっこいいなって思うし、楽しそうで、見てるこっちまで楽しくなるから好きだったの。本当にそうだったんだよ。でもね、いざ、『カノジョ』になれたら急に怖くなったの。いつ、何かひとつのタイミングが間違って、向日がすごい怪我しちゃったりしたらどうしようって。向日どこでも跳ぶから、ほんと、そのたびに心臓止まりそうで。めっちゃ怖くて。一緒にいてもずっとハラハラして全然楽しくなくて…」
「は」

向日は驚いて固まっていた。
それが理由で?

「…でも向日跳ぶの大好きだし楽しそうだし、止めたくなくて。大好きな事やめさせるなんてできないし、でも私は怖いし、前みたいに…『カノジョ』になる前みたいに、向日が跳んでるのを一緒に楽しく思う事もできなくて。自分もしんどいし、そんなのと一緒にいたら向日も楽しくなくなると思って…」

一緒にいて楽しいと思ったから、友達から彼女にしてくれたのに、と小森は言う。
してくれたってなんだ。

「…なんかさあ、やだよね、『カノジョ』になった途端にこんなのって、すごい、所有欲剥き出しっていうか…。私が心配だから跳ぶの禁止なんて言いたくないのに本心ではそんなふうに思ってて、なんか…すごい嫌な女で…。向日も幻滅したでしょ? だから言いたくなかったんだよ」

言わなければまた友達に戻れると思ったのに。
などど、小森が泣きそうな顔で続けるものだから。向日は思いっきり呆れて溜め息をついてやった。

「小森おっ前なあ…、無理だろ。友達とか戻れる訳ねーじゃん」
「え、無理かなあやっぱり」
「バーカ無理だろ。お前まだ俺の事めっちゃ好きじゃん」
「うっ」
「んで俺もお前が好きだし。なんか今ので余計に好きになったし」
「えっなんで!?」
「なんでって今すげーコクハクされたじゃん。めっちゃ好き好き光線喰らってなんかまたやべーめんどくせー可愛い!ってなったし。所有欲のくだりとかぐっときたし」
「いやいやいや向日それ引くところだからね。その反応ちょっとおかしいよ」
「いーだろ別に」

向日は思い切り踏ん反り返って言った。

「小森が可愛いのが悪い。俺は悪くない」

小森はぽかんと目を見開いて、口をはくはくさせている。呆れ過ぎて言葉にならないようだ。これ以上何を言われたところで向日の気持ちは変わらないのだから好都合だと思った。

「それに、多分もう、小森が俺を嫌いになっても俺は小森を好きなままだ。好き好き光線がなくてもずっとお前の事可愛く見えると思う。多分もうずっとだ。だから諦めてくれ」

はくはくはく。小森の口が音を出さずに動く。
話の流れからしておそらく「諦めるって何を?」と訊かれたのだと勝手に判断して向日は宣言した。

「別れない! 絶対!」
「…………」
「あと、跳ぶのもやめない! けど気をつける事にする! お前になら怒られてもいいから」
「…っ、あっ、のねぇ…っ」

やっと声が出たらしい。

「あのね、なんでそんなに偉そうなの! あとね、私は怒るのもやなの! それって無責任だよ!」
「だから、もっとちゃんとジャンプの練習するよ、真面目に。マットのあるとこで。んで、外では絶対失敗しないようにする。まあ今までも失敗した事なんかないけどな!」
「なっ…」
「…俺さ、やっぱり跳ぶの好きだからやめらんねーけど、ほんと、気をつけるから。お前に怒られるのはいいけど泣かれるのはすげーやだから」
「……」
「多分さ、お前の怖いのってそれじゃなくなんねーの分かってんだけど。…悪い、それでも一緒にいてほしいんだ。駄目?」

向日あざとい!とクラスの女子に言われる角度に首を曲げて上目遣いで、ただし態度だけは無駄に男前に、向日は小森を見つめて手を差し出した。

「それでも怖かったらさ、手、握ってて。そしたら跳べねーから」
「…………」

泣くかな、と心配だったが小森は泣かなかった。少しだけ水気の多い目をして、溜め息と一緒に笑った。やっぱりキラキラだと向日は思う。多分一生、しわしわのおばあちゃんになっても小森はキラキラだ。恋とはそういうものだから。

「…ずるいなあ、向日」

笑いながら、小森はその手を向日の手に重ねてくれた。
冬の外気に晒された手が冷たかったので、あたためるつもりでぎゅっと握ったらまた笑われた。笑ってくれると嬉しいし、

「小森可愛いな」

そう思ったのでそのままを伝えると、小森はまた赤くなって少し怖い顔をした。

「あのね向日、思った事何でも口にすればいいってもんじゃないからね。少し考えてから喋ろうね」
「小森お前やっぱり俺の事小学生だと思ってるだろ。あとお前は考え過ぎ。たまには俺を見習って思った事そのまま喋れ」
「だからなんでそう無駄に偉そうなの…」

呆れたように、寄せられていた眉をやわらかくほどいて。それから小森は「でも」と続けた。

「でもそうだね、こうやって手をつないでたら、跳ばせないため、じゃなくて。一緒に跳べそうな気がするよ。それって、きっとすごく楽しいね」

そうして、照れた笑顔をマフラーに隠した。




『文末企画』に参加させて頂きました。文末担当:こしあんさん)


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