月に叢雲 花に風 -中編-




 太陽が黄金からオレンジ色に変わり、火影岩を照らし出す。

 ゴシゴシと最後の部分を二人でこすり終え、ようやく綺麗になった岩を見て、ヒナタは笑みを見せる。

「よし、コレでおしまい」

 ふふっと笑って額の汗をぬぐったヒナタは、へとへとになっている息子を見て苦笑してしまった。

 あまりにも昔に見たナルトと同じ動作をするものだから、懐かしくなってしまう。

 さすがに疲れた様子であったが、上からヒマワリの声が聞こえ、二人同時にぱっと上を向く。

 急に上を向いたからなのだろうか、一瞬だけ貧血を起こしたようにふらりと意識が傾ぐのを感じ、慌ててチャクラ吸着を強め、足に力を入れて踏みしめる。

 こんなところから落ちては、シャレにならない。

「母ちゃん?」

「大丈夫。ボルト、皆でケーキ食べようね」

「おう!母ちゃんの料理はぜーんぶ美味しいから楽しみだってばさ!」

 先ほどまでの疲れはどこへやら、満面の笑みを浮かべて頷くボルトが、自力で上を目指して登り始めたのを見て、ヒナタはくすりと笑う。

 父であるナルトが相手なら甘えてなのだろうか、抱えて登ってくれるまで待つというのに……

(私って、ボルトにとっては守る対象なのね)

 小さな息子がどんどん昔のナルトと同じように強くなっていく、強くなろうと努力している姿はとても素敵なことだと思えた。

 その後ろ姿とヒマワリとイルカの方を見上げ……空に浮かんだ大きな月を見た瞬間、ヒナタは凍り付いてしまう。

(え……月……が……近い……?)

 夕暮れだと思っていたのに、既に火影岩の上の空は夜の帳が下り、くっきりと浮かびあがる大きな月……

『ヒナタ……』

 聞こえる無いはずの声が聞こえた。

 あり得ないはずなのに、そんなバカなと、ヒナタは首を左右に振る。

 聞き違えるはずがない。

 この声の主を、忘れることはできなかったのだ。

『さあ、共に還ろう……月へ……』

 ふわりと青白い光が浮かび、そこから青白い腕を伸ばしてくる幻影が見えると、ヒナタは息を呑む。

 そして、それが幻影ではないのだと、こちらを嬉しそうに見ていたイルカとヒマワリの表情が驚きに彩られているのを視野の端に捉えた瞬間、その腕をかいくぐり、ふらつく体で息子の体を抱え上げる。

「母ちゃん?」

「上へっ!」

 ぐんっと視野が一段上がり、ナルトの火影岩の顔の上を駆け上がっているのだと認識したボルトは、母の背後から青白い半透明な男が綺麗な笑みを浮かべて追ってきているのに気付いた。

 綺麗な笑顔のはずなのに、恐怖しか感じられない。

(な、なんだってばさ、コイツ!母ちゃんを狙ってる!!)

 父のように一足飛びで上へと上がれないのは、自分を抱えているからなのだと気付いたのだが、恐怖が心を支配して手足が思うように動かなくて、迫る青年の距離に鋭く息を呑む。

「か、母ちゃん!オレを置いていけってばさ!!」

 何とか恐怖に打ち勝ち怒鳴るように叫んだ言葉を聞いた母の腕の力は、更に強くなる。

「子供を見捨てる親がどこにいるのっ!!」

 彼女にしては珍しいくらい大きな声で返され、驚き再び思考が停止したボルトの耳に、再び母の声が響く。

「きっとナルトくんが……お父さんがきてくれる。だからそれまではっ!」

 そう言った瞬間、するりとヒナタの首筋に青白い手が絡みついた。

 ゾッとするほど冷たく、無機質な感触に、全身が凍りつく。

『ヒナタ……もう離しはしない』

 ひゅっと息を呑んだと同時にヒナタの足が火影岩から離れ、ボルトの身体にまかれているロープが子供を支えるだけの強度はあっても、落ちる己までも支えることは出来ないと瞬時に判断したヒナタは、息子を守る為に迷うことなく手を離す。

