1 夢のような現実
「部長!次こっちお願いします!」
「おう、ちょっと待ってろ!水飲んでくるわ」
「はい!」
桐生斗真。
それが俺の名前。
テニス部部長で、今は きっと中学最後になるであろう大会に向けて練習をしている。
ちなみに団体ではなく個人で――シングルスで出場する。
この大会が終わったら受験勉強に専念、か……
まあ、この大会で何か成績残せばテニスでの推薦でどこか高校行けるだろうって先生も言ってたし……
ぶっちゃけテニスできれば高校なんてどこでもいいんだけど。
そんな進路への漠然とした閉塞感を抱えながら、俺は毎日テニスをしていた。
「部長ってカッコイイよな!」
「っ、」
水飲み場で水を飲んでいると、後輩の声がした。
ああ、あそこからここは死角になって俺がいるの気付いてないのか……。
「それな!何回も大会で優勝してんだろ?おまけにイケメンだしマジ憧れる!」
「次の大会も絶対優勝するぜ!」
勝手なこと言うな
優勝するって決まってる大会なんてない
"
次の大会で優勝すれば推薦で高校に行けるのよ"
わかってる
ギリ、と俺は奥歯を噛み締めた。
いつからだろう。
テニスをすることにこんなにプレッシャーを感じ始めたのは。
「きっと将来プロになるんだぜ!」
「あ、じゃあ今のうちサインとか貰っておいた方がいいんじゃね?」
俺は静かにその場を後にした。
*
「ただいま」
「おかえり斗真、お風呂沸いてるわよ」
「んー」
俺は荷物を置く為に一度部屋に戻る。
両親の一言一言にも、俺はプレッシャーを感じていた。
自然と身体がベッドの上に倒れこんだ。
「……疲れた」
俺はそのまま深い眠りに落ちた。
*
パチ、と電気つける音がして、視界が明るくなる。
あれ……俺電気消してたっけ……
つーか何か心なしかベッドが超ふかふか……
もぞもぞと寝返りをうつと、誰かが俺の顔を覗き込んだ気配がした。
「キミ……」
聞き慣れない声がしたので目を開けてみる。
「……ん?」
サラリ、と茶色の髪が揺れ動く。
「キミは誰?……僕のベッドで何で寝てるの?」
寝起きの頭をフル回転させる。
見覚えがあるぞこの顔。
誰だっけ。
えーと
ああ、そうだ
確か俺の部屋の本棚の真ん中を陣取ってるあの漫画の──
「…………………不二、周助……?」
「……何で僕の名前を知ってるの?」
俺は寝起きの目で不二周助をぼんやりと見た。
テニスの王子様、か……
そういやキャラに憧れて技を真似したりしてたな……できたのはほんの一部だったけど……
「……ねえ、聞いてる?」
昔、不二の技で何かやろうとした気がする……
何だったっけ……
ああ、そうだ羆落としだ。
ラインギリギリまではいかなくても1回だけ成功したことがあって……でも不二みたくかっこよくキメられなくてすごく悔しかったなあ……
「……キミ、起きてる?」
懐かしい思い出が次々と思い返してくる。
あの頃はテニスをするのが楽しくて楽しくて仕方がなかった。
「おーい」
懐かしいな……あの感覚。
でもそろそろ起きて風呂入んねえと……
夕飯もまだだし……
「ちょ、ちょっとちょっと!!」
「……ん?」
「いや、ん?じゃないでしょ。ここ、僕の部屋なんだけど」
不二周助が必死で俺を揺さぶって起こそうとする。
「いや……でも風呂も夕飯もまだだし……」
「……何を言っているんだい?キミ、この状況わかってる?」
この状況?
「夢だろ夢……テニプリの夢……」
「テニプリ……?何それ」
「お前らが出てくる漫画の名前だよ……いいから夢から覚まさせてくれ」
「漫画……?ちょっと待って、どういうこと?」
説明めんどくせーなあ……
それよりも早く夢から覚めたい……
そう思うと自然と瞼が落ちてきた。
すると、
「ちょっとキミ、」
ぐい、と頬が突っ張る感覚がしたと思ったら頬に強烈な痛みが走った。
思わず跳ね起きる。
「
ってええ!!何すんだ、よ……」
……"
痛い"?
「キミ、何か勘違いしてない?ここは夢の中じゃないよ」
……。
俺は鈍い痛みと熱を持ち始めた頬を手でさすった。
夢じゃ
ない?
「
はああああああああああああああああああ!?!?!?!?!?」
*
「……大丈夫?」
「……大丈夫に見えるか?」
壁に頭を打ちつけたり、自分で頬を叩いてみたり、窓から飛び降りようとしてみたり(これは不二に止められた)、いろいろ試したが、ただただ痛いだけだった。
落ち着け、と不二にベッドの上に座らされる。
落ち着けないけどな!
「……あー……何だ、………その……」
俺は頭を抱えた。
夢じゃないってことは俺は"テニスの王子様"の世界に来ちまったってことだろ?
そんなことあるのか?
いや、でも実際俺はこうしてここにいる訳だし。
つか俺、どうやったら戻れんの?
大会までに戻れんの?
