あの日確かに恋をしていた | ナノ


  4 見ていた。


「谷地さん!」
「あ、山口君! 久しぶり!」


待ち合わせ場所のカフェに入ると、高校時代ではあまり見なかった、私服の山口君が手を振るのが見えた。高校を卒業してから会うのは初めてだ。

山口君も私も、無事志望校に合格した。私は、影山君がいち早く推薦で進学を決めた東京のT大に。山口君は、月島君と一緒に東京のH大に。私と月島君は前期試験で受かったのだが、山口君は前期試験で落ちてしまい、後期試験の時に私と月島君二人で山口君の応援をしていたのは記憶に新しい。ちなみに日向も同じく東京にあるN大に推薦で進学した。


「今日影山来れないって?」
「うん。早速練習があるんだって。そっちこそ月島君は?」
「ダルいって、朝から寝込んでる。風邪じゃないみたいなんだけど」
「月島君らしいや」


山口君は月島君と同棲している。

……と言うと山口君が怒るのでルームシェアしている≠ニいうことにしといてあげよう。
なんでも、山口君がH大に合格した時にはもう一人暮らしにちょうどいい部屋なんてどこも空いてなかったみたいで。ようやく見つかった部屋は大学から五駅ほど離れた所。
そんな時に、一人暮らしするのに交通費かかってたら意味ないデショ、と月島君から言ってくれたらしい。
そして月島君は元々契約しようとしていたアパートを蹴って、二人はH大近くにアパートを借りることにしたと。


羨ましすぎかーーー!!


山口君から話を聞いた時は一人ひもじく実家で荷造りをしながらダンッと段ボールを叩いたものだ。


「引っ越し終わったばっかなんでしょ? 疲れたんだね、きっと」
「はは、そうかも」
「ほんと今日は来てくれてありがとうね、山口君」
「いやいや、だってすぐそこだし」


ああ、そうそう。
山口君と月島君が通うH大と私と影山君が通うT大は地理的にとても近い位置にあって、大学からの最寄り駅も一緒なのだ。だから今日は久しぶりに四人で集まろうかと言ったのだ。二人しか来なかったけど。

日向の大学は結構離れているが、電車を乗り継いで四十分くらいだろうか。会えない距離ではない。今度は日向と西谷さんも誘って六人で集まれればいいなぁ。まあ、しばらくは日向も影山君も、西谷さんと同じようにバレー優先になっちゃうだろうけど。


「影山も一人暮らしだっけ?」
「うん。大学の寮だけど」
「そっか」


一人暮らしが懸念されていた影山君も、大学の寮なら大丈夫だろう。食堂あるみたいだし。大学の隣だし。勉強面に心配が残るが、まあ、スポーツ推薦だしある程度は考慮してくれるだろう……。
しかし、影山君はバレー一筋だし、学部も学科も違うし、しばらくは会えないかなあ……唯一、キャンパスが同じだということが、ちょっとした期待を運んでくれている。


「たまにそっちのバレーの試合も観に行きたいし、気軽に連絡してね」


うん、とから返事をした後に、あれ、と気が付いた。なんだか今の言い方……


「山口君、バレー続けないの?」
「え? うん」
「ええええ!?」


あまりの衝撃に立ち上がる私を前に、いやだってツッキーも続けないよ? と当然のように言う山口君。ああ、そうだ。山口君の基準は全てツッキーだった。


「球技大会とかで活躍する元バレー部を目指すよ」


はは、と笑う山口君に、もうバレーを続ける意思はないようだ。ああ、勿体ない。宝の持ち腐れだよ。


「そう言う谷地さんも、マネージャー続けないんでしょ?」


その問いに、私は一瞬戸惑ってしまった。ずっと悩んでいたのだ。マネージャーを続けるか。

バレーは好き。でも、そのきっかけを作ってくれた影山君は、もっと好き。……だから、


「……うん。勉強に集中したいし……影山君を、応援したいから」


マネージャーとしてではなく、一個人として、影山君を応援したい。


「それに、ただのファンなら思いっきり贔屓できるしね!」
「ああ、そういうことね」


私が空気を変えるように言うと、山口君は笑った。


「谷地さんも有能なマネージャーだったから勿体ない」
「そんなそんな。リップサービスありがとうございます」
「はは、リップサービスじゃないよもー。相変わらずだなぁ」


くすくすと笑いながら、同じタイミングで紅茶を飲んだ。







バレーボールが体育館の床に当たって跳ね返る、心地よい音がする。前はもっと大きな音で毎日のように聞いていたが、今は少し遠くで聞いているので前のように音に驚くことはない。


「影山!」
「うす!」


バァンッ!