 それと同時に常時懐にしまってあったクナイをとりだし、急激な落下でロープが切れ、落ちてしまうことがないように、ボルトの服を狙い投げつけ縫いとめる。

「母ちゃん!!!」

 息子の大きな声が遠ざかるのを聞きながら身体を反転させ、今度は起爆札を取り出して、それを男に向かって至近距離で投げつけた。

 大きな音とともに巻き起こる爆風で容赦なく吹き飛ばされ、岩に叩きつけられたヒナタは、即座にチャクラを練り上げ、火影岩の縁へ手をひっかけると、なんとか落下は阻止出来た様子で、上から見ていたイルカはホッと息を吐く。

 さすがに第四次忍界大戦を、その後の戦いを生き抜いてきただけはあるのだろう。

 ナルトと共に行動することも多かった彼女だからこその、判断であった。

(起爆札の爆発で、きっと気付く……気付いてくれる!)

 この火影岩にボルトがいることは知っているはずであるし、そこで起爆札が爆発したという状況になれば、ナルトが来ないはずがない。

 そう考えた末の行動であったが、息子と娘には怖いさせているだろうと思えば忍びなかった。

(いくらナルトくんがすぐ駆けつけたとしてもあと5分……5分で良いの、なんとかしのがなくては!)

 ズキズキ痛む体に鞭打ち気力を振り絞り、岩に縋り付こうと体を動かしたいのだが、それがままならない。

 まだ安心なんて出来る状況ではないというのに、力が入らないのだ。

 先ほど回された冷たい腕の感触が、背筋をゾクリと這い上がってくる悪寒を伝え、チャクラを急激に失ったのだろうか、視野はぐるぐる回っているし、体はいうことをほとんどきいてくれない状況の中、息子の声だけが意識を正常な判断へと導いてくれる。

「母ちゃん!しっかりしてくれってばさ!!」

 ボルトが使うには少し大きなヒナタのクナイを力いっぱい引っ張ってはずし、自分の腰のロープをもどかしげに緩め、ヒナタが落ちた場所まで伸ばそうとするのだが、手が震えて思うように解けない。

 それが悔しくて、更に急ぐのだが、状況は悪化するだけで全くと言っていいほど動けなくなってしまう。

 母の体に絡みつくようにいる闇───

 説明などされなくても、それが【マズイモノ】であるということは理解できた。

「イルカ先生!ボルトとヒマワリをっ!!その子たちをっ!」

 ヒナタの様子でまともに動けなくなっているのだと理解したイルカが、加勢に動こうとする気配を感じたヒナタは、背後の男の興味が子供たちに行くことを恐れ、声を張り上げる。

 そんなヒナタの意図をくみ取ったのだろう、イルカは一度悔しげに奥歯を噛みしめたあと、彼女が安心できるように大きな声で言葉を返す。

「こちらは心配ない!ヒナタ!いまナルトをっ!」

『呼んだところで間に合わないよ……この瞬間を待っていた。君をボクだけのモノにする瞬間を……ずっと!』

「っ!!」

 右手一本でなんとか体を繋ぎとめている状況の彼女の右腕に、するりと青白い手が滑り絡みつく。

『さあ、おいで……ヒナタ』

 背後から覗き込んでくる優しげな微笑を浮かべた男の顔は、忘れることなどない、辛い記憶と共に不安を運ぶものであった。

「何故……」

『愛しているよ』

 うなじの部分にチリリとした痛みを感じたあと、絶望的な言葉と共に、指が一本、また一本と外されていく。 

 チャクラを何とか練って体を指先だけでつなぎとめている状況のヒナタの体が、ずるりと少しずつ落ちていくのを見て、ダメだ間に合わないと言う言葉が脳裏をかすめる。

 辛うじてその場に留まっている母が、その男の手に堕ちる、それは即座に死へと繋がってしまう。

 昨日も、しょうがないと買い物に付き合っていた時に、急に体を傾げ倒れたのを思い出し、ぞわりと全身が総毛立つのを止めることもできず、嫌な予感と未来しか見えないボルトは、震える体を叱咤し、大きく息を吸いこむ。