大会出れないってなれば推薦の話もなくなって、一般受験して、……落ちて、
俺だけ、来年になっても高校に行けない、なんて、ことにガタガタと身体が震え出す。
何だよ、俺、テニスできればそれで良かったんじゃないのかよ……
すると、ぽんぽん、と背中に優しい感覚があった。
「落ち着いて。大丈夫、僕がいるから」
「……」
ふと顔を上げると、隣に不二周助がいた。
不思議と、身体の震えが止まっていた。
「……すんげーめちゃくちゃになるかもだけど、俺の話、聞いてくれる……?」
不二はにこりと笑った。
「もちろん。あ、でもその前にキミの名前を教えてくれるかな?僕は不二周助」
「……桐生、斗真」
*
「つまり、ここは"テニスの王子様"っていう漫画の世界の中で、キミは漫画の世界にきてしまったってこと?」
「信じられん話だけど、そういうこと」
不二は最後まで真剣に話を聞いてくれた。
いい奴。
「で、キミは早く帰らないと大会に出場できなくてついでに高校に推薦で行けなくなる、と……」
「……まあ出場したとしても結果残さなきゃ意味ねえんだけどな」
ふーん、と言って不二は俺を見た。
「キミがその物語を知ってるっていう証拠はある?」
「証拠?」
証拠か……
「不二は……越前と、試合したことがあるな。公式の試合じゃないけど」
「……」
「でも、不二がリードしていた時点で、雨で中断されてしまった」
不二は表情を全く変えない。
……まだ駄目か。
「あ、青学の皆でボーリングに行った時、不二は青酢で倒れたよな」
「……公式の試合じゃなくて関係者しか知りえない情報をわざわざ選んでくれたの?」
「だって公式の試合だったら調べれば出てくるし」
「……」
不二はじっと俺の目を見た。
不二の瞳の色綺麗だな……
そう思ってぼんやり見ていたら、突然不二が笑い出した。
「ははは、何じっと見つめてんの気持ち悪いな」
「
見つめてきたのはそっちだろ」
何故か爆笑する不二につられて俺も笑った。
「いいよ」
「え」
「キミの話、信じよう。キミが嘘ついているようには見えないし」
「本当か!」
「そこでさ、」
不二はニヤリと笑った。
「ひとつ、提案があるんだけど」
「……何だよ」
不二は面白いものを見つけた時のような笑顔で言った。
「元の世界に戻れるまでキミをうちに置いて、ついでに青学のテニスの練習に参加できるようにしてあげる。そして元の世界への戻り方も調べてあげよう」
「!どうやって!?」
「最後まで話を聞いて。――その代わり、キミは"テニスの王子様"の話を僕にする。……交換条件だ。キミにとっては利益は大きいと思わない?」
俺は考える。
確かに……俺はテニプリの話をするだけで、元の世界に戻るまでここに寝泊まりできて、テニスもできて、あわよくば元の世界への戻り方まで見つかるかもしれない。
不二にとっては不利だ。
でも……テニプリの話をするって、
「不二、ちなみに今はいつ?……関東大会終わった?」
「うん、関東大会はとっくに終わって、今は全国大会の前だよ」
全国大会前。
俺が知ってるのは全国大会も終わってU-17の合宿が始まる所まで。
つまり俺はこいつらの未来を知っている。
「もしかして……僕らの未来も知ってるの?」
「いや……」
「そういうのを教えてくれればいいんだよ」
もし俺が今不二に"お前らは全国大会優勝する"って言ったら。
もし、言ったなら……
「……駄目だ」
「……どうして」
「
勝つか負けるか決まっている試合なんてないからだ」
そのことは、多分俺が一番知っている。
勝つか負けるか、そんなの試合をやってみなければわからない。
すると、不二がフフフと笑い出した。
「……お前、何か企んでない?」
「ハハハ、まさか」
その笑顔が胡散臭いんだよ。「キミの考えはわかった。じゃあ僕にとって過去のことや、作者や、ファンについてでもいい。そういうことを話してくれない?」
「ああ……まあ、それなら」
「交渉成立、かな」
今の俺にはこいつしか頼れる人がいないんだ。
「よろしく頼む」
「ありがとう。よろしくね」
しっかりと、握手をした。
不二の手も俺と同じようにテニスラケットを握った時にできる豆だらけで、固くて、努力の跡が感じられた。
漫画で描かれてない所で努力してんだな、こいつも……
「で、これからどうすんの?」
「家族にはどうにかこうにか言って――」
「待て待て
待てダメだろさすがに!」
「そう?謎の中学生が一人や二人増えても大丈夫だと思うけど……」
恐るべし不二家「あ、いや、お前が大丈夫だと思うんならいいんだ。うん」
「きっと大丈夫だよ。……で、そうだな……手塚達には何て言ったらいいかな」
「いや、別に俺はテニスができれば青学に行かなくても――」
「
え?」
「……ナンデモナイ」
「どうせだしこの世界満喫しなよ」
語尾に星のマークがつきそうな勢いでそう言う不二には、やはり面白いものを見つけた少年の笑顔があった。
「明日から行くからね」
「おー………………
え?」
「明日も部活あるから、一緒に行くよ」
「
そんな突然!?」
ああ、何だろう。
ありえない現実を妙にすんなり受け入れてしまっている自分がいる。
「じゃあ、改めてよろしくね、桐生斗真」
「……こちらこそ。不二周助」
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