17 懐かしさの正体は
渚くんのことは気になったものの、次の日にはケロリとそんなことは忘れ、私はまた全国大会の会場に来ていた。
と言っても時間はもう10時すぎ。これでも頑張って起きてきたが、青学と氷帝の試合はもう始まっていた。ダブルス1は既に終わってしまったようで、跡部とリョーマの試合の途中であった。
隣のコートでは、吸水作業が行われており、近くに四天宝寺、不動峰のメンバーが集まってウォーニングアップをしている。
そして午後には青学と四天宝寺、そして立海と名古屋星徳、か。結構スケジュールカツカツなんだな。
既に始まっている跡部とリョーマの試合を見に行くと、氷帝の人たちも、青学の人たちも、固唾をのんで試合を見守っていたので、何だか近づいて見る気になれず、遠くから眺めることにした。
「あ、えっと、五十嵐さん」
「……あ、ああ、渚くんか。どうも」
振り返ると、私服姿で帽子を深くかぶりマスクをしている渚くんがいた。
「どうしたのその恰好……風邪?」
「いや風邪じゃないよ。眼鏡忘れたり髪下ろすの忘れたりしたからちょっと」
「? 眼鏡なくても見えるの?」
「あー、実はあれ伊達眼鏡なの」
「あ、そうなの? なんで伊達眼鏡なんか」
「……ほら、忍足も伊達眼鏡じゃん」
「
なんか妙に納得しちゃうけどしないから」
まるで芸能人がお忍びで来てるかのような姿で渚くんは「そんなことより!」と試合をしているコートを覗いた。
「おー、すげえ。あいつ、頑張ってんじゃん」
少しマスクをずらして笑う渚くん。
あいつ? ……ああ、そうか、この人氷帝の人だもんね。
「跡部と知り合い?」
「おお。実は、生徒会長跡部なんだけど、俺副会長やってんだ」
「それはすごいな」
じゃあ結構跡部と話したりするんだ。
生徒会してる跡部とか、学園祭のゲームでしか見たことねえや。
「今タイブレーク?」
「そうだね。どっちも譲らないから長くなりそう」
スコアは既に60を超えており、両校とも緊張感に包まれていた。
その緊張が移ったのか、私と渚くんも何も言わず、ただボールを目で追いかけた。
そして両者のスコアが70を越えた時、
「本気モードの跡部……初めて見る攻撃力だ」
渚くんが呟いた。
跡部は汗を滴らせながら、必死でリョーマの打つボールに食らいつき、さらにその上で眼力……インサイトを使い、リョーマの死角を狙って打ち返す。
リョーマも、跡部との体格差をものともせず、ひたすら走ってボールを打ち返す。
こんなにも緊張する試合は初めてだ。
もう二人とも、気力だけで打っているという感じだ。
長い長い、果てしない戦い、タイブレーク。
終わりは見えない、タイブレーク。
元の世界で観ていた、ミュージカルの曲が自然と脳裏をよぎった。
命がけだな越前、俺たちの勝利のためにか
いや、お前自身の勝利のためにだろう
すごい覚悟だ越前、青学準決勝のため
いや青学の柱になるためにだろう
本気モードの跡部、初めて見る攻撃力だ
そこまで曲が流れ、止まった。
『本気モードの跡部……初めて見る攻撃力だ』
さっき、渚くんが言っていた。この言葉……
私は隣で真剣に試合を見ている渚くんを見た。
さっきの言葉が、あの曲の歌詞だとしたら。
「きっとギリギリのところで、プレイしているのさ」
私は呟く。
渚くんは、目を見開いて、私を見た。
そして、次の言葉を紡ぐ。
「……ゲーム感覚は消え、真剣勝負で挑んでいる」
「もはや余裕がなくなっているのかもしれんな」
渚くんの視線と私の視線が絡み合い、口が勝手に動くように、さらにリズムと音程も加わってくる。
「果てしのない戦い、終わりは見えないブラックホール」
「体力の限界までお前は行こうと言うのか」
「どこまで続くこのタイブレーク」
「越前!!」
「跡部ー!!」
コートから、皆の必死な声が上がった。
両者が倒れたようで、起き上がれ、起きろ、そう聞こえていたが、私は渚くんの目から目が離せなかった。
「……あの」
「
コウキー!」
意を決して渚くんに真意を求めようとしたら、突然の男の人の声に遮られた。
声のしたほうを見ると、知らない男の人がこっちに向かって走って来ていた。
「あ、やべ」
「時間だ、行くぞ」
「うす」
「え、ちょ、渚くん」
その男の人とどこかへ行こうとする渚くん。突然すぎて頭が追い付かない。
すると渚くんは困った顔で立ち止まって、ごめん、と言った。
「また、今度会おう。……有梨」
「!」
突然私の名前を呼ぶ渚くんの声色も、表情も、どこか、懐かしくて。
渚くんの姿が見えるまで、私はぼんやりとその方向を見つめていた。
「……"コウキ"」
さっきの人、渚くんのことをそう呼んでいた気がする。
……その名前は、1人、心当たりがあった。
「……おにい、ちゃん」
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