 大事な母の死の影に怯えている暇はなかった、自分の出来る事をやらなくてはならないと、自らの魂を奮い立たせる。

 どんな状況でも絶対に助けてくれる、自分が一番信じている人の名を、声の限り叫ぶ。

「父ちゃーーーん!!」

 闇に染め上げられていく里を眼下に、青白い月の光を遮るがごとく、自らの体を覆い尽くすような影が舞い降りたと思った。

 布が風をはらむ音と共に、その影は、もう一つの太陽かと見紛うほど金色に輝き、辺り一帯を照らし出し、冷たい月の光を消し去り、闇を喰らい尽くす。

 狙ったワケでもないだろうに、ボルトの叫びと同時に横を一陣の風と共に通り過ぎ、空気が震え、低く雄々しい咆哮と共に、一気に黄金の光が膨れ上がる。

「その汚ねェ手を離しやがれっ!!」

 金色の太陽は、青白い月の光を纏った男に叫ぶと、絡みつく闇を引きはがすように愛しい者の腕を引っ張り、なおも求め腕を伸ばしてくる妄執を、その輝きで霧散させる。

 ギラギラ輝くオレンジ色の瞳は、今までに見たことがないほど厳しく、見る者を威圧する光に溢れ、七代目火影の名が伊達ではないのだと、ボルトは本気の父を見た気がして息を呑む。

 こんな殺気に満ちた父を見るのははじめてで、厳しい眼に宿る強き輝きに目を離せない。

 聞き及んでいたのは確かではあるが、目の当たりにするのは初めてで、これほどの力を内包していたのかと、普段の父とはかけ離れた姿に言葉も出なくなってしまった。

 そんなボルトの近くに着地したナルトは、腕に抱いた妻が無事であることを確認してから、元凶たるモノを睨み付ける。

「テメーのソレは愛でもなんでもねェ……単なる妄執だ。愛ってのは与え与えられるもんであって、一方的に奪うもんじゃねェ!」

 ヒナタのチャクラを奪ったチャクラごとナルトの黄金の輝きに焼き尽くされたのだろうか、青白い人影は闇の中に溶けていく。

『ヒナタ……いつかきっと……』

 耳に残る、残酷なまでに美しく、そして、暗い想いに満ちた声を残して───

「何度きてもお前はオレには勝てねーよ。ヒナタはやらねェ……コイツはオレのもんだ」

 力強く光に溢れる声が、その余韻をかき消すように響き、急激にチャクラを奪われたのが原因なのか、腕の中でぐったりしている妻を見て、悲しげに眉根を寄せる。

 微かに震える身体……

(ヒナタ……)

 一度、ぎゅっと強く抱きしめたナルトは、無言のままボルトの体をも抱え上げ、一気に岩を蹴り跳躍すると、火影岩の上の開けた場所へと着地し、ボルトを解放した後、チャクラを収束させ、腕の中で気丈にふるまおうとして失敗し、震える身体をどうしていいかわからず、唇を噛みしめ耐えているヒナタを見つめた。

 母の無事を確認しようと飛びつきたい子供二人も、父のいつもとは違う様子にどうしていいかわからず立ちすくみ、ただ両親を見守る。

「ナルトく……ん」

 微かに震える吐息がこぼれ、弱々しくヒナタの声が零れ落ちた。

「無事で良かった……アイツにまた奪われなくて……良かったってばよ。目の前で奪われるなんて……もう嫌だ」

 壊れ物でも扱うかのようにソッとヒナタの頬に触れ、優しく撫でる。

 いつもの父のイメージとは全くかけ離れた、まるで迷子になった子供のように頼りない顔をしてヒナタを見つめる姿に、ボルトはかける言葉が見つからず、その場に座りこんでいた。

