まそらいろにはなひらく





空も海も、蛍光ブルーの洪水みたい。なにもかも眩し過ぎる。
桜は砂浜にぽかんと立ち尽くして、ただ景色に目を奪われていた。
これが沖縄の海。お父さんに「それはそれはきれいなんだよ」と聞いてはいた。だけど実際に見たら、きれいなんて一言じゃとても言い表せない、と桜は思った。
──こんな青を見たことがない。これが自然の色なんて。
呆然とし過ぎて、どれくらいのあいだ立ち尽くしていたのか。気がついたら頭がくらくらした。ものすごく暑い。当たり前だ、夏だもの、と今さらのように桜は思う。それも昨日まで桜がいた東京の夏じゃない、沖縄の夏なんだもの。

「らー」

暑すぎて、びっくりするほどの陽射しだ。太陽がうんと近い。

「らー、けーりんぞ、やー」

そう、倒れちゃうかも、と桜はあわてて帽子を深く被り直した。もともとあまり丈夫じゃない。熱中症に気をつけなさいよ、と出がけにお母さんにも言われていた。

「おーい、聞いてるかあ?」
「聞いてるよー?」

返事をして、はて、と桜は首を傾げた。わたし、誰としゃべっているんだろう?
くるんと振り向くと男の子がいた。年の頃は桜と同じ、10歳くらいに見える。ただし背は桜よりうんと高い。ひょろりとしているけれど筋肉もついている。なぜ分かるかって、その子は上半身裸の水着姿だから。全身真っ黒に日焼けして、目がきらきら光っている。沖縄って海だけじゃなく子どもまで光っているのか。彼は手ぶらだったけど、片手に銛でも持っていたらすごく似合う。東京の男の子とはだいぶちがうなあ、と桜はぼんやり考えた。
──その子は何故か金髪だった。
日本人じゃないのかな? あっ、もしかして人間じゃなかったりして。

「やー、」
「あ、わかった!」

桜が急に大きな声を出したので、男の子はびっくりしたように目を丸くした。

「ぬうがわかったんだよ」
「きじむなー!?」
「…………あ?」
「沖縄にはきじむなーって妖精がいるんだっておばあちゃんが言ってたの! あなたきじむなーでしょ!」
「…………」
「かっこいい妖精さんだねえ。あなた、すっごくきれい。髪もお顔も」

何故か固まっていた「妖精さん」は、みるみるうちに真っ赤になっていった。
桜ははっとした。もしかして、正体を見破られたらいけなかったのかもしれない…! あわてて声をひそめる。

「安心して、わたしだれにも言わないから」
「……安心できるか」
「えっ?」

ぼそりと低く呟いた男の子は、桜の手をむんずと掴むとぐいぐい引っ張っていった。東京では見たこともない巨大な木の下に。木陰に入ると少しだけひんやり涼しくなる。

「やー、熱中症んかいなりかけさ。どぅーでわからねーんぬか? しっかりしろー」
「……」
「聞いてんぬか? バカじらーんかい口開けてぼーっと突っ立って。まーから来たんだよ?」
「……あの、ごめんね、何言ってるかわかんない。それ、きじむなー語?」

男の子ははあっと大きく溜め息をついた。呆れられていることはわかって、桜は少ししゅんとする。

「ごめんね」
「…………あやまらなくて、いいさぁ」
「え」

いきなり、男の子の口調が桜にもわかる言葉になった。イントネーションはかなり変わっているけれど、でも、聞きとれる。

「熱中症になるから、水分、とれ」

男の子は話しにくそうに喋って、木の下に置いてあった水筒を寄越してくれた。

「あ、ありがとう」

自分にもわかるように話してくれたのだ、とわかって桜はとてもうれしくなった。

「ありがとうね、きじむなー」
「じゃなくて! なんできじむなー?」
「え? きじむなーじゃないの?」
「ちがう。わん……おれ、は、平古場、凛」
「りんちゃん。ありがとう」

そっか。妖精じゃなかったんだ。
でも不思議とがっかりはしなかった。同じ人間の男の子だと知ってうれしくなった。どうしてこんなにうれしいのか、桜にはまだわからなかったけれど。





「東京から転校してきました、小森桜です。よろしくお願いします」

ぺこり。
五年一組の──といっても各学年、一組しかないのだけれど──教室の前に立って頭を下げた女の子を見て、凛はおどろいた。
昨日海で会った変な女の子だったからだ。
この辺りでは見かけない生っ白い肌をして、ぽかんと口を開けて間抜け面でいつまでも海を眺めて立っていた女の子。まるで海を見るのが初めてみたいだった。
普段なら放っておくのだけれど、ぼーっと突っ立ったままその子がふらふらと揺れ出したので、これは倒れると思って話しかけた。仕方ないから水をやった。面倒だったけれど、女の子にはやさしくしろとおばあに言われているし。
最初は自分をあろうことか妖怪扱いしてきたトンチキな女の子は、凛が名乗ると「ありがとう」と言った。「ありがとう、りんちゃん」と。
学校の女子は普通凛のことを「ヒラコバー」と呼び捨てる。「ヒラコバカ」と呼ばれることすらある。「りんちゃん」なんて呼ばれたことは一度もなかった。凛は思った。やっぱりこの女はトンチキだ。
──そのトンチキ女が、転校生として同じ教室にいる。
へー。
感想はそれくらいだった。
へー、東京から来たのか。いいな。
凛はオシャレを極めたい男子なので、東京のファッションにはちょっと憧れがある。あいつ、ハラジュクとかシブヤとか行ったことあるかな。
行儀悪く机に頬杖をついてトンチキ女──じゃない、桜を眺めていたら、ふいに目があった。教室中の好奇心と注目を浴びて居心地悪そうにさまよっていた桜の目が、凛を認めた途端におおきく開いてそれから笑みのかたちに細められた。

