第壱幕
――さみしさ、驚き、そして絶望
―――変な夢を見た気がする。
千鶴は痛む頭をおさえ起き上がる。不思議な夢だった気がするが、ぼんやりとかすみがかって鮮明に思い出せない。
今日は何か用事があったかと寝ぼけた頭で思い出す。記憶が正しければ、今日江戸に戻る予定だったはずで、荷物が昨日のうちに整えられていた。
「……結界を張れば、しばらくはもってくれるよね」
しゃら、と音を立てて鎖が絡む。手のひらの上で輝いている五芒星が描かれた首飾りをじいっと見つめた。
ふ、と音もなく世界が闇に沈む。否、千鶴の世界が闇に沈んだ。そして、手のひらから徐々に銀色が広がっていく。
「闇の地に、白虎の加護を」
呟き、目を閉じれば、一層光は強さを増した。目を刺す勢いで光が飛び散る。徐々に闇はその範囲を失い、消える。
ふう、と息をつき、手のひらの上のそれを見つめた。
「白虎の土地じゃないから効きが甘いか……。でもやってないよりかはましかな」
幾分かはましだから―――そう呟いて、千鶴は後ろの家を振り返る。しばらく世話になった家だ。
また、すぐに戻ってくるだろうが……そうは言ってもしばしの別れはさびしいもの。千鶴はぺこりとお辞儀をし、夜の京へ一歩足を踏み出したのだった。
そして、しばらく歩いたところで案の定浪士に絡まれる。男装をしているからきっと男と間違われたのだろう。
小太刀をよこせ、と追いかけてくるそれを千鶴は息も切らさず振り切った。
「………」
(迂闊に出て行くと悪循環になる、かな。……うーん)
この小太刀は護身用のものだが、結構な値打ちらしい。詳しくは知らないが、どこかの豪邸の家宝だったとも噂されている。
「……な、なんだお前ら、」
「こいつら、目が紅いぞ……?」
「っひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」
「!!」
肉を斬り、骨を断つ音。それが無残にも響き渡り、浪士の絶叫がこだまする。
(……あれは)
――物怪?……いや、違う。似たような気配だけど、純血の物怪じゃない……。
(……でも、似たような気配だし、人を襲っているのなら……)
考えるまでもなかった。こちらに被害が来るのは迷惑だ。銀色の首飾りを下げ、じゃり……と地面を踏む。
その音に、事切れた浪士の血をおぞましくも啜っていたそれは千鶴の方を振り返った。
狂気が渦巻く紅い目になど興味がない。銀にも白にも見えるその髪にも興味がない。
手のひらを――満月にかざした。
「風よ、」
ざあ、とまるで応えるかのように風が鳴る。
「……久々の出番です。――雪村流、戦法其の壱――"かまいたち"」
告げた瞬間、バケモノの体のあちこちから血が吹き出す。……斬られたのだ、風という刃に。
「――!?」
しかし、次の瞬間には傷がふさがり始める。予期しないできごとに千鶴は驚きを隠せない。
まさか、あの大量の刃を受けて、こんなに血を流しているのに立っていられるとは思わなかったのだ。
それが、隙。後ろにはもう一体の羅刹が刀を振りかざしていて―――。
やられる、そう覚悟した瞬間。
「……?」
先程までとは打って変わり、静けさが辺りを覆い尽くす。ふりかえれば千鶴に刀をふり下ろそうとしていた羅刹の胸から刃が飛び出していた。
――じゃり、と聞こえたのは二人分の足音で、千鶴は初めて二人分の気配があることに気がついたのだった。
*(20130805:執筆、公開)