 そんなボルトの肩に無言で手を置いたイルカは、心配そうに黙り込んだまま成り行きを見守っている、聡いヒマワリの頭を優しく撫でる。

「大丈夫。ナルトが来たんだ、ヒナタはもう大丈夫だよ」

 イルカの優しい声に、子供二人は静かに頷いた。

 父が母を守る。

 それは、二人が持つ、不変の信頼であった。

 そして、同時に思いだすのは激しい父の怒りと、あの底の知れない闇───

 底知れぬ闇を目の前にして、臆することなく戦う母と、それをこともなく霧散させた父。

 改めて、自分たちの両親が強いのだと知り、父の友人である、うちはサスケの言葉は誠であったのだと、ボルトは歯を食いしばった。

 父親の顔、母親の顔、それしか知らない自分たち子供がいて、それ以外の顔を知る人たちがいる。

 家族よりもたくさんのことを知っている人たちがいるのだと、ボルトはソッとイルカを見上げた。

 両親の恩師であるイルカも知っているのかもしれないと、ボルトは悔しさを滲ませて口をへの字へ曲げてしまう。

 大好きな父と母を一番知ってるつもりでいたのに、一番知らなかった事実が悔しくあったのだ。

 そんなボルトの気持ちを察したのだろうイルカが、ボルトの頭を優しく撫でる。

「お前たちの前で、あの二人は親でしかない。それはとても幸せなことなんだ。そのうちわかるようになる」

 目を細め穏やかな声でそう語るイルカに、ボルトは全部は理解できていないが、親の顔は子供の前でしかできないというのは把握できた。

 だから、ゆっくりと頷く。

 不安がる妹の手を握り、父と母の様子を伺った。

 母の震える体を、きっと父が何とかしてくれる。

 刻み込まれた恐怖を取り除いてくれると信じて───

「チャクラを補給するな……」

 そっと握られた、ナルトの右手とヒナタの左手が、うっすらと輝く。

 オレンジ色の光の中でもわかる、その輝き……

(オレンジ色?)

 ボルトは訝しげに空を見上げれば、空はまだ夕暮れ時が迫る頃であり、夜の気配すらない。

(え……でも、さっきは月がっ)

 母の様子がここ数日おかしかったのも、確か大きな月を見てからではなかっただろうかと、ボルトは眉根を寄せ、両親を凝視する。

 何か自らが知らないことが起こっていて、それは二人にしてみればとても重大な問題で、命すら脅かすものではないかと、ボルトは知らず知らずのうちに、妹の手を握った手に力をこめた。

(もっと……もっと強くならなきゃなんねーってばさ)

 守りたい母に守られた……と、悔しげにボルトは唇を噛みしめる。

 先ほど、自らを守る為に、迷うことなく離された手と、去っていくぬくもりを追い求める心の冷たさを、ボルトは1人記憶に刻む。

(父ちゃんのように強く……オレは、母ちゃんとヒマワリを守る為に、もっと強く!そして、いつか父ちゃんと肩を並べるくらい、いつか超えるくらい強く!)

 兄のそんな気持ちが理解できたとは思えないが、ヒマワリは母のようにふわりと笑う。

 大丈夫だというように、握った手とは違う方の手で、兄の手を撫でる。

(お前たちの子は、やっぱり似ているんだな……優しい子たちだよ、本当に)

 腕の中の子供たち二人のやりとりを見て目を細めたイルカは、チャクラ譲渡を済ませてホッと息をついたナルトと、その腕に抱かれながら、いまだ体の自由がきかないのか、ぐったりしているヒナタに視線をやった。

 とても最初は、こんな関係になると思えなかった二人である。

 その二人が手をとりあって、こうして家庭を築いていることが、何よりも嬉しい。

 一生懸命手探りで、自分たちの家族を、家庭を作ろうと努力し続けている二人が、頼もしくもあり、うらやましくもあった。

「何があった!」

 その場の空気を裂くように、シカマル、我愛羅、サクラ、木ノ葉丸が到着し、起爆札の爆発や異様なチャクラを感じたのだろう、警戒の色を強めてシカマルが状況の説明を求める。