「…………」

花が咲いたみたいだと、脈絡もなく思った。



転校生の桜は、あっという間にクラスに馴染んだ──という訳にはいかなかった。
言葉が通じない、らしい。
凛は既に話しているのでわかる。桜は一生懸命に聞きとろうとしているらしいが、クラスメイトに地元の言葉で早口に喋られるとついていけないようだった。ついていけないから、自分も話せない。会話が成立しなければ打ち解けるのはむずかしい。小学生の社会はなかなかきびしいのだ。

「やーりっか、」

休み時間、凛は校庭の隅でひとりでしょんぼりしている桜を偶然見つけてしまった。偶然だったら偶然だ、と自分に言い聞かせる。とても面倒くさかったが仕方なく──そう、あくまで仕方なく──話しかけてやる。クラスのみんなより先に彼女に会ったことで、妙な責任感?保護者感?のような感情が凛の中にほんのり生まれていたし、それに、女の子にはやさしくしろっておばあが言ってるしな!

「あ、凛ちゃん」

顔をあげた桜はぱあっと笑った。
いつもそんな顔してればいいのに、と凛は思う。不安そうに下を向いておどおどしていないで、そんな顔をすれば友達なんてすぐにできるのに。
だから、そう言った。

「やー、そうやって笑ってろ。他ぬみんなぬめー……前、でも」
「……」
「笑ってろって!」
「……え、だって、むりだよ」

桜は困った顔をする。凛はいらっとした。もともと気が長い方じゃないのだ。

「なんで無理やんばーよ」
「だって、みんなのことまだよく知らないし」
「わんのめーじゃ笑えるくせんかい」
「だって」

まだ「だって」だ。「トンチキ女」改め「だってだって女」だ。もう一生「だって」と言いながらひとりでいろ!と凛は怒鳴ろうとして……できなかった。桜があまりにトンチキなことを言うので。

「だって、りんちゃんのことは好きだから」
「…………や?」
「…………んん?」

自分で言っておいて桜は首を傾げている。

「あれ? 好きだからって、なんだろ。変だね? ねえりんちゃん、好きだと笑えるんだね、不思議だね」

待て。突っ込むべきところはそこなのか?

「そっかあ! じゃあ、みんなのことも好きになればいいんだ! そうしたら笑えるね!」
「えっ」

何故か、桜が「みんなのことも好きになる」のはいやだな、と感じてしまった凛は自分の思考にたじろいだ。

「ありがとう、りんちゃん」
「えっ、らー」
「…あ、でも、どうして笑った方がいいの?」

こいつは何を言っているんだ、と凛はいらだった。そんなの決まってる。

「うぬ方がちゅらかーぎーからさぁ」
「え?」
「……あー、その方が、かわいい、からだ!」
「えっ」
「…や?」

俺こそ何を言っているんだ?
軽く混乱する凛の前で、桜はふんわりと笑った。凛は思わず瞬きをする。「ふんわりと」笑う女の子なんて、今まで見たことがなかったから。
──そういえば、さっきも思ったんだっけ。
花が咲くみたいだって。

「ありがとう、りんちゃん」

みんなともっと話してみるね、と桜は続けた。

「…わたしにもわかるように、やさしく話してくれてありがとう。ね、できたら、沖縄の言葉、わたしに教えてくれないかなあ?」
「…………わっさんコトバならーす……あー、悪いコトバ、教えるかもしんねーんぞ?」

わざと意地悪を言ってみる。──というかこいつ、実際自分と仲良くなんてしていたら、「ヒラコバの仲間」扱いされて女子からハブられるのではないか? 凛は少し心配になった。
小学校高学年、男女は大概仲が悪いものなのだ。これが中学に入るといきなり付き合いだしたりするのだから意味わかんねえ、と兄を見て凛は常々思っている。

「え、そんなことないよ。りんちゃんはそんなことしない」
「なんでそう言い切れる」
「りんちゃんの言葉、すごくやさしいもん。わたし、好き。発音も語尾もすごく変わってるけど、すごくやわらかいかんじがするから。わたしも覚えたい。…それに、りんちゃんはわたしのヒーローだから」
「……」
「きじむなーじゃなかったけど、わたしのヒーローだから。すごくかっこよくてきれいでやさしくて」
「…………!?」

生まれて初めて、凛は絶句した。
なんだかわからないが顔と頭がものすごい勢いで熱くなっていく。沸騰しそうだ。

「ねえ凛ちゃん。ここ、海もきれいだけど空もきれいなんだね。すごい、すごい青。吸いこまれそう」

桜が指差す空は、凛にとっては見慣れたいつもの空だ。鮮やかな紺碧と真っ白な入道雲。夕方には激しい雨が降って、そしてすぐにあがる。当たり前の、いつもの空なのに。
──どうして今日はこんなに眩しく見えるんだろう。ちがう景色みたいだ。

凛はぎゅうっと目を閉じた。相変わらず目の前でふわふわトンチキな女の子と、自分の胸の中に育ち始めたなにかを見ないように。
それでも。
青と白のコントラストが、まぶたの裏に焼きついた。




『文末企画』に参加させて頂きました)
文末「青と白のコントラストが、まぶたの裏に焼きついた。」を作って下さったのはハルヒさんです。


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