影山君のトスからの、スパイク。私はそれを二階のギャラリーから見ていた。このアングルで見るのは久しぶりだ。

高校一年生の時が懐かしいなあ。一年生の時は清水先輩がいたから、私はずっと客席から観戦していた。清水先輩が座っているところに自分も早く座りたいな、とたまに思ってたけど、二年生になっていざ自分が座ると全然落ち着かなくて。皆の熱がピリピリと肌を刺激して。

それでも、もうマネージャーとしてベンチに座ることはできないのだなと思うと、寂しい。


「影山ナイストス」
「あざす」


スパイクを打った人が笑顔で影山君の背中を軽く叩く。私はそれに少しむっとしてしまった。わかってますか、貴方。影山君のトスを打てるってことがどんなにすごいことなのか。わかってますか。
しかし、実を言うと新しいチームでうまくやれてるか心配だったけど……意外と大丈夫そうでちょっと安心した。

ぼんやりとそのまま練習を見ていると、休憩時間に入った。

あ、タオルとボトル渡さなきゃ。

咄嗟にそう思って、そしてすぐに首を振った。違う。私はマネージャーじゃない。だから、影山君にタオルやボトルを渡すことは、できない。影山君を見ると、可愛いマネージャーさんからタオルとボトルを受け取っていた。

ちくり、と胸が痛む。
ああ、こんな思いをするなら、やっぱりマネージャーやるべきだったかなぁ。はぁ、と溜息をついた――その時だった。


「あははは!」
「す、すいません……癖で」


マネージャーさんが笑い出し、その傍らで影山君が申し訳なさそうに頭を下げていた。


「どうした?」
「いやあ、影山君、高校の時の癖であざっす谷地さん≠チて普通に言ってドリンク飲み始めるものだから、おかしくって」


え……

私は咄嗟に柱の陰に隠れた。心臓がドキドキと音を刻む。知らなかった。そんなに、私……嬉しい。どうしよう。すごく嬉しい。

突然のことに頭が混乱して、私は熱くなった頬を両手で包んでうずくまった。







それから時間を見つけては、バレー部の練習を観に行っていた。もちろん試合も観に行った。たまに月島君や山口君も誘って。二人も影山君が新しいチームになじめているか心配だったみたいだったけど、練習試合の様子を観て安心したようだった。

最初のほうはこっそり観ているだけだったけど、さすがに私ほど頻繁にバレーを観に来る人なんていない訳で。バレー部の皆さんには顔と名前が知れ渡ってしまったようで、観ているとたまに声を掛けられるようになった。

と言っても、うちの練習どうですか、とか、下に降りてきてみませんか、とか、マネージャーやりませんか、とか。元烏野高校バレー部マネージャーということで、完璧にそっち≠ナ観に来ていると思われているらしい。いや、私はただ影山君を見に来てるだけなんですけども。

でもまあ社交辞令として、すごいですね、高校とは大違いです、とか、シューズがないので遠慮しておきます、とか、マネージャーはごめんなさい、とか律儀に答えている。
まあそんな私を見た影山君のドヤ顔が見たいだけなんだけども。何でドヤ顔なのかはわからないけど、可愛いから理由なんて全てどうでもいいよね。

そしてたまに、練習が終わる時間まで見学していると、影山君がアパートまで送ってくれるようになった。まあ、バレー部の先輩が影山君に「送っていけ」って言ってるんだけどね。でも高校の時みたいに黙って隣を歩く影山君に、私の心臓は相変わらず煩く高鳴っていた。