「過去の妄執が現れただけだってばよ。またオレの前から連れて行こうとしやがった……」

「……まさか」

「月があの時以来、一番近い位置にいる。何があっても不思議ではない」

 我愛羅の言葉にシカマルは苦虫を噛み潰したような顔をして、ナルトの腕の中で憔悴しきっているヒナタに視線をやって確認すると、青白い顔がすべてを物語っているようで、悔しさを滲ませた。

 サクラがすぐさまヒナタの具合を診て、暫く誰もがそれを無言で見守るが、サクラがホッと明るい笑みを見せると、一同はつられたように安堵の息をつく。

 急激にチャクラを失ったことと、至近距離での起爆札使用による火傷と裂傷、あとは軽い貧血程度である。

 傷はナルトのチャクラが作用しているのか、すでに完治しそうな勢いで、手を出さなくても大丈夫だろうと、サクラは二人の邪魔にならないように他の3人にも異常がないか確認するため移動する。

 そんなサクラに礼を言い見送る為に頭の角度を変えたヒナタの一点に、ナルトは気になるところがあったのか、彼女の後ろ髪をさらりと手で梳いたあと、厳しい眼差しを一度送ってから無言で少しばかりの苛立ちを見せた。

 そんなナルトに気付くことなく、シカマルたちは辺りを警戒して辺りを探るのだが、もうすでに欠片も気配はなく、何も感じられない。

 まさしく、亡霊と言っても過言ではない唐突さと禍々しさであった。

 空に大きな月が浮かべば、また……と、ヒナタはここ最近聞こえていたモノが、幻聴ではなかったのだと認識し、その時のことをより鮮明に思いだすために目を閉じる。

「ここのところ……ずっと声が聞こえた気がしてたの」

 ヒナタの小さな声が、静かに響く。

「気のせいだと思ってた……微かに聞こえる音だと思ってた……でも、違った……あれは……」

 そっと目を開き、その瞳の色は恐怖も何も籠っておらず、感情はどこにあるのかわからない、殉教者のような潔さすら感じるヒナタの言葉。

 その先は言わなくても理解できたのだろうナルトの柳眉が険しくなり、わなわなと体を震わせはじめる。

「なんでそれを早く言ってくれねーんだ!貧血で倒れたって話も聞いてねーぞ!」

 何故こんな大事なことまで……と、ナルトはその場に誰がいるのかということも忘れて、震える小さく低い声で呟く。

「忙しいから遠慮したのか……なあ、オレって、そんな信用ならねーか?そんなに頼りになんねーのかよ!」

「そ、そんなこと……」

「確かにオレは火影だ」

 ヒナタの言葉を遮り、ナルトは自分の中に渦巻く感情を整理しながら、なるべく彼女に伝わりやすいように考えて言葉を運ぶ。

「夫である前に、父親である前に、やらなきゃなんねーことはある」

 淡々とした口調でそこまで言ったナルトは、そのあと何と言って説明しようかと思案し、一度言葉を切った。

 それがいけなかったのかもしれない。

 ヒナタは思い切り勘違いをして、目を伏せ、謝罪の言葉を口にする。

「うん……ごめんなさい、迷惑をかけてしまって……」

 は?と、ナルトは腕の中の妻を見て、何を言っているのかと頭の中で彼女の言葉を反芻し、らしくもないことをしたのがいけなかったと、ナルトは感情のままに叫んだ。

「違う!そーじゃねーだろ!」

 腕の中の愛しい妻を前にしてまで、七代目火影でなくても良いのだ。

 恰好悪くてもなんでも、感情をストレートに彼女に伝えるだけでいい。

 と、そこまで考えたナルトは、もう抑えることはないのだと、ヒナタをギラリと睨み付け感情が爆発したように声を荒げ叫ぶように言葉を放つ。

