第拾五幕
――褒める声だけは、とろけるように甘くて
平助の顎が青くなる。千鶴はごめんなさいと謝りながらも沖田の後ろに隠れていた。
「ごごごごめんなさい沖田先輩、私には無理です……っ!」
「いや、さっきの宙返り蹴りを期待してたんだ。あれは力は強いけど、人に乗り移ることは苦手らしいから、蹴れば出て行くと思って」
多分、これで平助は元通りになるよ――沖田はそう言った。
そして、思い切り蹴り上げたせいで後ろに倒れた平助の肩が揺れる。
「平助、道路はそんなに寝心地がいい?なんなら踏んであげてもいいけど」
そう、沖田が声をかければ、―――ぴくりと平助の肩が揺れた。
びくり。千鶴が怯えつつもおそるおそる平助の顔を覗きこむ。
「……ってぇ……」
「生きてました……!」
「うん、まあそりゃ生きてるだろうね、平助だし。……で、先にこちらを片付けないとね」
「え……あ、」
ざあ、と闇が引き寄せられるように一点に集まっていく。禍々しい気配に、千鶴は目を細めた。
「闇――ですか」
「うん。僕も倒し方は知らない」
「こないだ、私の実家の蔵にあった書物に書いてあった気がします……。闇、ですよね?」
「そう、闇」
「……私が、試してみます。斎藤先輩、少し協力してくれませんか?」
「あ……ああ」
そう、斎藤が頷いた時。
『僕らを、殺すの?』
聞こえた、こえ。
「……え」
『くすくすくすくす。あの時は君は勝てなかった』
『そう、君はとても非力だったんだよね』
「なんの……ことです……?」
『君は忘れてしまった!いいや、自分で自分の記憶を忘却のかなたに追いやったんだ!』
「……?」
『前だったら、君の体が覚えていたかもしれないけどね!今の君の体は新品だ、まだ十年ちょっとしか生きてない!』
『前みたいに、千年もの長い時間を生きていたわけではないしね!』
「……千、年……?」
『ふふ、わからないの?』
『君は、死ぬ事を禁じられていたんだよ。だから、千年もの間に年をとって、若返ってを繰り返してた!』
―――ドクンッ!!
「―――っっ」
「千鶴?」
―――ふ、と周りの景色が反転したように見えた。周りの世界に白い靄がかかって、そこに映し出された景色がそう見えるから……。
今の時代に着る事のない巫女服のような衣装を見に纏った千鶴と、桃色に白い袴を着けた千鶴。
二つの世界が対称に映し出され、目の前がくらりと揺れる。
「千鶴……?」
「一君?ちょっ……こんな非常事態にどうしたんだよ……って、千鶴、大丈夫か?」
「呼びかけても返事がないんだ。何か、遠くを見ているようだが……」
「一君、平助」
その時、ぞわりと背筋が凍った。言い表せない悪寒に、斎藤と平助は振り返る事ができない。
「―――な、んだよ総司……」
「……………」
「少しだけ、そこをどいていてくれる?」
振り返られぬまま、斎藤と平助が立ち上がる。沖田は無表情のまま、千鶴の頬に触れた。
「どこを、見てるの」
怯えたような、驚いたような、そんな目に沖田は舌打ちをする。
こちらが、見えていない。彼女の目がこの世界のモノを映していないことがはっきりと分かる。
「……君が見るべきなのは、そんな空虚なんかじゃなくて―――」
ふわりと沖田の手が千鶴の頭に触れる。そこから零れた金色の光が、暖かく千鶴を包み込む。
パチン、と指が鳴らされた。
「僕、でしょう……?」
「……っぅぁ……っ!?」
「君を今日この時間に呼んだのは、思い出してもらうためだよ」
「……おき、た……せんぱ……っ」
「思い出して。……君の目的を果たすには、それが必須になるはずだ」
(―――思い出す?)
何を……?
「千鶴。……君がやらなければならないことは、何?」
知っている。私は、それを、その目的を知っている。知っているはずなのに、気付けない。分からない分からない……!
渦巻く思考がまとまらない。千鶴はそれでも、必死に思い出そうとした。
「わた……私が、やらなければ、ならないこと、は」
『―――――』
「そう。……いい子だね」
(ああ、私はこの瞳を知っている)
翡翠の瞳が透かし見るようにじっと見つめてくる。全てを圧倒する雰囲気に、千鶴は飲まれそうになる―――。
(この瞳は、沖田先輩でも、ましてや先ほど視た【沖田さん】なんかでもない)
じゃあ、この人は一体誰?
千鶴は、得体の知れない恐怖に惹きつけられるように、その場から動くことができなかった。
*
(20130909:公開)