「谷地さん、マネージャーやらねえんスか」


その日は珍しく、影山君が話題を振ってくれた。


「やらないよ。毎日は行けないし」
「俺は今のマネージャーより、谷地さんのがいい」


ひゅ、と息がつまった。

隣を歩く影山君を見上げると、影山君はいつもの表情で前を向いている。


「……あ、の、影山君」
「はい」
「そういうことは、あんまり言わないほうが、いいと思う」


私のその言葉に、影山君が足を止めた。私も一歩遅れて足を止め、影山君を振り返る。影山君はまっすぐ私を見ているけど、私は影山君を見ることができなかった。


「何で」
「……えっと」


行き場のない視線をうろつかせる。ちらり、と影山君を見ると、まだじっと私を見ていた。そのまっすぐな瞳に私の体温は急上昇する。


「かっ」
「か?」
「勘違いッしちゃいます!!」


気が付いたら、そう叫んで走って自分のアパートに駆け込んでいた。







あの日から、バレー部の見学には行っていない。何となく、行きづらくて。代わりにバイトのシフトを増やしてもらったりして、見学に行ける時間を作らないようにしていた。影山君のことが気にならない訳ではないけど……


「仁花ー」
「ひゃい!」


食堂で一人お弁当をつついていると、同じ学科の友達のナミちゃんが声を掛けてきた。ぼんやりしていた私はかなり吃驚して箸でつまんでいた唐揚げを弁当箱の中に落としてしまった。それを見てナミちゃんは大爆笑してた。お前のせいだぞ、ナミちゃん。
ナミちゃんは笑いながら私の向かいの席に座る。


「で、どうしたの?」
「あ、あのさ、仁花明日の夜空いてる?」


豊富な胸をテーブルの上に乗っけてずいっと顔を近づけてくるナミちゃん。明日の夜。バイトはお店の定休日のためナシ。つまり予定ナシ。


「空いてるけど……」
「良かったー! あのさ、一緒にご飯行かない? 学科の子も何人か来るんだけど」
「え、それ私が行っても大丈夫?」
「ダイジョブ! 予約してたのに今日急に一人キャンセル出ちゃって困ってたんだ〜」


そういうことか、と納得し、私はスケジュール帳の明日の日付の欄に『外食』と書き加えた。







「……ナミチャン……?」
「ごめん仁花。今日は奢るから許して」


次の日の夜、私はナミちゃんに連れられておしゃれな居酒屋へ来ていた。
しかしおかしなことに集まった同じ学科の女の子たちは皆テーブルの片側に一列に座っていた。私はそんな女の子に挟まれるように座っている。女の子たちはみんなそわそわと髪をいじったり鏡を見たり腕時計を見たり。

あー、これは。


「合コンだなんて聞いてないよ!?」
「だからごめんって! どうしても一人足りなかったんだよぉ」


隣にいる幹事のナミちゃんの肩を掴んで必死に揺らす。合コンだなんて私が来ていい場所じゃないよ! そういうのはもっと可愛い女の子たちで埋め尽くされてなきゃ来る男子がかわいそうだよ!


「でも仁花彼氏いないでしょ? 大丈夫でしょ?」
「い、いませんけど! でも……」
「あ、ほら男子来たよ! こっちこっちー!」


逃がさない、という感じで強烈なウインクいただきました。そりゃあ彼氏はいませんけども……いませんけども!? というかだいたい私、初対面の男の子となんて喋れないよ……もうやだ帰りたい……
下を向いて膝の上でぎゅっと手を握った。うぃーす、とか今日はよろしくーとかいう低い声と、ガタガタと椅子に座る音がする。

こういう時に、ふと頭に思い浮かんでしまう影山君の顔。もうしばらく会ってないような気がするけど、影山君の顔も、声も、鮮明に思い出すことができる。影山君、今何してるのかな。やっぱりバレーかなぁ。

会いたいな……


「谷地さん、やっぱりいた」


突然耳に飛び込んできたその声に、私は勢いよく顔を上げた。だって、その声は


「か、げ……やま、君……?」


深い夜闇のような瞳の中に、私が映った。



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