「確かにさっき言ったように、オレは七代目火影だってばよ!色んなモン背負って、里の為に頑張ってる!だけど……」

 青い瞳に荒ぶる感情を宿し、切なげに歪め、だけど視線を逸らすことなく、色素の薄い彼女の瞳に己の心を届けようと、必死に声を上げる。

「だけどな!お前を失ってまで、やらなきゃなんねーってことは、なんもねェぞっ!!」

 怒り、悲しみ、切なさ、複雑な思いを込めた怒号が響き、子供二人は体をすくませ、ヒナタは悲しげに目を伏せてしまう。

「火影はほかにもいる。けどさ、お前の夫は、生涯の伴侶は……オレだけだろ」

「ナルトくん……」

「片翼失って飛べるヤツなんていねーんだよ」

「……片翼」

「お前がいてくれる……だから、オレはここまでやれるんだ。お前が誰よりも信じて、最後まで一緒にいてくれる。どんなことがあっても傍にいてくれる。1人じゃねーだって思えるから、オレは強くなれる」

 愛しい妻を抱く手に、自然と力がこもる。

 それが思いの深さを表しているようで、ヒナタは切なげに眉根を寄せてしまう。

「人は本当に守りたい者の為なら……どこまでも強くなれるもんなんだってばよ。こんだけ骨抜きにしておいて、今更『月に帰ります』なんてナシだぜ……これ以上とねーくらい惚れさせるだけ惚れさせといて、手を離すなんてナシだってばよ、バカヒナタ」

 一気にまくしたてるように、叫ぶように言い切ったナルトは、泣き出しそうな顔をしながら、力いっぱい腕の中のヒナタを抱きしめる。

 誰からも奪われないようにするかのごとく、必死に掻き抱く。

 ナルトの震える肩と声を聞き、何も言えなくなってしまい、胸の内に熱い塊を飲み込んだようなつっかえを覚え、喘ぐように呼吸をした。

「こんなに強い想いを教えてくれたのはお前じゃねーか……愛を知らなかったオレに、愛し愛されることを教えてくれたのは……お前じゃねーかよ」

 久しぶりに聞いた、弱々しい夫の声───

 何よりも失うことを恐れ、何よりも求める心を知らないはずではなかったのに、負担にならないかと遠慮した結果、深く傷つけてしまった。

「……ごめんなさい」

 自然と零れ落ちる謝罪の言葉に、ナルトの震えが大きくなる。

「もうゴメンだってばよ。失うのも、いなくなるのも、こんな思いも……」

「うん……」

「それに、お前がいなくなっちまったら、オレだけじゃねーよ。ボルトとヒマワリはどーすんだ。母ちゃんいなくなったら……お前と同じになっちまうじゃねェかよ。んな辛い思いさせんじゃねーってばよ」

「うん……ごめんな……さい……っ」

「もっと自分を大事にしてくれ……お前の命も体も、もう一つじゃねーんだから」

 涙をぼろぼろこぼしながら、ナルトの腕の中で言葉ももう出ないような様子で頷くヒナタの姿に、子供たちもぐすっと鼻を鳴らし始め、それに気づいたナルトが苦笑を浮かべたあと、手招きをした。

「ほら、二人とも泣いちまったじゃねーか。ったく、しょーがねェな」

 父の許しを得て、わっとボルトとヒマワリが駆け出し、ヒナタの体に縋り付き泣き出したのを、ナルトは苦笑しつつ妻ごと抱きしめ、あやすように『よしよし』と言い続ける。

「ごめんね……怖い思いさせてごめんね」

「ママっ、痛くない?痛くない??ヒマワリ、ママのために薬草つんでくるから、ママいなくならないでねっ、パパもずっといてくれるからっ」

「ありがとう、ヒマワリ……ごめんね」

 大きな目に涙をためて、それでも必死に何か出来る事を探して何とかしようとする、心優しい娘に、ヒナタの昔の姿を見た気がして、ナルトもイルカも、ヒナタの昔を知る者たちは目を細めた。

 そんな妹の手を離さず握りながら、ボルトはキッと顔を上げ、母に向かって言葉を紡ぐ。

 本当に父に似た、ナルトそっくりの面立ちで、ボルトはその青い瞳に強い意思を灯した。

「母ちゃんごめん……弱くてごめん。オレ強くなるから!ぜってー、父ちゃんより強くなって母ちゃん守るから!!」

「ボルト……ありがとう。ボルトなら強くなれるよ。お母さん、信じてる」

 息子の嬉しい言葉に、ヒナタは目を細めて無言で数回頷くと、優しい子供たちに感極まったように再び涙をこぼす。

「約束だってばさ!」

 昔のナルトを見たようで、ヒナタは嬉しげに頬を緩めると、ボルトの頭を優しく撫でる。

 自らが決意したことで母が喜ぶ姿が嬉しくて、ボルトは誇らしげにへへっと笑うと、母の手をギュッと握った。

 また一つ息子が成長していったことを感じ、嬉しいような寂しいような……そんな複雑な思いを抱き、ヒナタは目を細める。

 ……が、そこで大人げないのが1人いた。

「ちょっと待て、そりゃ聞き捨てならねーぞ!ヒナタを守るのはオレの役目だっつーの!何で息子のお前に譲らなきゃなんねーんだってばよ!」

 は?と、いままでいい親子会話だ、感動だと思っていた一同は、ナルトの言葉に一瞬思考が停止する。

 だがいち早くこのナルトの発言に反応したのは、息子のボルトであった。

 キッと厳しい視線を父に向け、吼える。

「父ちゃんが遅いからだろ!頼りになんねーんだよ!」

「はあっ!?間に合ってんじゃねーか!何ぬかしやがる!しかも下忍にもなってねーお前に負けるほど、オレは甘かねーぞ!」

「うっせー!母ちゃんバカ!」

「うっせー!マザコン!」

 大人げない二人の言い合いがはじまり、いつもの光景が戻ってきたのか、ヒマワリがきゃっきゃ喜びの笑い声を上げ、ヒナタは目をぱちくりさせてから、くすくす笑い出す。

 ぎゃーぎゃー言い合いを始めている親子の姿に、自然と笑いがこぼれ、大人げないナルトに、サクラとシカマルはため息をついた。

 だが、そこにいたのは、七代目火影ではなく、よく知った同期のうずまきナルトであって、それがやけに嬉しく感じられる。

「ナルト兄ちゃんは、ほんとヒナタ姉ちゃんバカだなコレ」

「ま、アレがナルトでしょ」

「めんどくせーことに違いねぇがな」

 木ノ葉丸とサクラとシカマルが苦笑を浮かべつつも、どこか嬉しそうに言葉をこぼすのを聞き、イルカも同感だと笑みをこぼす。

 いつまでたっても変わらない、火影になっても本質は変わっていない。

 それが何より嬉しかった。

「ヒナタはオレがこの先ずっと守っていくんだってばよ」

「だから、オレも母ちゃんを守るってばさ!」

「バーカ、お前はそのうち、オレがヒナタを見つけたように、お前だけの誰かを見つけるんだ。そいつの為に強くなれってばよ」

 大きな手がポンッとボルトの頭の上に乗せられ、ボルトは一瞬ポカンとして父を見上げるが、その瞳が真剣な色を宿しているのを見て、驚いたように目を見開く。

 そんなことを言われても、今はまだわからない。

 だが、いずれそうなるのだろうとは思えた。

 いつまでも、守られている子供ではいられないのだろうと……

 でも、まだ今は───

「だったら、もっと母ちゃん大事にして、ちゃんと守れよな……父ちゃん」

「そうだな。すまねーってばよ」

「ま、その相手ってのが見つかるまでは、オレが母ちゃん守ってやっからさ!」

「だから、それは譲れねェって言ってんの聞こえてねーのかってばよ」

 胸を張り言うボルトに対し、頬を引きつらせこめかみをヒクヒクさせたナルトの姿に、イルカたちも肩を震わせ笑いだし、どうやら、うずまき一家恒例の『ヒナタ争奪戦』は平行線を様相を辿り、やはり今回も決着がつかないのだろうと、誰もが苦笑を浮かべるのであった。









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